7.彼らを縛るもの
十二年前の真実を知りたければ、明日の夜、十二の鐘が鳴る頃に広場へ一人で来てくれ
なお、あの魔物は街の出口で待機させておくこと
アレク
宿の中で顔を隠して食事をしていたところ、ふいに袖を引かれて振り返るとそこには子どもが立っていた。見覚えのない少年はミリカの顔と名前を確認した後に、その手紙を渡していった。
「人海戦術とは……やるわね、アレク様」
ミリカたちが確実にこの街にいるとわかっているならわざわざ自分たちの足で探し出す必要はない。アレクは街の子どもたちに金を払い、宿屋だけでなく他の店や民家でもどこでも、人を泊めそうな場所全てに潜り込んで該当者らしき人物にこの手紙を渡すよう小金を渡して頼みこんだのだという。
子どもを使ったのは彼らであれば警戒されずに入りこめる場所が多く、報酬が大した額でなくても遊び感覚で引き受けてくれるからだ。大人の男性ならばともかく、相手がミリカであれば子どもの入れない娼婦の家などに泊っていることもない。潜むことが得意な盗賊やその手の商売の人間ならともかく、いくら村で悪知恵を働かせていたとはいえ所詮まだ十七歳の少女に高度な潜伏技術などあろうはずもなく、あっさりと発見され、件の手紙を渡されることとなった。
これから街を出ようとしても、どうせ出入口はアレクとエイザムが見張っているのだろう。ミリカは溜息をついた。
「どうしよう……」
真実という言葉には魅力があり、ミリカはこの誘いに乗るべきかどうかと考えた。しかしそうなれば、ラーイと引き離されてしまう。向こうにはエイザムもいるのだ。今度こそ自分は殺されるのだろうか。しかし。
「ラーイ、ちょっと相談があるんだけど」
「どうした?」
結局ミリカは誘いに乗ることにした。その日の夜、指定された時刻に街の広場へと赴く。
そこにいたのはアレクではなかった。
「エイザム! どうしてあんたがここにいるのよ!」
「文句ならアレクに言えよな。ちなみにあいつは門の方に向かっているが」
「ラーイの方に!?」
ミリカのもとに現れたのはエイザムであり、ラーイにはアレクが向かっているらしい。血が沸騰するような怒りを抑えて、ミリカはエイザムと向き合う。
「わかりやすい罠をどうもありがとう。そんな手段に引っかかったあたしの間抜けさに拍手が欲しいところだわ」
「……ミリカ、お前、何故ここに来た? そんなにアレクを信用しているのか」
「まさか。ここ最近までは、十二年前に一度しか会ってない相手だもの。こういう手に出るのは予想外だったけどね」
「なら何故」
「……あの人になら、殺されてもいいと思ったから」
彼女は初恋の人の幻想を噛みしめ、それを聞いたエイザムは現実で歯ぎしりする。
「ああ、そうかよ! そんなにあいつのことが好きだってんだな!? 十二年もお前を放っておいた男を! いつも傍にいた村の奴らでもなんでもない、あいつを!」
「エイザム?」
いつにない彼の様子に、ミリカは不審を感じた。そもそも彼女を殺すことがエイザムの目的ならば姿を見せたその時点で襲いかかればいいものを、何故彼はこんな話をこんな時にしているのだろう。
「……俺は、お前はどうせ誰のことも好きにならないんだと思ってた。まさか今更、十二年前の王子様が出てくるなんて思わなかった」
「エイザム、あんたまさか」
深すぎる彼女の心の傷を知るエイザムは、それ故に今まで言いだせなかった。自分へと向けられた彼の想いにミリカはやっと気づく。
「……でもあんた、そもそもあたしを生贄の穴に突き落とした張本人じゃないのよ」
好きっていうなら助けろよ、と呆れてしまう。あれで気づけと言う方が無理だ。
「ふん。そうだな、確かにあのタイミングで命助けてやって口説けば普通の女ならどんな男相手でも転ぶよな。けどなミリカ、お前は、あの時俺がそうすれば俺のものになったか?」
「……」
問いかけられてミリカは黙る。その沈黙が答だった。
「お前のことだからどうせ“命乞いみたいにここであんたの女になるくらいなら死んでやる!”って自分から穴に飛び込むタイプだろ」
そうかもしれない。いや、確実にそうだ。さすが幼馴染、エイザムは正しくミリカのことを理解していた。
「俺のものにはならないけど、誰のものにもならないと思っていたのに。アレクどころか、お前はあんな化物を選ぶんだもんな……なんて男を見る目がない女なんだ」
「悪かったわね」
言いながらミリカは懐に隠し持っていた短刀を取り出し、エイザムもまた、似たような短刀を構える。お互い軽口を叩き合いながら、これが最期の会話だとわかっていた。
二人の道は交わらない。エイザムがミリカを突き落とした時に、ミリカがラーイの手を取った時に、それは決まったのだ。だからもう、これで終わりにするべきなのだろう。
