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雑草姫の微笑  作者:
10/27

黄金の林檎亭 2

 斜陽の影に赤煉瓦の石畳が浮かび上がり、何処か懐古的な雰囲気を帝都ルシュタンブルに注ぐ頃、急に風が冷たくなった。


 ルーナリーアはカウンターから店内を横切ると、換気の為店内に風を取り入れていた窓を閉めた。そのついでに窓から見える大通りの景色へと若葉色の瞳を向ける。

 往来する人々は、昼間に比べて少しばかり早足だ。それは、家で待つ家族の元に一刻も早く帰りたいという気持ちの表れなのか、足早ではあるが表情は何だか明るい。

 そぞろ歩く二人の若者は、議論でも交わしているのだろうか?何事か熱心に語る姿はきっとこの後、どちらかの家や酒場で議論の続きを繰り広げるに違いない。微笑ましい光景にルーナリーアの頬も自然と笑みを刻んでいたが、厨房からの呼び声で我に返ると、慌ててカウンターへと舞い戻った。


「上がりの時間だ。 今日もお疲れさん」

「はい、お先に失礼しますね。 お疲れ様でした!」


 昼食を共にした二人の友人は、二時間ほど前先に仕事を終えて帰宅した頃だ。

 ほとんど店じまいをするこの時間帯は家路を急ぐ人々が多い事もあって、店内を切り盛りするのがルーナリーア一人でも十分である。閉店まではあと時計が一回りするくらいはあるが、ここからは焼き釜の火を落とした店主との交代だ。

 一日中パン生地と格闘し続けた店主だが、全く疲れた素振りを見せずにルーナリーアを(ねぎら)う姿には溌剌とした笑顔を湛えている。ぼきぼきと此方が痛くなるような音を立てて骨を鳴らしながら首を回す店主に挨拶を交わし、身を翻そうとしたルーナリーアの背中に声が掛けられた。


「ああ、そうそう。 クリスから林檎を貰って帰れよ」

「…先日も頂いたばかりですけど…良いんですか?」

「こないだのはこないだ。 今日のは今日のだ、何日か前に美味いジャムを沢山貰ったからな、その礼だと思ってくれや」


 あるとき、実験がてらにルーナリーアのジャムを使ったホイップクリームとジャムを合わせたパンを期間限定で売り出したところ、人気も上々で、定番商品になってからルーナリーアは自家製のジャムを“黄金の林檎亭”に納品している。月に二回から三回程の頻度で納品しているのだが、その代わりに店主からは賃金増額と、こうして店の名前にもなっている林檎を貰う事が多い。

 それにしても、先日納品した分に関してはきちんと頂いており、なにやら申し訳なさに身を縮めていたが、林檎の《花》を持つ本人が良いというのなら良いのだろう。年齢よりも若々しく見える笑顔に、ルーナリーアもつい笑顔になってしまう。


「…はい、ありがとうございます!」

「アイツは裏の庭に居ると思うぞ」


 にっ、と白い歯を見せて店舗の裏側を指差す店主に礼を告げてから、ルーナリーアは身を翻した。









「クリス!」

「…ああ、ルナ。 林檎ならココ」


 ルーナリーア達が昼食を摂った裏庭にも茜色の光が満ちていた。

 コンポート用だろうか、慣れた手付きで林檎の皮剥きをしている青年へルーナリーアは声を掛けた。呼び掛けに顔を上げる青年の顔付きは、店主と良く似ていて精悍と若々しさが満ちている。

 キャラメル色の短髪の下から覗くのは、ターコイズブルーの瞳だ。年齢はルーナリーアの二つ上で、黙っていれば少々いかつい顔付きだが、いつもどこか楽しそうな表情だ。


 今も、ルーナリーアの声にくしゃりと笑うクリスは、好青年の印象を与える。

 皮を剥く手は休めずに、反対側の椅子を顎でしゃくった先には取っ手の付いた籠に瑞々しく赤い果実がこんもりと山をなしていた。

 クリスはルーナリーアの幼馴染であり、ジェライトの息子だ。今は亡き両親と“黄金の林檎亭”の店主は仲が良く、物心ついたときから手を取り合い良く遊んだものである。その繋がりもあって、高等学校を卒業した後“黄金の林檎亭(ココ)”への就職を打診してくれたのも店主だった。


「いつもありがとう」

「礼ならオヤジに言えよ。 林檎(コレ)出してんの、オヤジだし」

「ふふ、そうだね…」


 店の名前にも使われている林檎は、店主であるジェライトの《花》だ。

 季節を問わずに瑞々しい林檎を提供できるとあって、“黄金の林檎亭”で一番の売れ筋は林檎を使用したアップルパイである。ルーナリーアも、幼い頃から何かと食べてきたアップルパイが一番の好物といっても過言ではない。

