2.遅れてきた騎士
「あーっはっはっは!」
ミリカは上機嫌だった。
『年頃の娘にしては悪役笑いが板につきすぎているな。と言っても幾つなのか知らんが』
「十七歳よ」
『なるほど。人間の見た目はわかりにくいな』
「あんたに言われてもねぇ……」
ミリカはラーイの協力を得て、村への復讐を先程終えたばかりである。ラーイはミリカをその背に乗せ、これまで幾人もの娘たちが突き落とされて絶望を感じた縦穴をひとっ飛びで脱出した。そのまま村に戻り、家々を荒らし人々を驚かせて逃げてきたのだ。青い毛の四つ目の巨大な犬に度肝を抜かれる男たちをその背から眺めるのは、ミリカにとって爽快な体験だった。
「さて、このままここにいるのも危険だわ。別の街に逃げましょ。それにしても、ラーイ、あんたがこんな一財産隠し持っているとはね」
現在自分の着ている服を見下ろしながら、ミリカは感心する。
『うむ、何故か持っていた』
「それが身内の言なら夢遊病にでもなって何か一犯罪おかしてきたんじゃないかと疑いそうな素敵な台詞をどうもありがとう」
『もともとは昔我を襲った人間か誰かが持っていたものだろうな。お前に合う布があって良かった』
「布ってか、服って言うのよ。でも本当、随分いいものねこれ。……血痕さえなければ」
十年以上を森の中で暮らしていたという犬型の魔物ラーイ。そのはずなのだが、何故か彼は人間にとって価値ある宝石や衣服を持っていた。巣穴の中でやけに装飾の激しい箱を見つけ、怪訝に思ったミリカが中を確認してみたところ、それは高価な布地を使ったドレスやアクセサリーの類だったのである。
いかにも魔物が持っているお宝らしく、上等なそれらには古い血がついていた。どうやらこの魔物は物覚えが極端に悪いらしく、その血の主は覚えていないという。
『いつだったか、我は誰かと約束をしていた気がする。この森で何かを待つのだと。だが誰とどんな約束をしたのか、もう我も忘れてしまった』
「その相手って人間だったの? ……もしかして、この箱も服もその相手の持物? あんたはその相手をここで待ってなくていいの?」
『ここに来る相手がいるわけではない。だが何か、約束があったのだ。何かを待っていたのだ。人か、物か、時か。その約束が何かを忘れてしまったのだが』
「はぁ」
滑らかな布地を手に取りながら、どうせこれ以上聞いてもわからないだろうと、ミリカは追及を諦める。
「忘れちゃったなら仕方ない。ま、どうせ切羽詰まったら死体から金目の物はぐとか、死体作るところからやるとかは避けられなかったんだもの。細かいことは気にしないでありがたくもらっとくことにするわ」
『似合っているぞ、ミリカ』
「お犬様に褒められるなんて、なんて光栄なのかしら。人間名乗るには脳の足りないエイザム辺りにあんたを見習わせたいわよ。でも……少し気になるのよね。あたし、髪が派手だから派手な色のドレスは似合わないのに」
ミリカは自分の見事な赤毛を撫でながら呟いた。彼女は美人ではあるが、美人であれば何でも着こなせるというものではない。基本的に粗末な格好ばかりしていたが、村でたまに手に入る上等な服も試したことはある。
「……まぁいいか。着られないならともかく着られるんだし」
『我としては、お前が森の中に金を隠していた方が意外だが』
「あたしは誰も信用しないからね。いつか出て行ってやろうと思っていた村だもの。養父の酒代の中からちょろまかして貯めてたのよ」
用意周到な少女は、村を襲う前に金を取り出しに戻っていた。狩りが始まる前に故郷のアダルとも、生贄の娘たちが逃げたネグロとも別の場所に逃げねばならない。ミリカの貯めていた金とラーイの血痕付き隠し財産を上手く使えば当分の間金には困らないだろう。
『信用しない? 我もか?』
「ラーイのことは“今は”信用してるよ。これからのことは、これから次第。さて、ところで……これからどうする? あんたの図体だと目立つと思うんだけど、夜まで隠れられそうな場所ってあるのかしら」
人の身体の二倍もある巨大な魔物を連れ歩くことがどれほど大変か、ミリカはこれでもわかっているつもりだった。一応ラーイに復讐を手伝ってもらった恩義はある。必要なら街や村で食料調達してラーイのもとに運ぶ「ごはん係」の労苦も辞さない覚悟だった。
とはいえ愚痴が出てしまうのは仕方がない。
「せめてあんたが人間になれたら行動範囲も広がるんだけどね」
『なれるぞ』
「そんなおとぎ話みたいなことは……って、なれんの!?」
『一応な。額を貸せミリカ』
「さすが魔物ってところ?」
言う通りに前髪を掻き上げた彼女の額を、ラーイは二本の長い舌を伸ばしてべろりと舐める。……後で拭こうとミリカは思った。
「まったく、いきなり何を……て、え!?」
