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雑草姫の微笑  作者:
16/27

純白の縁 1

 “花皇宮(サライ)”はユルドゥーズ帝国皇族の居住がある区画であると同時に、外交や内政といった政治が動く場所でもある。皇族の居住は、当然軽々しく足を踏み入れる場所ではない内裏(だいり)だが、“花皇宮”の北と西側には謁見の間から会議を行う間、そして都度のパーティが催される広間など、外廷と呼ばれる国政その他の多種多様な建築物が森の合間に整然と佇んでいる。


 西方外廷大円蓋内部“瑠璃(るり)の間”――建物の円蓋が瑠璃色をしており、内部の装飾にもあちこちに瑠璃が使用されている事から呼ばれるようになったこの大広間は、上品ながらも豪奢で見る者を圧倒させる歴史ある構造になっている。

 一目で分かる高額な絵画の数々が壁面を飾り、調度品や染み一つない純白のテーブルクロスに並ぶ食器に至るまで、名匠が手をかけたものだというのは学に疎い者だとしても、細かな装飾などから容易に判断がつくものだ。

 普段であれば、貴族の皆々が上品な笑みとそれぞれの思惑を抱えて過ごすこの場所に、ルーナリーアは佇んでいた。ただし、濃藍のドレスを身に纏う少女は酷く恐縮しきって身体を縮め、広間の隅に小さくなっている。その姿からは、雑草(セリエ)が足を踏み入れる事の無い場所にいる光栄さに喜んでいる気配は微塵も感じられない。

 むしろ、化粧を施されていても分かる程顔色が悪く、少しの物音にも肩を震わせている姿は、陸揚げされた魚が、(さば)かれる最後の時を待っているような憐れささえ漂っていた。


「ちょっと、ルナ……大丈夫?」

「う…うん…なんとか…クドラは平気そうね…」

「あのねえ、舞で全員から見られてるのに比べれば、今日の私達なんてオマケみたいなものよ?普通絶対来れない場所に来てるんだから、楽しんでやろうってくらいないと」

「それはそうだけど…」


 呆れきった声を上げたのは、友人であるクドラだ。

 すらりとした体躯を魅せるようにぴったりとした薄青のドレスを身に纏っており、その堂々とした佇まいはルーナリーアと真逆に位置している。両腕を腰にあてて佇む姿など、主役(ホスト)の位置に相応しいものだ。


「全く…舞の時で慣れたと思ったけど、ほんとルナは人の多い場所苦手よね」

「あの時とは状況が違うし…それに、まわりは全部貴族ばかりで、何を話したらいいか分からないもの」

「まあねえ…皇族主催の夜会なんて、一般市民が普通参加するものじゃないわね」


 おどおどと周囲を控え目に見渡すルーナリーアへため息混じりの同意を返したクドラは、着慣れない衣装で凝った肩を解すためにぐるりと首を回した。

 今宵は豊穣祭の最終日だ。毎年、豊穣祭の最終日には皇族が主催する夜会が“花皇宮(サライ)”にて行われ、招待状を送られたものだけが絢爛豪華な宴に出席する権利を持つ。だが、五年に一度の大祭である今年は貴族達だけでなく、豊穣祭の初日に舞を披露した乙女達も全員招待されるのが慣わしとなっていた。


 舞だけでも一波乱だったというのに、今度は夜会と聞いてルーナリーアは卒倒しかけ、辞退まで考えたのだが――六人全員で会いたい、と寂しそうな眼差しをしていた第三皇女に(ほだ)されて、今がある。

 その為、広い“瑠璃の間”にはルーナリーア達以外にも舞手の乙女達が、それぞれ貴族達を相手にたおやかな笑顔を振りまいていた。ソフィアやテレーゼは元々貴族でこのような場には慣れたものらしく、緊張といったものからは無縁な笑顔だ。

 “花皇宮”で働いているというエミリエンヌも同じく笑顔だが、仕事と思って接すればどうということはないと爽やかな笑みを返しているし、第三皇女のリーゼロッテともなれば、広間よりも幾段か高い場所に作られた席に座り、貴族達と挨拶を交わす姿など悪戯っ子のようだった可愛らしさは無く、皇族としての気品に満ち溢れていた。


 実をいえば、先程からクドラも貴族達からチラチラと視線を送られているのだが、すっぱりと無視してルーナリーアの傍から動かないあたり、一番肝が据わっている気がした。

 だが、もしかするとこれを機会に何かしらの繋がりができるチャンスかもしれないクドラを、これ以上縛ってしまうのはとても忍びない。少しでも安心させようと声を掛けてくれる友人の言葉が途切れた頃合を見計らい、ルーナリーアはゆっくりと淡い桃色のルージュに色付く唇を開いた。