 少しおどけたように笑いながら、店の方向を指差すクリスへ思わず笑みを零してから、籠を持ち上げようと手を伸ばしたルーナリーアを止めたのは、傍らの青年であった。


「これ終わったらさ、俺が持ってくよ。 ルナには重いだろ」

「ええ?でも、まだ仕込みとかあるんじゃない?」

「一日中焼き釜の前が終わったと思ったらさ、今度は皮剥きだろー…休憩がてら散歩するくらいバチはあたんねーよ」


 やや大袈裟に顔を(しか)めて見せるが、実際のところ朝から夕方まで焼き釜の前に立って火加減を見ながらパンを焼くのは大変な労力だろう。接客とパンの補充をしているルーナリーアが直接焼き釜の前に立った事は無いが、父親である店主共々汗を滴らせながら食事もそこそこに奮闘している姿は、何時見ても少々心配になる程だ。

 体力的に辛ければ散歩、などという言葉がクリスの口から出てこない事もルーナリーアは知っている。本当に気分転換に歩きたいのなら、好意に甘えてしまおうか――時間が許すのなら、焼き菓子と飲み物を振舞うくらいならルーナリーアにも出来るのだから。

 短い逡巡(しゅんじゅん)の間にそこまで考えを巡らせた少女は、若葉色の瞳を嬉しそうに細めると幼馴染の好意をありがたく頂戴する事にした。


「それじゃあ…クリス、お願い」

「おう! んじゃ、コレをオヤジに渡してくるから、ちょっと待ってろよ」

「うんっ」


 会話している間にも着々と林檎の皮剥きを進めていたクリスは、剥き終わった果実の籠を片手で軽々と持ち上げると少しばかり足早に厨房へと消えて行った。

 視線を持ち上げると、ルーナリーアと同じ若葉色の葉を昼間は揺らしていた梢が、茜色に輝いて黄金のようにきらきらとした色を地面へ万華鏡のように移ろわせている。冷たさを増した風に乗って微かに聞こえてくるのは、幼い子供と家族と思わしき男女の楽しそうな会話だ。


 ルーナリーアは夕方が一番嫌いだった。

 仕事が終わって帰る時間帯、楽しそうに手を繋いで家路を辿る家族や、小路を歩けば家々からは食卓を囲む賑やかな声が嫌でも耳に届いて、一人きりの家に帰る自分が酷く惨めで――何より、両親が息を引き取ったのは、こんな茜色の光が差し込む時間帯だったのだから。

 それが今は、青から茜色へと色を変えてゆく空を見上げて笑みを浮かべられるようになった。自宅にある両親の遺品を前にして、思い出を偲ぶ事だって出来るようになったのは(ひとえ)に大切な友人と、幼馴染のおかげだ。

 貰ってばかりで何も返せていないのが唯一悔やまれるが、自分に出来る事を精一杯やれば彼等は喜んでくれる事を理解している。“俺はいつでも、お前の味方だ”と言ってくれた青年が、キャラメル色の髪を夕日に反射させて戻ってくると、ルーナリーアは晴れやかな笑顔で青年を出迎えた。









「なあ、一つ聞いていいか?」

「…?なあに?」


 煉瓦造りの石畳を歩くクリスは、一杯の林檎が盛られた籠を持っているし、夕方を過ぎて夜に近くなってきた通りは薄暗さを増し始めていたが、足取りはいささかも危なげ無い。それどころか鼻歌なぞ交えながら進む姿には重さというものが無いようにすら思えてしまう。

 “黄金の林檎亭”があるルスリア大通りから、横の小路を抜けて隣接するウィンザー通りへと出ると、時折通る馬車に気を掛けながらルーナリーアの自宅がある帝都の端に向けて歩いていたが、唐突な声に若葉色の瞳をぱちりと瞬かせると、すぐ傍らを歩く青年へルーナリーアは視線を持ち上げた。

 普段は明朗快活な幼馴染は、何処か言いにくそうに口篭っている。籠を持っていない手で頬をポリポリと搔く癖は、クリスが言い難い事を言う時のものだ。


 小さな頃、喧嘩した後にこの幼馴染が謝ってくれた時良く見た姿だが…一体何だろう?

 そんな疑問が顔に出ていたらしく、益々ターコイズブルーの瞳を泳がせていたクリスだったが、やがて意を決したように口火を切った。


「その…俺も噂を聞いてさ。 白百合と青薔薇の話……騎士様と、付き合ってたり…すんのかなーって」


 全くもって予想していなかった質問に、狼狽(ろうばい)したのはルーナリーアである。

 確かに昼間友人達からも散々質問された事ではあったが、こうも率直に近しい人間から聞かれると咄嗟に反応ができず、ぽかんと幼馴染を見上げてしまった。


「つきあ……!? まさか!そんなんじゃないよ!騎士様達は私を助けて下さっただけ」


 (ようや)く思考が追いついた途端、ルーナリーアの顔は宵闇でも分かる程真っ赤に色付いた。大慌てで首を振り、必死に否定をする少女をクリスは驚いたような眼差しで見下ろしていたが、余りに慌てる姿が可笑しかったのか急に噴き出して笑い始めた。


「おまえ、焦りすぎだろ…ッ…超ウケるー」

「もうっ!クリスったら、からかわないでよ…!」


 何故だか嬉しそうな幼馴染とは対照的に、銀髪の少女はからかわれたと思い込んでご立腹である。

 唇を尖らせて非難する姿を見下ろすクリスの瞳はとても穏やかだった。

 

