第五話 未練
「貴方の未練は何ですか――?」
将行が去ってから何分、何時間そこにいたのだろうか。涙も乾き、何を考えるわけでもなくただ呆然としていた高志の前に、1人の老人が現れた。わずかに残っている白髪とシワが目立つ老爺だった。
「……?」
高志は耳に入ってきた言葉を頭で理解するのに数秒かかった。既に乾いている涙を手でぬぐい、老人のほうを向いた高志。
何だろ、この人――死人?
足がないわけじゃない。そんなのは自分だって同じだ。ただ空気が違う、将行や石山とは違った空気。そう、自分と同じ空気を吸っているような感覚だった。
「俺の未練は――」
答えられなかった。老人はそんな高志をみて一歩前に踏み出すと言った。
「未練がないのなら、もっとこっちでゆっくりしませんか? 私らのように生きてる人たちを見ているというのも楽しいですよ」
高志は不思議な気分だった。もっとこっちにいたい。こっちにいて、将行や宮本さん、そしてクラスの連中が生きてるのを見ていたい。
高志は操られるように立ち上がり、老人の元へと足を踏み出そうとした瞬間。後ろで砂利を踏む音がした。
「何をやってるんだ?」
高志はその声で我に帰り、振り返ると石山がいた。一方老人の方は、驚いたような顔をして石山を見つめていた。
「勧誘か?」
石山は高志には目もくれず、老人のほうを向いて再び言った。その目はとても冷たく、どちらかというと、いつも教室で見る石山と同じ目をしていた。
「話し相手もいないのでねー、寂しくなってしまったんですよ」
老人はそんな石山に臆することなく、独り言のように空を見上げながら言った。
「あんたは人に害はないから安心して残したもの探して下さい。もし成仏したいのなら、祖父にでも頼んでみて下さい」
石山はそう冷たく言い放つと、高志に向かって目で合図して来た。おそらく「行くぞ」と言う意味だろう。高志は石山に従い、その場をあとにした。
石山は墓を抜けるまで一言も口にしなかった。墓を抜け、本堂へと続く石階段の途中に座り込むとやっと口を開いた。
「危なかったな、お前」
「え?」
高志は意味が分からなかった。
「あのじーさんはな。仲間が欲しかったんだ。松野ついて行こうとしてただろ? あれでついてったら本物の悪霊になって、俺の力じゃ成仏させられなくなってた」
だから石山は俺1人で外に出るのを拒んでいたのか。高志はそれで昨日から不可解に思っていた謎が解けた。
「でもあの人悪そうに見えなかったぞ。あんなひでえ言い方しなくても良かったんじゃねえの?」
高志は先ほどから気になっていたことを口にした。
石山は軽くため息をつくと、立ちっ放しの高志を見上げ高志と目を合わせながら言った。
「俺は神じゃない。霊なら全部救ってやれるわけじゃない。救えないものには下手な優しさより突き放したほうがお互いのためだ」
石山は先ほど老人にも見せた軽蔑のような冷たい視線を高志に向けていた。下から見上げられているのにも関わらず、高志は思わず一歩下がってしまった。
「松野言ったよな。何で学校でもあんな無表情なんだ? って。俺はな、好きで無表情なわけじゃないんだよ。死者といるとな、笑ったり、泣いたり、怒ったりすんのが馬鹿らしくなってくんだよ。それでも俺は死にたくはない。俺みたいな半人前でもやるべきことが沢山あるからな。それが終わるまでは死ねないんだ」
石山は高志から目を反らし、地面を見つめながら言った。石山らしい、まっすぐ意図を伝えてくる言葉だった。初めて聞かされた石山の本音だった。というより、初めてこいつとこんなに長い間会話をした。いつも他人とは干渉せず、気味が悪いやつだと思っていた。自分が出来る限りの霊を慰めて、毎日生きてるやつだとは微塵にも思っていなかった。
「みんな強すぎだよな……」
高志は下を向いていた。石山のように言葉を選ぶためにではない。気まずさから来る罪悪感が高志に下を向かせていた。
石山だって将行だって、多分宮本さんだって――いや、生きてるやつで辛いことがないやつなんかいない。そう、そうなんだ。頭では分かってた。分かってたけど、俺には耐えられなかった。紙の上の数字に一喜一憂して、やりたいことも全部我慢して全てそれにつぎ込んで、そんなことまでして手に入れるものってあるのか? あったとしても、得るものより失ったもののほうが大きいような気がしていた。生きてる意味などない。と本気で思っていた。
本当か? ふいに自分のなかに疑問が生まれた。本当にお前は生きてる意味がなかったのか?家族がいた。親友がいた。クラスメイトがいた。毎日笑ってた。それでも生きてる意味がなかったのか?
それは――。自答できなかった。いや、自答したくなかった。
高志が下を向いて必死に考え込んだのを見た石山は、石階段の上に寝転がり次の段の上に頭を預け空を見ながら口を開いた。
「お前の選択が完全に間違っているとは思わない。人それぞれなんだろ。努力しても報われない世界なら捨てほうがマシかもしれない。でも楽しいことだってあっただろ? いい友達だっていただろ? 死ぬってのはそれを全部捨てることなんだ。何もかもなくなるの意味分かってなかっただろ?」
高志は下を向いたままだった。先ほど浮かんだ自答を口に出すことをためらっていた。口に出したら認めてしまうような気がした。
それでも。逃げちゃだめだよな。俺ずっと逃げてきたもんな。
高志はゆっくり口を開いた。
「俺の未練てさ――生きてた意味かな。よく言えないけど、俺、自分が死んでも誰も悲しまないって本気で思ってた。でも違ったよな。みんな泣いてた、俺が死んで泣いてた、それって俺が生きてた意味だよな? 俺、無意識のうちにそれ知りたかったんかもしれない。ホント馬鹿だよな。俺の選択は間違ってたんだよ。家族どん底に突き落として、親友泣かせて、惚れてた女まで泣かせてよ。どうしょうもねえよ」
また涙腺が緩んできた。高志の視界は涙で曇ってきたが、高志は特に涙を拭うこともせず、ただ立ったまま泣いていた。地面に涙が落ちているのに、地面は全く持って濡れていない――この現実が自分はここの人間ではないということをより実感させていた。
石山に突き放されるかな。とチラッと思ったが、石山は何も言わずただぼんやりと空を見つめていた。
ただその言葉ではない優しさが高志にとって何よりも温かかった。




