第6話:鏡
“別の世界”という言葉を聞いた三人は真っ先にハルキのことを思い浮かべていた。
まだ信用はしていないが、ハルキが本当に別世界の人間だとしたら、その精霊の鏡とやらの力でこの世界――シキにやって来たのかもしれない。
「……もしかしたら、ハルキが鏡を持っているかも」
ナツメがソンチョに耳打ちした。
その時、派手な鎧を着たダークエルフの長い耳がぴくりと動いた。
「俺の耳は長いだけじゃなく、聴力が並みの野郎より良いんだ」
にやりと不気味に笑った。
「いけ、リザードマン達! ハルキって奴を探して真実を確かめろ! それ以外の奴らは殺しても構わない!」
ダークエルフの掛け声と共にリザードマン達は村中に散った。途端にあちこちから悲鳴があがった。
「貴様……ッ!」
ソンチョは素早い動きでダークエルフの懐に潜り込み、勢いよく顔面に拳を入れた。ダークエルフは鼻血を噴き出しながら地面に倒れた。
「ハゲ、中年のくせになかなかの一撃だな」
「ハゲではなく剃っているのだ。せめてスキンヘッドと言ってもらおうか」
「結局はハゲじゃねえか、ハゲ」
ダークエルフは長剣を支えに立ち上がった。
「ハゲ、お前の名前は?」
「このパーサ村の村長、ソンチョだ。貴様は?」
「俺はハデーンだ」
「は、ハデーンだと……!」
――ダジャレじゃないか……ッ!
一方ハルキはのんびりとご飯を食べていた。玉子焼きには一切触れてなかった。
本当なら孤児達のために料理を作り、みんなで仲良く食卓を囲み、楽しく笑っている時間だ。
しかし異世界に来てしまったようなので、そのようなことはできない。
――このまま帰れなかったら、自分はこの世界にいるしかないのだろうか? いや、何か帰る方法はある筈、きっとあるさ。
そして思い出したのが、フリーマーケットで買った鏡の存在だった。普通の鏡なのに、不思議と目を奪われる謎の鏡。
日本にいた時の最後の記憶は、この鏡を見つめていたところで途切れている。ということは、この鏡のせいで異世界に来てしまったのではないかと考えるのが自然だ。
しかし地球という環境で育った以上、ワープしたという非日常的な事を信じるのは非常に難しい。そう、それは利き腕ではない腕で針に糸を通すぐらい難しいのだ。もしくは超上級者向けのナンプレ並みに難しいのだ。とにかく簡単には信じられないのだ。
だがハルキは実際に見てしまった。自分に襲いかかってきた“魔物”を、ナツメが放った“魔法”を。
――そして、部屋の壁に貼ってある地図を。
明らかにこれは、地球の地形ではない。まったく違う形だ。
「夢じゃ……ないんだよね」
その問いかけに答えるかのように家の扉が開け放たれた。
荒々しい鼻息を吹かしながら、剣と盾を持ったトカゲが目の前に現れた。
――夢じゃ……ない、よね?
ハルキは咄嗟に立ち上がり、部屋の隅へ逃げた。よくわからないが、とてつもなく危険な状況だということはわかった。
光輝く剣の刃を見て、あれなら鮪も簡単に真っ二つにできるかもしれない、と考えてみた。つまり自分も簡単に真っ二つにされるかもしれない。
再確認をする。やっぱりとてつもなく危険な状況だ。
ハルキはディランから貰ったステンレス製の剣を取り出した。
――大丈夫、俺ならやれる、勝てる筈。この前だって一人で魔物をやっつけたじゃないか。だからこの剣を持っているんじゃないか。
しかし目の前の鋭利な刃物を見ると、その覚悟は簡単に失われた。
――やっぱり無理だよ。刺さったら痛いし、血が出るし、入院しなくちゃいけなくなる。
なにより……怖い。
すると、その時だった。リザードマンの体が宙に浮かび上がり、床に叩きつけられた。
一瞬何が起きたかわからなかったが、そこにはナツメがいた。彼女がリザードマンを投げたようだ。
「ハルキ、さっさと逃げなさい!」
「あ、えっ、このトカゲの魔物はなんでこんな所に……?」
「そんなのわたしが知るわけないでしょ!」
ハルキは自分の口から“魔物”という言葉が自然に出てきたということに気付かなかった。
「それより聞きたいことがあるんだけど、あんた鏡って持ってるの?」
「へ? うん……なんで知ってるの?」
「やっぱり……。いや、でもそれが精霊の鏡かどうかはまだわからないし……」
リザードマンが起き上がろうとした。しかしナツメがすかさず顔を踏みつけて動きを封じた。ついでに二、三回蹴りを入れておいた。とても容赦なかった。
「今ダークエルフが精霊の鏡っていう物を求めてこの村に来ているの。精霊の鏡は別世界に行ける不思議な鏡らしいんだけど、あんたが本当にこの世界の人間じゃないのなら、その精霊の鏡とやらの力でこの世界に来たんでしょうね」
「そうかもしれないよね」
「その鏡、ダークエルフに渡すことってできない? このままだと関係ない村人が殺され続けるのよ」
ハルキは悩んだ。
おそらく自分のせいで村人達まで巻き込んでしまって、とてもじゃないけど渡すのは嫌と言えない。
だが鏡を渡してしまったら、元の世界に帰れなくなってしまうのではないか? 唯一の手がかり(と言ってもまだよくわからないけれど)がなくなってしまうと、本当にどうしようもなくなってしまいそうだ。
村人の命を取るか、手がかりを取るか。
こんなの、急には決められない。
「ああ、もう、行くわよ!」
ナツメはリザードマンにトドメを刺し、ハルキの腕を引っ張った。
「行くって、どこに?」
「ダークエルフの所。鏡を渡して、この村から手を引いてもらう!」
「ちょっ……それは困るよ! 帰れなくなるかもしれないじゃないか!」
「あんた、他人の命は大切じゃないの?」
それはもちろん大切だ。当たり前だ。
しかし元の世界に帰ることも大切だ。異世界で一生を過ごすなんて、絶対に嫌だから。
二つを天秤にかけてもどちらにも傾かず、シーソーのようにゆらゆらと揺れるだけだった。
ナツメはため息をつき、無理矢理にでも連れて行こうとハルキを引っ張った。
「だからー! 俺は他人の命も大事だし、帰ることも大事なの!」
「わがまま言わないでよ! さっさと来なさいよ!」
「何か別の解決策を考えようよ!」
「うるさいわね、わかったわよ!」
突然ナツメから鋭い一撃を腹に食らった。完全に無防備だったハルキは、うめき声をあげながらうずくまった。
ナツメはハルキから鏡を奪い、逃げるように走り去った。
「ひ、酷い……」
余計に元の世界に帰りたくなった。