夜の広場に、刃を交える音が響きだす。
◆◆◆◆◆
ミリカに言われて街の出口である門を目指したラーイは、そこで自分の今の顔にそっくりな青年の姿を見つけた。
「む」
青年とは言うまでもなくアレクのことだ。のこのことやってきたラーイを、きつく憎悪をこめた榛の瞳で睨みつける。
「久しぶりだな。エンディアの魔物よ。僕のことを覚えているか?」
「何の話だ」
例によってラーイは覚えていない。青い獣にとってこの世の全てはどうでもよく、ただ虚ろに己の周囲を流れていく景色に過ぎない。
「そうか……お前にとって、所詮人間の命はその程度のものなんだな……」
顔を上げてラーイを睨むアレクの手には、すでに剣が握られている。エイザムやミリカのような農民がとりあえず振り回してみる短刀ではなく、戦いを訓練された者の動きで自分と同じ顔の少年に斬りかかった。
一度避けられても、ニ撃、三撃目と斬りかかる。しかしことごとくかわされて、ラーイの頬に一筋赤い線を残すくらいしかできない。
「なんだ、貴様は? 我に何の用だ」
ひょいと身軽に攻撃をかわし続けたラーイはそのまま、最後には人間離れした跳躍力で民家の屋根へと飛び移った。そこではさすがにアレクも手が出せない。
「降りてこい! 決着をつけろ! 我が父母我が仲間の仇よ!」
「仇……」
「僕の両親も仲間も、お前が殺したんだ! それにお前は、ミリカの両親の仇でもある!」
何故ミリカがこんな化け物と一緒にいるのかアレクにはわからない。それが彼女に両親の死の状況をきちんと伝えていなかった自分の責任だと言うのであれば、ミリカのためにも今ここでこの魔物を殺してしまうのが自分の役目だろう。
アレクはそう考えることによって自分の中の虚しさを激情に変えて痛みを封じる。
自分の名前で差し出した手紙を見てミリカが向かっただろう広場にはエイザムが待ち構えている。彼女は突出した身体能力などを持っているわけではなく、腕力も普通の少女だと聞いている。大の男であるエイザムに敵うわけもない。自分と魔物の戦いが終わった時には、もう彼女は死んでいるのだろう。
それなのにアレクは、今ここでこの魔物と戦わずにはいられないのだ。王都からの依頼などではなく、ただ様々な感情の絡みついた私怨のために、目の前の化物を憎まずにはいられない。
十二年前、自分の両親を殺し、仲間を殺した魔物。壊れ倒れたミリカたちの馬車の傍、彼女の両親の死体の傍で蹲っていた魔物。
お前さえいなければ、全ての悲劇は起こらなかったのに!
「戦え! お前を殺し、仲間の仇をとり、彼女を自由にする!」
「……だから、何の話だと言っている」
獣は不愉快そうに鼻を鳴らした。ラーイからしてみれば、アレクの言うことなどさっぱりなのだ。彼としては何もしていないのに魔物と言うだけで襲ってきた人間たちを返り討ちにしただけであり、悪いなどと思うはずもない。ミリカとのことも二人の間の契約であり、アレクは関係ない。アレクが何を怒っているのか、ラーイには理解できなかった。
だが人の感情を知らぬラーイにも、目の前の青年に対する不愉快さはあった。ミリカは彼に会うためと言って出ていったのに、何故この男がここにいる?
「我はお前が嫌いだ」
「は?」
「ミリカはお前に会ってからお前のことばかりだ。お前嫌いだ」
自分と同じ顔が真剣に頬を膨らませるのを見て、アレクは一瞬呆気にとられた。
「我はミリカの中にある記憶を見てこの顔を作った。なのにミリカは我に対しては態度を変えない。なのにお前と会ったら急におかしくなった。ハツコイだかなんだか知らないが、お前は嫌いだ」
アレクはずっと、ミリカが自分のことを忘れるのを恐れていた。当時五歳の女の子だ、十年以上過ぎてから会いに行っても自分のことなど覚えていないだろう、と。初めからどこか諦めていた。
けれど彼女の記憶から取り出したという魔物の人型の顔は、年齢を除けば現在の自分の顔とそう変わらない。彼が忘れられることを恐れる間、彼女は何度自分のことを繰り返し思い出していたのだろう。
――なんでもっと早く迎えに来なかったんだ! アレク、あいつはお前をずっと待っていたのに!
「我を恐れず、“信じる”と言ったのはミリカだけだ。誰もが我を勝手に恐れ、嫌う」
生贄の娘たちがやってくるたびにラーイは密かに傷ついた。彼女らは怯えるばかりで、ラーイの話など一言も聞いてくれやしない。
そうでないのはミリカだけだ。だから魔物にとって彼女は特別なのだ。
「僕は……」
アレクの肩から力が抜け、見る見る戦意が消えていった。屋根の上からその様子を見下ろしていたラーイだが、ふいに表情を変える。
「ミリカ!?」
次の瞬間、青い獣が広場に向かう道を走り出していた。