「クドラ」

「なに、気分でも悪い?飲み物持ってこようか?」

「……うん、お願いしてもいい?」

「分かった、ここから動かないでね。 人が多いから見失うと大変だし」


 微かに顔色が悪いのを見て、どうやら友人は体調が優れないようだと判断したらしい。

 気遣わしげな光が艶やかな黒い瞳に過ぎるのを見て、少しばかりルーナリーアの良心がチクリと痛んだが、なけなしの演技力で力無く頷いてみせると、友人はすぐに背を向けて手近なテーブルへと進んで行く。

 それを見送ると、あえてルーナリーアは今まで佇んでいた壁から、壁沿いに凡そ反対側までそっと移動した。美しく着飾った人々の合間から、水が入っていると思わしきグラスを片手に左右を見回す友人の姿が見える。恐らく友人が一人になった頃合を狙っていたのか、先程から視線を投げかけていた数人の貴族達が声を掛けると、戸惑いながらではあるが何かの会話を始めた姿を見て、ルーナリーアはほう、と小さく吐息を零した。


 時折視線は感じるが、基本的に最初の挨拶以外、ルーナリーアへ声を掛ける者はいない。

 それは雑草(セリエ)であるからなのか、緊張している事が丸分かりの少女へ声を掛けるのが躊躇われるのか……どちらにしても、今のルーナリーアにとってはありがたい事だ。元々、見知らぬ人間といきなり親しく話せといわれてもやや人見知り気味の少女にしてみれば苦痛でしかないし、こういった華やかな景色というのは、外から見ているくらいが丁度良いのだから。


 身に纏う衣装を見下ろす。濃藍の生地にはたっぷりのフリルが丁寧な意匠で凝らされており、僅かな動きでもふわりふわりと波打つ様はいつ見ても見惚れるものだ。当然、一般市民にしか過ぎないルーナリーアがこのような高級なドレスを持って居るはずはなく、夜会への招待を受けた際、テレーゼが衣装提供に名乗りを上げてくれた結果である。

 クドラとエミリエンヌは、ソフィアから衣装を借り受けており、首や腕を飾る装飾品(アクセサリー)や靴、化粧も全て彼女達の家で働く侍女が見立ててくれている。なぜルーナリーアだけテレーゼなのかというと、とても意外な理由からなのだが――


「見て!いらっしゃったわ!」

「いつ見ても、ほんとうに素敵…」


 場所を考えた控え目なものではあるが、年頃の女性達の上げる黄色い声がルーナリーアの鼓膜を揺らすと、いつの間にか思案に沈んでいた意識を慌てて引き上げた。


 女性達が熱の籠もる視線を向ける先に佇んで居るのは二人の男性だ。

 《薔薇の騎士団(ナイツ・オブ・ローズ)》の騎士が身に着ける正装だろうか?白を基調とした衣服には鮮やかな青糸に金糸の織り込まれた飾緒が右肩から前部に吊るされ、身分を表す徽章(きしょう)と武勲の証である大小さまざまな勲章が誇らし気に左胸で揺れていた。


 海の底を思わせながらも、鮮やかに惹き付けてやまない藍方石(アウイナイト)色の瞳は普段と変わらず凛々しき輝きを湛え、その傍に佇む金髪の騎士もまた、穏やかな雰囲気ながらも気品に満ちた出で立ちである。二人ともが大貴族の出自な上、流麗な物腰からはすぐに想像する事が難しいほど、この二人は帝国でも一、二を争うほどの武勲の所有者だ。

 年若い女性達が憧れと、恋慕の眼差しを向けるのは当然だろう。


 あっという間に周囲を沢山の女性で囲まれる二人を遠巻きに眺めながら、ルーナリーアは一人小さく息を吐き出した。毎週菓子を届け、たわいもない会話を交わしていると忘れてしまいそうになるが、ケインスやエストは元々帝国でも歴史の古い貴族である。

 優雅に会釈し、挨拶を返している二人はとても眩しく見えて、若葉色の瞳は緩く細められた。


「おにいさま!」


 人の合間からでも分かる弾んだ声の主は、テレーゼのものだ。

 アッシュブロンドの髪を綺麗に結い上げて白いドレスを身に纏うその姿は、さながら妖精や天使のようだ。仄かに上気する頬と、透明な硝子の如き瞳を輝かせて騎士の二人に駆け寄ってゆく。

 可憐な声に反応したのは“青騎士”の男性だ。藍方石(アウイナイト)色の瞳を柔らかく細め、極僅かではあるが口角を持ち上げて見せる姿と麗しの少女という光景は、見る者に思わず溜息を零させる程、絵画の如き姿だった。


 舞が終わった後に知らされたのだが、ケインスとテレーゼは親戚関係にあたる。ケインスがルーナリーアの介抱を率先して行った事で、テレーゼの興味を惹き、結果として衣装の提供を受けたのだ。


 何を話しているのかまでは壁際に佇むルーナリーアにまで聞こえてはこない。ただ、とても楽しそうに話す美少女と、彼女を見下ろす男性の瞳はとても優しいものだ。

 なぜだかその途端、急に胸が引き絞られるような感覚を覚えてルーナリーアは片手を胸へと宛がった。身に纏う綺麗な衣装も、突然酷く似合わないものに見えてしまい、訳の分からぬ侭突然に目の奥が熱くなる。