 遣り取りをしている間に、すでにルーナリーアの自宅へ二人は辿り着いていた。

 庭を通り、扉のノブに手を掛けて開かれた室内は、いつもと変わらない静寂で包まれている。それを見てクリスの顔がふと曇った事に気付かないルーナリーアは、客人を持て成すべく戸棚を開いて紅茶缶を手にしていたが、静かに室内へ響く幼馴染の声に振り返った。


 何時の間にか、林檎の盛られた籠を机の上に置いて扉付近の地面へ佇む青年は軽く右手を地面に掲げている。

 ルーナリーアが何度か瞬きをする間に、地面から生き生きと幹を伸ばし、枝を広げ、つるりとした葉を青々と茂らせるのはある種類の樹木だ。葉と葉の合間から蕾が顔を覗かせ、小さく白い花が咲いた後にたわわと実るのは縦に長くびん型をした緑の果物――クリスの《花》が(もたら)す恩恵、洋ナシだった。


「ほら、これも。 暫く置いときゃ熟すからさ」


 幹をぽんぽんと軽く掌で叩きながら、ルーナリーアを見る青年の表情は晴れやかだ。

 クリスの傍まで駆け寄ると、直ぐ近くに森の入口がある為か、ここまで緑林の匂いに満たされている。だが、幼馴染の傍はほんのりと甘い香りに包まれていた。

 本来なら一月余りを追熟させる必要があるこの果実も、《花》の祝福を受けたクリスが祈りを込めた為に大分追熟が進んでいるのだろうか?緑色をしている筈の表皮も大分黄身が進んでいた。


「え、ええっ…いいの、クリス…?」

「良くなきゃ出さねーって。 いいからホレ、ホレ」

「わっ!わわわっ、投げちゃだめ!」


 次々に枝先からもがれてゆく果実が幼馴染の手から弧を描いて空中に放り投げられると、それが地面に落ちてしまわないようにルーナリーアは慌てて両手を伸ばす。そこへタイミング良く納まる果実に安堵する間もなく、次が放り投げられる所為(せい)で銀髪の少女はてんてこ舞である。

 広げたスカートの裾に受け取った果実を乗せ、飛んでくる果物を全て受け取る頃には随分と重くなっていた。


「こんなにいいの?」

「おう。 ま、それ使ってさ、何か作って食わせてよ?ルナの作るやつって美味いし…」

「…うん! 何にしようかな…こんなに沢山あるなら、タルトとか、コンポートとか…ジャムも良さそう!」


 幼馴染の父親から貰った林檎に、青年の洋ナシ。そして、ルーナリーアの野苺――新鮮な果物が沢山揃った今なら保存食でも何でも大量に作れそうだ。“黄金の林檎亭”の皆にも、《薔薇の騎士団(ナイツ・オブ・ローズ)》の騎士達へ持っていくものにも差し入れしたら喜んでくれるだろうか?

 そんな考えに自然と頬が綻んでいたルーナリーアは、傍らでじっと見下ろしているターコイズブルーの瞳に気付き、一つ瞬きをした。


「…俺さ、…その……ルナが………好き、だし」

「――え?……そ、それって」

「……勘違いすんなよ!ルナの作るジャムとか、菓子が好きって意味!」


 思わぬ言葉に硬直し、次第に顔が赤くなるルーナリーアを、同じく顔を真っ赤にしたクリスが見下ろして居たが、挙動不審なまでに言葉を詰まらせる少女にハッとした様子で目を見張ると、あらぬ方向へ視線を逃がしながら早口でまくし立てた。

 その後、玄関から室内には入らず庭から出て行こうとする背中へ我に返ったルーナリーアは、スカートに掛かる重さで上手く動けずにその場で声を張り上げた。場所を移動した事で、生み出された洋ナシの樹木は巻き戻されるようにして地中へと消えていく。


「まって、クリス!お茶を…」

「いいよ!早く戻らねーと、オヤジにどやされるしなー。 また今度な!」

「わかったー、またね、クリス!」


 引き止めた言葉も、幼馴染には効かなかったようだ。

 振り向いて手を挙げはするが、踏み出す歩を止める事はせず、(むし)ろ駆けるような足取りでルーナリーアの視界から消えて行った。残されたのは沢山の洋ナシだ。



――普通好きでもない人に、自分の《花》を見せたり、あげたりしないでしょ――



 昼間、友人から言われた言葉が脳裏を過ぎる。

 大きく跳ねた心臓の鼓動は、まだ皮膚の下で強く脈打っていた。



 そうして、暫くの間玄関先に佇んでいた少女が銀髪を波打たせて室内に消えた後。

 玄関先からは見えない位置の石畳上で、真っ赤な顔で頭を抱えてしゃがみ込んでいる幼馴染の姿があった事を、ルーナリーアが知る事は無かった。勿論、その苦悩に満ちた呟きも。




「…あー…俺って、ホント……バカ……」




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