11. 十三年の約束
嵐が去った後の朝、私は一人外へ出た。
風も波も、それまでの事が全て冗談であったかのように静かで、穏やかだった。
夜と昼の違いはあれど、私は目の前の景色に、あの日、彼と出会った三日月の夜を重ねていた。そしてつい、水平線の彼方に何かを探しているのだ。
そんな馬鹿馬鹿しい自分が、何だか好きになれそうだった。
「行ってしまったなぁ」
ふと現実に戻り、私は一人呟いた。
ところが、「そうだな」と答える声が背後にあった。振り返ると、父の入日だった。
「父さん、いつの間に?」
父は何も答えずに私の横に並んで、ステンレスの手摺りに両手を軽く乗せると、海は青いものだというくらいの当たり前さで、こう言った。
「アイツは冬夜だったのか?」
「え? やっぱりって……もしかして、知ってたの? 三月が冬夜だってこと」
「ああ。初めは信じられなかったが、ある時から、どうしてもそうとしか思えなくなったんだよ」
「いつから?」
「さぁ。最初に会ったときは冬馬だと思った。何が起こったのかは知らないが、大人になった冬馬がここにいる。そう思った。けどな、アイツがときどき冬馬に向けていた視線な、どうも、子供の頃の自分自身に向けるような視線じゃなかった。どちらかと言うと……そうだな、お前が時々冬馬のやつを見るようなものだったな」
「私が?」
「自分じゃ気付いてなかったのか。お前の目は、ときどきやっぱり姉貴のものになっているんだよ」
そう言って笑い掛ける父の背後に、ちょうど朝の太陽が重なって眩しかった。
「なあ、話せよ。一体何が起こっていたのかを」
私は、私の知る限りの事を、父に話して聞かせた。
到底信じられないような内容であったが、父は既にその信じられない内容に自力で接近していたのだから、初めから終わりまでずっと黙って聞いていた。
話が終わった後、彼は言った。
「俺は冬夜が死んだなんて思ってなかった。いや、死んだんだが、どっか別のところで生きているような気がずっとしていたんだ。それがまさか別世界だとはな」
父は遠い目をして水平線の彼方を見ている。その視線の先には雲さえなくて、空と海の青だけが衝突し、曖昧な境界を作っていた。
私は、まるで今思い出したことのように言った。
「ねぇ、冬夜のこと、冬馬には」
「言うさ。アイツが二十歳になったらな。初めからそのつもりだった」
私の声を遮り、父はそのように言う。
「そしたら、向こうの冬夜がやったみたいにするのかな」
「するような気がするよな。嵐の海に飛び込んで、そして、向こうの世界で生きている冬夜に会うんだ」
「七歳の冬夜にね?」
「ああ。そして、帰って来るんだろう」
その時になって初めて、私達は昨夜嵐の中に去って行った冬夜の安否を知る事になるのだ。
でも私は初めから答えを知っている。冬夜は死なない。だから冬馬も死なない。二人も別々の世界ではあるけども、間違いなく生きている。
「私はね、冬馬を恨んだ事なんて一度もないよ」
「何だよ突然」
「だって、母さん……ずっと笑ってたもん。もうすぐ私に弟ができるよって、嬉しそうに」
脳裏にその時の様子が何度も何度も浮かび、そして意識の彼方に去って行った。
涙が目の中に溜まっていく。目の前はぼやけてはっきりと目の前の風景を映さない。
「ホント、一番嬉しそうにしてた」
瞬いた時、それまで繋ぎとめていた涙滴が、勢いよく流れ出した。
「そうだな。アイツ、嬉しそうだったな」
私の背中をポンポンと軽く叩きながら、父はそう言った。