ラーイの姿がいきなり縮み、文句を吐きかけていたミリカは再度驚きに言葉を遮られた。人間の姿に変化できると言われたのだから、魔犬の巨体が縮むことまでは予測済みだ。問題は彼が変化した、その姿にあった。
「な、な、な、なん、なんで……!」
「お前の記憶を読ませてもらった。我はもともと固定の人型を持っているわけではないので、この顔を借りる。……どうした、ミリカ」
声まで人間と合わせているのか、これまでと違った響きを持つそれを気にする余裕も今のミリカにはない。とりあえずラーイの顔面に拳を繰り出す。
「勝手に人の初恋の人の記憶を読むなこの馬鹿ぁ!!」
「貴様がなれと言ったんだろうに」
姿を変えても本性は変わらないのか、殴った感触が少しおかしかった。とはいえ今のラーイは、見た目だけは完璧な王子様だ。青毛はそのまま青い髪に、瞳は赤く。年の頃十七、八の美少年。
ミリカが自分で暴露した通り、それは彼女の初恋の少年の記憶だった。しかも実際に出会ったのは彼が十歳頃の話で、ラーイがとった姿はそこからミリカが想像の上で年を重ねた、記憶どころか妄想の中の姿だ。
「よりによってなんでその人をチョイスするのよ!」
「嫌か? だがお前の中には、他にろくな男の記憶がなかったようだからな。我も一応雄なのでな、女には変化できないらしい」
「………………そうね、酔いどれオヤジやエイザムなんかに化けられた日には、あたしはあんたを撲殺して一人で逃げるわね」
「なんだ。結局どのような姿をとっても殴るのか? 人間とは面白いな」
そう言うラーイは吃驚するほど鷹揚だ。あんたの方がよっぽど面白いわ、とミリカは溜息をつく。
「ううう。でもまぁ、これで最大の懸案は片付いたわけだし、とりあえず一番近い街に向かいましょうか」
「おう」
◆◆◆◆◆
風の匂いが変わってきて、彼は瞳を柔らかく細めた。埃っぽい街道が終わり、森の近くの街に近づいてきている。灰色の建物の向こうに広がる緑の影。
かつてこの道を通った頃、彼は幼い子どもだった。右も左もわからず大人たちの指図で動き、そのくせ我儘で落ち着きがなかった。今はあの頃よりはしっかりしてきたと思う。
二十を二つほど過ぎた今の自分と、十になったばかりの頃を比べるというのもおかしな話だが。
彼――アレクにとって、あの時のことは感慨深い経験だった。初めて本気で生き物を殺そうと思い、人を救いたいと願い、そして実際に誰かの人生に自分が影響を与えた日。
サディラ王国エンディア地方には、かつて魔物が住んでいた。そしてネグロの村を東に持ち、西にはアダル村があるドーラ大森林は、十二年前に彼らの一行が倒そうとした魔物が逃げ込んだ辺りだ。深手は負わせたが、死体は見ていない。これまで死んだのだろうと言われていたが、気になることに、この森に近づくにつれて、街で魔物に関する噂を聞くことが多くなった。
そうなると、ドーラ付近の村に住んでいるはずの少女のことがアレクは心配になる。自分が人生を左右してしまった少女。
「ネグロで休み、南に迂回すればアダルの村か……あの子、元気にしているかな」
名前も知らぬ彼女に想いを馳せる――。
しかし現実とは往々にして想像より美しくない。
「つかぬことをお伺いしますが、この村では現在包帯が流行りのファッションアイテムなんですか?」
「そんなわけねーだろ兄ちゃん。どう見ても怪我人の装いだろこりゃ」
アレクが十二年ぶりに辿り着いたアダル村は、大変な状況だった。局地的に嵐や竜巻でも起こったのか、家や牛小屋の壁に穴が空き、水車小屋の水車も破壊されている。本来牧歌的なはずだった景色は悲惨な有様で、住民たちのほとんどは体のあちこちに包帯を巻き、薬草の匂いをさせていた。
とはいえ彼らの怪我はそう重いものではなさそうだ。軽傷の人間が多く、ざっと見渡したところ重傷患者がいる様子はない。骨折をしている人間もおらず、包帯は浅く長い傷を覆うために使われているようだ。
「一体何が……」
「あのクソ女!」
事情を尋ねようとしたところ、いきなり目の前で毒づかれた。あの女、と言うからにはアレクに対し毒づいたわけではあるまい。農夫らしき体格の良い男がぎりぎりと歯ぎしりする。
「女?」
「そうだよ! 魔物への生贄になるはずの女がそのまま魔物を手下にして、この村で大暴れしてったんだ! 悪魔かよあいつは!」
やはりあの時の魔物は生きていたのだろうか。そうアレクがすぐシリアスに浸るには難しい内容だった。
「ちょっと待ってください。何が何だって?」
「なんでもねーよ。余所者は口出すな」
一方的に愚痴っておいてそれはないだろうということを男は言った。しかし村の惨状を見る限り、確かに彼らの気が立っていても不思議ではない。生贄などという聞き捨てならない単語もあったが、こういった場合真正面から問いただすのが上手いやり方ではないこともアレクは知っている。
