7. 海中の戦い
鉄鋼がやって来てから三日目。それは、彼らとの戦いが始まってから三日目である事も、同時に意味している。
この日、私に仕事がなくなった。これまで引き上げたものが、この船の積載限界量に達してしまったからだ。もう、これ以上引き上げて遺産を積み込むのは不可能だった。
そもそもサルベージ船は、引き上げたものを一時的に置いておく為くらいにしか使われないため、それほど大量には積み込めないようになっている。その他の三隻に関しても同様のことが言えた。
しかも、鉄鋼らはこちらの作業を進ませない為、遺産を片っ端から切り刻み始めた。前にも少し触れたことだが、鉄鋼たちは引き上げたものを最後には溶かしてしまうため、引き上げ以前に海中で細かく裁断しても全然構わないのだ。
裁断するための道具は、超振動ブレードと呼ばれる工具で、特定の周波数と波長で振動する事によって、ある材質だけを特に切断し易くする。
遺産は、細かく切断されると、それの持つ歴史的な価値が薄れ、結果、こちらに引き上げる意味を失わせる事となるのだ。これから先、こちらにできることは、鉄鋼の作業を妨害する以外に無くなってしまった。
とは言っても、私たちがブレードの前に立ったところで、彼らが切り刻む対象は周りにいくらでもある。船上にいる人が全員で海底に潜って壁を作ったとしても、さしたる障害になる事はできないのだ。
「冬海に冬馬。お前たちは船の上にいるんだぞ」
いつものようにダイビングスーツを身に着けた父は、そう言って海に入って行ったが、私には納得できなかった。こうしている間にも、遺産が傷付けられている。多季さんが夢見ていた遺産の数々が。
何もできない事を知りつつ、私はダイビングスーツも付けず、愛用の水中眼鏡を一つ持って海に飛び込んだ。
海底という人が生きるには適していない環境での戦いでは、ちょっとしたことが致命的になり兼ねない。もしも相手が死んでしまえば、当然、拘置船のお世話にならなければならない。だからこのような時、如何なる武器も使用せず、素手だけで戦うのだ。
私はいつも海を泳ぐときの要領で潜っていき、手近な建造物にブレードの刃を入れようとしていた男の腕にしがみ付いた。
その鉄鋼のダイバーは私を見てかなり驚いていたが、やがて腕を大きく上下に振りはじめた。振り解かれまいと必死に力を込めるが、水の抵抗が大きくて、私は腕を離してしまった。
そのまま一旦海面へ上がり、貪るように息を吸い込んだ。うっかり一緒に吸い込んでしまった飛沫で、咳き込む。喉が焼けるように熱い。
「お姉ちゃーん!」
天から聞こえたような声は、船の上からこちらを見下ろす冬馬のものだった。
しまった、そう思った。彼はさらに叫ぶ。
「危ないよー!」
そんな事言われても、今更引き下がれない。
「大丈夫だから!」
私はそれだけを叫び返すと、再び大きく息を吸い込んで、身を沈めた。
再び同じダイバーが目に入った。既に彼は、先ほど狙いを付けていた建造物に、ブレードの刃を挿入していた。
鳩尾の辺りが急にムカムカし始め、私は怒っている事を自分でも知ることができた。これ以上、多季さんの夢に傷を付ける行為は、彼女の娘として見逃せなかった。
再び、ダイバーの腕に自分の両腕を回し、動きを制する。また、振り解こうとして、相手は腕を上下に大きく振った。
それでも離れないのを見て、今度は反対の手で、絡まった紐を一本一本外していくように、私の腕を一本一本解いていった。そして私は、とうとう放り投げられてしまった。
まだ苦しくなかった。空気の交換は必要ないと判断し、もう一度飛び掛かっていく。今度は、既にコンクリートの壁面に入っていたブレードを離すために。
超振動ブレードは今、コンクリートを切りやすい周波数になっている筈だ。だから、人体を切り裂くことはできないだろう。そう思った。
私は直接、ブレードの刃部に手を触れようとした。
次の瞬間、私の目の前は逆さまになったように見えた。いや、それだけではない。回転している。景色が。私自身が。
ダイバーの姿が見えたような気がしたが、それはほんの一瞬で、凄く遠くにいる事だけは分かった。
私は今、どういう状態なのかわからないが、とにかく吹き飛ばされているらしい。水の
抵抗が全身にかかる。口から空気が奪われていく。もちろん鼻からも。奪われた空気の変わりに、大量の塩辛い水が流れ込んでくる。
その時、初めて苦しいと思った。ダイバーの姿はさっきよりも近くなっているように思えたが、それはほんの一瞬の事。ただの気の所為だ。
意識が闇の中に包まれようとしている中、私は多季さんの声を聞いた。お迎えかなと少し考えたが、ただの記憶だった。
「苦しいと感じるのは、あなたが生きているからよ」
ああ、そんな事言われたっけなあ。
私を渾身の力で抱き締めて、そう言った多季さん。あの時、全身に走る痛みを、今でも覚えている。