第三話 家族
「おい、どこ行くんだよ?」
高志は勝手にどこかに行こうとしている石山――今まで気づかなかったが、どうやら死んだビルの屋上にいるらしかった。に向かって言った。
「俺は家に帰るけど?」
当然だろ。とでも言いたげな顔でそう言ってきた石山。
「……俺は?」
「知らん。自分の家に帰れよ。そうだな、まずお前の親がお前が死んで喜んでるかどうか見て来いよ。俺んち寺だからよ。居場所なくなったら来い」
やっぱこいつんち寺だったのか。と思いながらも高志は黙って頷いた。
町を歩いてみると、自分が他人からは見えないのだということを実感した。体はすり抜けるため、人とぶつかっても何ともない上に、鏡にも姿が映らない。この世界にいるようでいない。そんな存在なのだ。自分は。
しばらく商店街を歩き、住宅街に入るとすぐ高志の家があった。
「お前の親がお前が死んで喜んでるか見て来いよ」
家の前に立つと先ほど石山に言われた言葉が蘇った。何となく静まり返っている家の敷居をまたぎ、高志は家の中に入った――体がすけるため、壁も通りぬけられるのだ。
自分の音は聞こえないはずなのに、どことなく息を張り詰め忍び足になってしまう。家の中はそれほど静まり返っていた。誰もいないのか、そう思いながら居間に入ると仏壇の前で、1人佇んでいる母親の姿があった。放心状態で自分の遺影をみている姿はとても見てられず、高志は思わず目を背けた。
「母さん……」
震える指でその肩に手を置こうとするが、すり抜けて触れることすら出来ない。母親の体温に触れることすら出来ない。その現実に高志はただ絶望するだけだった。
それから3時間ぐらいそこにいたのだろうか? 部屋の隅に座り、母親が放心状態で家事をする姿を見ながら、あぁ、あのゲームまだクリアしてなかったんだな。そういえば、あの本あいつに返してなかった。など、この家に置き忘れたものを一つ一つ思い返していた。
やがて夜になり、父親と妹が帰ってきた。2人とも母親と対して変わらない様子で、黙って母親が作った料理を食べていた。その姿はまるでロボットが動いているようだった。
「兄ちゃん、肉じゃが好きだったよね」
ふいに姉が口を開いた。その声は震えていた。
「そうだな」
父親はそういったっきり、また黙って夕食を食べていた。
「何で死んだりしたんだろ。あたしお兄ちゃんとゲームする約束してたのに。受験終わったらいくらでもやったる。って言ってたのに」
高志は黙って重い腰を上げた。重すぎてこれ以上この場にいられなかったのだ。
逃げるようにして家から立ち去った高志は家から少し離れた公園に来ていた。夜のためか、公園には誰もいなくて、敷地内は静まり返っていた。ブランコと滑り台があるだけの小さな公園。だが、高志にとっては、小さい頃の思い出が詰まった場所だった。高志はブランコの隣に1人腰掛け、大きなため息をつきながら空を見上げた。
何であんなどん底みたいな顔してんだよ……。俺1人死んだだけだぞ、それなのに何であんな真っ暗なんだよ。
笑ってるとは思わなかった、が、悲しむだけで絶望に浸っているとも思わなかった。
「どうだった?」
ふいに横から声がした。見ると、目の前に石山が立っていた。俺は石山が近くに来たことすら分からないぐらい考え込んでいたのだろうか……。高志は一瞬何を言おうか迷ったが、
「家に帰るんじゃなかったんかよ?」
と、石山に聞かれた質問の答えとは全く違う言葉を口に出していた。
「今何時だと思ってるんだ? 松野が変な霊に取り憑かれないよう見に来てやったんだよ」
お決まりのため息混じりの声で石山は言った。高志が公園の古びた時計を見ると、今の時刻が2時過ぎだと言うことを告げていた。なるほど。確かに真夜中だ。
「余計な心配ありがとうございます」
自然と口から出て来る皮肉混じりの言葉。高志は自分でも強がっていることは分かっていた。強がってないと、自分が保てないような気がした。
「まあ、いいけど。予想はつくし」
さらっと一連の会話を終わらせた石山だったが、高志は「予想がつく」という言葉に思わずドキッとした。
「なあ、石山って――鎮魂師だっけ? いつからそんなのやってんだ?」
間を作りたくなかった高志は、とっさに浮かんだ疑問を石山にぶつけた。大体、鎮魂師なんて名前ダサすぎだよな――とまではさすがに言わなかったが。
「ガキの頃から訓練みたいのはされてきた――霊が見えても、話せるのは難しいからな。こうやって仕事するようになったのはここ数年だけど」
石山は特に質問の意図を聞いてくるわけでもなく、ただ聞かれたことに対する答えを返した。
「いろんな霊がいるのんだよな?」
「そうだな。例えば――事故死・自殺・他殺・無理心中」
石山はそう言いながら、高志の隣に座り込んだ。相変わらず無表情で淡々としている。
俺だけじゃない。多分石山は本当に死にたくなくて死んだ奴の話も聞いてやって、未練なくこの世からおさらばさせなきゃなんねえんだ。
そういうのって、どんな気持ちなんだろ?
俺が生きてた頃だって石山は死んだ奴の相手をしていたはずだ。
「何で俺が死ななきゃならない」って言われたとき、こいつは何て言うのだろう?
「どうした?」
高志の顔を覗きこむようにして言った石山。寺育ちのためか、丸坊主までいかなくても髪はそうとう短かった。しかし顔は細面でその顔のわりには大きい瞳が、高志のほうを向いていた。
「石山さ。何で教室でもあんな無表情なんだ?」
死人を慰めて、鎮めて、そんな大変なことしてたら、せめて学校じゃ笑ってたいだろ。何でいつでも無表情で平気なんだよ。
「さあな」
石山は強がってるようには見えなかった。ただ苦笑いをしているだけだった。
そんな石山を見ていた高志の中に、何かモヤモヤとした感情が入り込んできた。石山だけじゃない、今もまだどん底の中で現実に耐えているであろう家族のことを考える度、高志の中の“それ”は次第に大きくなっていくのが分かった。
ただそれが何かは分からなかったが――
「さて。俺は帰るぞ。どーせ行くとこないんだから一緒に来い」
石山は立ち上がり、服についた砂を払っていた。
高志は渋々ながら頷き、2人は石山の家に向かった。




