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嵐の海に浮かぶ月影  作者: 柚田縁
第三章
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5. 鉄鋼

 その翌日、海底に潜ろうとしている父を呼び止めた。

「なんだ? 何か用か?」

「ねえ、お父さん。次の仕事とか入ってるの?」

「いや、何にも入ってねー。入ってる訳がねーだろ?」

入ってる訳がねーだろと断言できるというのは、とても悲しい事のように思えるが、そんな気にさせないのが、私の父親の長所なのかもしれない。

「お前、何か用事でもあるのか?」

「うーん」

そう言いながら、私は周囲を見回して、冬馬がいないことを確認した。

 そして小声で、「冬馬を泳げるようにしようと思って」と言った。

「はぁ? それができれば、幸いだが。そんな事できるのか?」

「分からない。三月が言ってたの」

「三月がねぇ」

彼は少し考えるように目を閉じた。何を考えているのだろう。

 少し経って、彼は唐突に、「で」と言った。

「どこへ行けばいいんだ?」

「浅瀬だって」

この世界に浅瀬なんてそうそうあるものではないが、多少の陸地があるくらいだから無い事もない。

「ここからだと、そうだな、アンデス海岸が近そうだな」

「あ、そうそう。三月もそう言ってた」

「三月が? 記憶でも戻ったのか?」

「うううん、まだみたいだけど」

自分で言っておきながらも、私は軽い違和感を覚えていた。だが、三月自身がそう言っていたのだから、敢えて黙っていることにした。

 引き上げの作業は順調と言えなくもなかったが、元々ノルマが大き過ぎたのは問題だった。

 作業開始から三日目、これまで一緒に作業を行なっていた別の船の大人たちが、何やら騒いでいた。私は積極的に彼らの元へ向かい、何が起こっているのかを尋ねた。実際に話し掛けたのは、別の船で私と同じようにナビゲーションをしている女性だった。

 彼女は冬馬が海に落ちた事を教えてくれた人だ。

「何かあったんですか?」

「あ、冬海さん」

彼女は遥かに年下である私を、さん付けで呼ぶ。

「あのね、鉄鋼の人たちが来たの」

「え? 鉄鋼が?」

私は数日前に父と先生が話していたことを思い出した。先生の考えは全く正しかったのだ。

「まだ研究船のレーダーに船影が映っただけなんだけど、この海域へ向かっているのは間違いないみたい」

彼女とはそこで別れ、詳しい事を知るために、今度はリカルド先生か父親を探し始めた。先に見つかったのは、忙しそうに普段よりも二割増くらいの歩調で歩いている先生だった。

「リカルド先生、鉄鋼が来たって本当ですか?」

もちろん、この時点で疑っていた訳ではない。

「冬海か。本当だよ。これから、俺が交渉に向かうところなんだ。当然、退いてくれるなどという甘い考えは持っていない。これが少しでも時間稼ぎになればいいと、そのくらいの意味しかないんだよ」

いつもなら話さないような裏事情まで余計に話をしている事から、少なからず当惑しているらしいとわかった。

「頑張ってくださいね」

私はそのくらいしか言えなかった。

 歩き去る先生の後ろ姿を見送りながら、私はその場で呆然としていた。やがて、一隻の小型船が東の海へと向かっていくのが、視界の端に映った。そうなってからやっと、私の足はゆっくりとだが動き始めた。

 数日前の先生と父との会話が再度脳裏を過ぎる。それによると、この交渉で二日間は凌げるということになるらしい。だが、私には、そうは思えなかった。

 これと同じ考えを持っていたのが、私の父だった。操舵室で海図をじっと眺めていた父に、私は先生の交渉について話した。

「二日とは随分楽観的な事を言ったものだな。俺はてっきり、それ以外の作戦があるのかと思っていたのによ。あの先生はあんまり交渉向きじゃねーんだ。一日でも止められればいい方だろうな」

その言葉の大半は当たっていた。だが、少しだけ違っていたのは、一日も止められなかったということだ。

 先生が鉄鋼の船から戻ってくるよりも早く、鉄鋼の作業員が、遺跡の近辺で確認された。それはつまり、交渉中にも海底からの進攻が行なわれていたということを意味している。戻ってきた先生は、その事実を知らされると憎々しげにこう呟いた。

「逆に時間を稼がれたのはこっちだった訳だ」

そんな彼に、私の父は言った。

「こんな事をしている場合じゃないぞ。あいつらのやり方、知ってるだろう?」

「ああ、もちろんだ」

引き上げようとするものに対する考えは、考古学者と鉄鋼業者では大きく異なっている。考古学者は遺産をできるだけそのままの状態で引き上げようとするが、鉄鋼はどうせ溶かしてしまうのだからと、引き上げやすいように海中で細かく解体してしまうのだ。

 このまま何もしないでいれば、貴重な遺産の数々はバラバラにされてしまう。

「早く引き上げないと、大変……」

私は思わずそう洩らした。

 それに対して先生は、「そうだな」と言った。

「だけど、それだけじゃあいつらは止められない」

「どうするんだ?」

「あいつらを正規の手続きで止めるには、遺跡を連合の保護下に置かなければいけない。この遺跡の重要性は、十分保護されるべき条件を揃えている。だから、視察さえ行なわれれば、もう保護されたと考えていいだろう。俺は今現在引き上げられているものを持って、一番近くの連合支部へ行こうと思う」

それを聞いた父は、黙り込んで考えた。腕を組み、目を閉じた。

 やがて、「そうするしかないな」と、溜め息混じりに答えた。

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