4. 多季さん
私と多季さんには、血の繋がりが無い。私から見て、彼女はいわゆる継母だ。
本当の母は、私が多季さんに合うよりもさらに以前、当時甲斐性無しだった父を捨てて船を出たと聞いている。だから、血縁関係のある方の母について、語れる事は無いに等しい。
しかし、多季さんについては少しだけ思い出がある。
あの人がこの船にやって来たのは、私が今よりもずっとずっと幼かった頃で、物心付くか付かないかの瀬戸際だった。だから、その当時のほとんどが夢か何かのように曖昧で、しっかりとした形で記憶に残されてはいない。
だが、多季さんが法律上、私の母親になった時の事は、出来事として何とか思い出せる。
私の父と夫婦となる前から、私は多季さんの事を知っていた。何故なら、多季さんは海洋考古学者で、海から引き上げられる過去の遺物を調査するという仕事をしていて、それらを引き上げる仕事を主に引き受けていたのが父だった為に、父の仕事の度に何度も会っていたからだ。
多季さんは感じの良い人だったと思う。だから私も、彼女に懐いていた筈だ。
けれども、その人が突然母親になるとなれば、話は別だ。
ある日突然、私は無神経極まりない父親入日に、昨日まで何となくそこにいたお客さんを、母親になる人として紹介された。
その時の私の心情がどういったものであったのか。さぞ混乱したに違いないのだが、あまり記憶に残ってはいない。
もしかしたら、頭の中が真っ白になってしまったので、案外何も感じていなかったのかもしれない。少なくとも、その時点では。
多季さんがやって来てからの生活は、やって来る前の生活とそれほど変わったものではなかった。繰り返す事になるが、何せ彼女は以前からよくクライアントとしてやって来ていたのだから。
しかも、サルベージの作業は数日に及ぶことがほとんどで、その間は私達の船で寝食を共にするのが普通だった。
確かに、多季さんと私との関係は、悪いものではなかった。しかし、それはあくまでも法的に他人である二人の間においての関係であり、親子としての関係ではないのだ。
私は、そんな多季さんを、やはりお客さんとしか見られなかった。
その名残が、今でも、私に彼女を『多季さん』と呼ばせている。