村のことも気になるが、ここはいったん話を逸らそうとアレクは考えた。ちょうど気になっていたこともあり、十二年前にこの村に預けた少女のことを尋ねる。
「あのー、ところでお聞きしたいことがあるんですが」
「なんだよ兄ちゃん」
「以前、この村で預かっていただいた女の子は元気にしていますか。燃えるような赤い髪に琥珀の瞳の……」
「あんたあの時ミリカを連れてきた坊主か!」
瞬間、相手の顔色が変わった。もとより友好的でこそないが旅人に対し冷たいわけでもなかった農夫の表情が、仇でも見る目になる。
「あんたのせいで、この村は……!」
「おい、ダン。どうしたんだ? 何をわめいている」
「エイザム! ロニス!」
詰め寄られて対応に困ったアレクのもとに現れた助け船は、似たような年頃の二人組の若者だった。一人は鋭い目つきで体格も良い二十歳を過ぎるかどうかといった青年で、もう一人は年の頃こそ同じくらいだが受ける印象は正反対のひ弱そうな青年だ。
鋭い目つきをした茶髪に青い瞳の青年が、アレクに詰め寄る農夫に声をかけてくる。どうやら村の纏め役に近い役割を振られているらしく、自分より年上の農夫に対しても堂々と話しかけた。
「余所者と揉め事起こすなよ、面倒なことになるぞ。ただでさえ今はあいつのせいで大変なんだからな」
「そのミリカだよ! あの鬼っ子を連れてきたの、ここにいる兄ちゃんだぜ!」
「何?」
エイザムと呼ばれた青年の視線がアレクの方へと向けられる。アレクは事情はわからないなりに、まっすぐに彼の眼を見つめ返した。一人旅の場合こんな時、舐められたらおしまいだと経験が語っている。
「……そうか。あの時の……。あんたがミリカをこの村に預けた相手か」
「あの時の少女は、ミリカと言うのか」
「なんだ? 名前も知らなかったのか? だが間違う心配はねぇもんな。あんな赤毛、そうそういない」
「彼女は元気にしているか?」
「――」
エイザムはちらりと農夫の男に視線を向けた。ダンと呼ばれた農夫は首を横に振る。
「どこまで話した?」
「まだ何も聞いてはいない」
「……ふん、あんたも一応はあいつのことを気にしているってわけか。つまりこうさ、ミリカの金髪王子様、あんたが昔この村に押し付けてくれた厄介者は、二年くらい前から森で目撃されるようになった魔物への生贄に選ばれた。だがどんな魔法を使ったものか逆に魔物を手懐け、この村を襲ったんだよ」
「な……」
アレクは流石に言葉を失った。
「でも、エイザム。ミリカのせいばかりでもないよ。私たちが彼女を生贄にしたのは確かだ」
「ロニス」
「それにヤヌエさんはいつも酒が入るとあの子を殴る人だったし。なまじ彼女が美人だからって、孤児だと馬鹿にしながらからかう人が多かったから……」
それを聞いて、アレクは息を呑んだ。酒に酔って殴る? 孤児だと馬鹿にし、美人に成長すればからかう? あの時の村長は、あの子を大切にしてくれると言ったではないか。
だがアレクはぐっと唇を噛みしめて罵詈雑言を吐きたい気持ちを抑えた。この原因の一端は幼かった自分の見通しの未熟さにあるのだ。自分が連れていくことはできなかったからとはいえ、簡単に彼女をこの村に預けたその責任はアレク自身が負うべきものだ。
「ロニス、だからってこんなことが許されると思うのか? 生贄ならアイツ以外にもいたじゃないか。そいつらのことは俺たちと同じく見捨てたくせに、いざ自分が選ばれたら腹いせか」
「だけど実際に怪我をしたのは、占いで生贄には選ばれなさそうな男たちばかりだよね」
エイザムと呼ばれた青年は押し黙った。アレクがよくよく二人を見比べてみると、エイザムは左腕に軽傷を負っているが、ロニスには傷一つない。
「それにミリカ、自分に嫌がらせしてた相手は家に鍵かけて閉じこもっても無理矢理魔物に扉を壊させてまで襲っていたし。あと、彼女を魔物の巣穴にぶち込んだ人たちのことも」
「だから! そういう執念深さがアイツの嫌われる原因になっているんだろうがぁ!」
次第に明らかになるミリカの所業に、アレクはどこか遠くを見つめたくなった。村人も村人だが、彼女も彼女だ。
「……とにかく、あれのことはこれから考えるんだろ。魔物のこともどうにかしなきゃなんねーし。本当ならそんなこと、余所者にぺらぺらしゃべることじゃねーんだがな」
エイザムはぎろりとダンを睨んだ。村の付近の森から魔物が出たなどと知れば、周囲の村や街はアダル村との交流を断るだろう。陸の孤島になっては村民の生活が成り立たない。
「あの、そのことなんだが」
アレクはこの中では一番顔が利くらしいエイザムに声をかける。
「その魔物のことなんだが、詳しく聞かせてくれないか。僕は十二年前、王都からの魔物討伐隊の一員でここまで足を運んだ。もしもその魔物だったら――」
エイザムは鋭く瞳を細めた。
「……詳しく聞かせてもらおうじゃないか」