「…君、大丈夫かい?」

「……!っ…は、はい…お気遣い、ありがとうございます…あの、失礼します」


 突然掛けられた男性の声。

 飛び上がらんばかりの勢いで振り返ったルーナリーアの瞳に映ったのは、そこまで驚かれるとは思っていなかったらしき貴族の若い男性が目を丸くして立っていた。

 仕草から体調が悪いのかと心配して声を掛けてくれのただろうが、笑顔で礼を言う余裕もなく、どこか途方にくれた顔でその男性を見返すと、消え入る寸前の声でかろうじて礼を述べて逃げる様に身を翻した。

 くるぶしまで埋まってしまいそうな程、柔らかな絨毯に足を取られながらルーナリーアが逃げ込んだ先は、所々に設置されているテラスだ。室内の明かりが硝子(ガラス)越しにテラスへ注ぎ、石柱に埋め込まれた瑠璃が不思議な色を夜の闇に照らすその空間は、とても静かで、夜風が心地良い。

 ひんやりとした手すりに火照った掌を乗せ、思わずルーナリーアは大きな溜息を吐き出した。そのまま、多少行儀は悪いが突っ伏すようにして身体を預けると、目を強く(つむ)る。


「……私、どうしてこんなところにいるんだろう…」


 無論、此処に居る理由は分かっている。

 それでも、華やかな光の中にいればいる程、酷く場違いな気がして、呟かずにはいられなかった。


「…帰りたいな…」


 ふと、ルーナリーアは満月の浮かぶ夜空を見上げた。

 樹々の高い梢に光が当たり、明暗のコントラストを浮かび上がらせる様は心を僅かなりとも穏やかにする。自宅に帰ったところであの家に待つ者はもういない。

 それでも、似合わないこの場所に居るよりは――


「なにをしている、ルーナリーア」

「ひゃっ!?」


 ぼうっとしていた少女の耳に届いたのは、とても聞き覚えのある声だった。

 慌てて振り返ったルーナリーアの目の前に、一分の隙も無く騎士の正装を身に纏う巨躯の男性が静穏に佇んでいる。ケインス・ヴォルディア・アイヴァーン――《薔薇の騎士団(ナイツ・オブ・ローズ)》騎士団長であり、つい先程までは広間の中央で賛美の的だったはずの男性に、慌ててルーナリーアは腰を深く折った。







「…行かれました?」

「うん、ばっちり」


 “瑠璃の間”のほぼ中央で《薔薇の騎士団(ナイツ・オブ・ローズ)》副団長であるエストと、稀花(セルナリア)の少女は密やかに言葉を交わし、二人して悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべていた。

 こういった場に慣れていない雑草(セリエ)の少女が壁際で居心地悪そうに佇んでいたと思いきや、なにやら思い詰めたような顔色でテラスへと駆けてゆく姿を最初に見つけたのはテレーゼだった。

 思わず兄と慕う男性に告げるべく顔を上げると、隣のエストと視線が重なり――咄嗟に、「あら、あちらにルーナリーアおねえさまが…」と声を上げたのだ。


 恐らく本人は全く気付いていないようだが、“瑠璃の間”に舞手の一人として姿を見せた時から一番熱い視線を多方面より向けられていたのは、雑草(セリエ)の少女だ。今も若い貴族男性達がお互いに視線で牽制し合いながら、誰がテラスへ向かうかの熾烈(しれつ)な争いを繰り広げている。


 だが、テレーゼはどこの馬の骨とも知らない者にルーナリーアの相手をさせる気は毛頭無かった。

 意外な事ではあったが、嬉しい誤算としてケインスと既に知己の間柄である事を知った時から、端から見ていても雑草(セリエ)の少女に並々ならぬ想いを抱いているらしき兄と慕う人以外を近付けさせる気は、ない。これっぽっちもだ。

 テレーゼの声を聞くや否や、普段は無表情である事の多い(ケインス)がぴくりと眉を揺らし、自らに近付く淑女達をやんわりと、しかしながら断固として遠ざけて一直線にテラスへと向かう後ろ姿は今まで見た事がない。あっけに取られてしまったのはテレーゼだけではなく、エストも、淑女達も、そして牽制し合っていた男性達も目を丸くしてその背中を見ていたのだが、どうやら藍方石(アウイナイト)色の瞳にはただ一人しか映っていないようだ。


「ふふ、おにいさまったら…」

「ほんっとにルナちゃんが大事なんだろうねえ…本人同士、自覚してるのかは怪しいケド…」

「ああ…そうかもしれませんね…とても、もどかしいくらいですもの」

「奥手だよねえ」

「ですねえ」


 にこやかに笑い合う二人には、噂の二人が気付く事は勿論ない。

 どうか、傷付いた兄の心を癒してくれる人でありますように――そう、テレーゼは祈ってやまないのだった。


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