第8話:覚醒
ハルキは真っ暗な空間にいた、ような気がした。意識が朦朧としているため、状況がはっきりと理解できない。
自分は立っているのか、座っているのか、浮いているのか。その感覚がない。
何故自分はこんな所にいるのか。朧気な記憶を掴もうと、頭の中で必死にもがく。しかし煙に手を突っ込むように何も思い出せなかった。
『――キ、……ルキ』
どこからともなく女性の声が聞こえた。
『ハ……キ……、ハルキ……』
母親が子供を寝かしつける時のような優しい声。その声を聞いていて、ハルキの心は少し落ち着いた、ような気がした。
そして、少し記憶が蘇ってきた。
――ナツメに鏡を取られ、リザードマンに襲われ、剣で斬られ……。
「俺、まさか死んじゃったのッ?」
誰に言うわけでもなく、大声で叫んだ。
『いいえ、貴方はまだ生きています』
さっきから聞こえる声が答えた。
『リザードマンに斬られる寸前のところで話しかけています』
「えっ、じゃあまだ生きてるわけ?」
『そうだと言ったばかりなんですが』
「ところでここはどこなの? そしてあんたは誰なの? 俺はどうなるの? 口笛はなんで遠くまで聞こえるの?」
ハルキは軽く混乱していた。非日常的な出来事ばかり起きて、頭が追いつかなかった。なにがなんだかさっぱりだった。
『順を追って説明する時間はありません。簡潔に述べますがよろしいですか?』
「うん、簡単に説明してくれるほうが俺としても助かる。色々とワケがわからなくて、頭がおかしくなりそうなんだ」
『では一度しか言わないので、ちゃんと聞いて内容を理解してくださいね』
声の主は咳払いをした。
『ここは“貴方の意識の中”です。私は貴方の意識に直接語りかけています』
「ど、どういう原理でそんなことができるんだよ」
『教えたところで貴方には理解不能です。黙って話を聞いてください』
何故か怒られ、ハルキは少しだけ傷付いた。
『私はこの世界の精霊。名前は……まあ、今はいいでしょう。私は貴方を待っていた。――いや、待っていたのは私だけではありません。……詳しくは時間がないので言えませんが、貴方はこの世界――シキに来る運命だったのです、偶然ではなく必然的にね。貴方には秘められた力があります。それは、この世界の英雄の力です。その英雄の話も長くなるので今はできませんが、要は昔々のシキを脅かしていた悪をなんとかした英雄だと理解してくださればいいです。そしてその悪の手下が今、この村に来ています。手下の名前はハデーン……金色の鎧を身に付けたダークエルフです。今奴をなんとかするには、貴方に秘められた力を目覚めさせるしかありません。……ということで、貴方を強くするのでハデーンをなんとかしてください。わかりましたか?』
「ノー」
ハルキは胸を張って即答。
――自分が英雄の力を持っているだって? どこの三流シナリオだそりゃ。
当然信じられるわけがなかった。
『……貴方は戦わなくてはなりません。この三流シナリオに沿って動かなくてはならないのです。これは既に決まっていることなのです』
「そんなこと知らないよ! ここが本当に異世界だって言うなら、俺は元の世界に帰らなきゃいけないんだ! こんな所にいたくないんだ!」
『……貴方は今、リザードマンに斬られる寸前です。私の力でまだ生きていられるのです』
「だから何なの?」
『このまま先ほどの状況に戻すと、貴方はあっという間もなく奴に葬られますが……いいんですか?』
「え……」
それは半ば強制的だった。いや、脅しだ。今先ほどの状況に戻れば自分は死ぬ。死にたくなければ力を得ろ、と。
たしかに死んだら元もこうもない。しかし力を得れば“戦い”という辛いものに駆り出される。
もちろん死ぬのは嫌だ。また帰って孤児達と仲良く暮らしたいのだ。平和な世界にいたいのだ。
帰るためには力を手にしなくては――
ハルキは、躊躇いつつも戦うことを決意した。
『では、いきます』
突如として振り下ろされた刃。自分を一直線に狙う。しかしハルキにはそれがはっきりと、まるでスロー再生のように見えた。
不思議なことに、どう対処すればいいのかは身体が理解していた。素早く横に避け――足払いをかけ――相手が倒れたところで、顔面に剣を突き立てる。意識していないのに勝手に動いた。
リザードマンは顔から赤紫色の血を吹き出し、そのまま動かなくなった。
ハルキの手には、剣で刺した時の生々しい感触が残っていた。言葉では言い表せない、とても気持ちの悪い感触。自然と手が震えた。
その時、リザードマンから村人を守っているディランを見つけた。
ディランは一人でニ体のリザードマンを相手にしていた。加えて村人を守っているため、明らかに分が悪い。
――助けないと。
ハルキは手の震えを無理矢理抑え、自分に「大丈夫」と言い聞かせて駆け出した。
身体がとても軽かった。風のようにどこまでも飛んでいけそうだった。
ハルキは一頭のリザードマンの脇を駆け抜けた。刹那、リザードマンは体から血しぶきを噴き出し崩れ落ちた。
「は、ハルキ……なのか?」
ディランはハルキの並外れた動きを目の当たりにして驚いていた。それもその筈、今までハルキの情けない姿しか見ていないのだから当然だ。
ハルキはまた震えた。リザードマンを斬りつけた感触がいつまでも手に残る。
――気持ち悪い……。
「ハルキ、危ない!」
もう一頭のリザードマンがハルキを狙っていた。ハルキは震えて動こうとしない。
「くそっ……ハルキッ!」
ディランはハルキを助けるために駆け寄るが――間に合わない。
その時、ハルキが瞬時にリザードマンを見た。
無表情だった。
「寄るなよ」
ハルキは異様なまでの殺気を放っていた。それを痛いほど感じたリザードマンは、持っていた剣と盾を捨てて逃げ出した。
「ハルキ!」
ディランの呼びかけに、ハルキは振り向いた。
ディランはハルキの様子がおかしいことを気にかけたが、なんとなく聞くことができなかった。
「ディランさん、ハデーンって奴はどこにいる?」
「村の入り口辺りで父さんと戦っていると思う……って、お前ハデーンと知り合いなのか?」
「知らないよ」
ハルキは言われた所に向かって駆け出した……つもりが、ディランに止められた。
「お前みたいな普通の人間が行っちゃいけない! あいつは……ハデーンは雰囲気からして相当危険だ! 死にたくないなら逃げてくれ!」
「そうはいかないんだよ」
ハルキはディランをどかした。
「なんか……運命らしいから、俺は戦わないといけないみたいなんだ」
「は?」
「怖いけど、これは運命なんだって。戦わないと帰れないんだって。震えているけど、やらなきゃいけないんだよ……」
「ハルキ、お前何を……」
「だから俺は帰るために戦う。こんな世界にいたくないんだ!」
ハルキは叫んだ。ハルキの声は、辺りに響き渡った。