憑いてるね、乗ってるね
海水のプールを囲む壁一面に、ツルのような植物が垂れ下がっていた。
ツルにはランに似た花が鈴なりに咲いていて、ツルも花も透きとおった翡翠色をしている。その緑のガラス細工のようなツルには、金色のリボンがたくさん巻きついていた。これはさっきのオキンタマダラだろう。きっとこの植物にとまって休んでいるのだ。
その翡翠と金でつくられたカーテンが、外から差し込む日の光を受けてキラキラと輝いている。
「綺麗でしょう?」
「うん」
後ろからかかった声に、私は素直にうなずいた。目は翡翠の花々に釘付けになったままだ。二度とは見られないであろう絶景から、どうにも目が離せない。
シャラン・・・シャララーン・・・。
穴から海風が吹き込んでツルを揺らすと、花どうしがぶつかって鈴のような音色を奏でた。金のリボンからはハラハラと金粉が舞い落ちる。私はうっとりとして花が奏でる音楽に聞き入った。
「なんとも美しいわよねぇ。私もこの音が大好き!」
へぇ、ルリも食べ物以外に心を動かされることがあるのね。そのわりに、さっきから熱心に潮溜まりで貝を漁ってるけど。
「え?」
私はパッチリと目を見開いてルリを見る。彼女は潮溜まりに腰まで浸かっていて、その目は水の底に向けられていた。周囲の美しい景色になど目もくれない。だいたい、彼女は私の前方にいるのだ。
じゃあ、私の後ろから声をかけているのは、だぁ〜れ?
その答えに思い当たって、私の背筋に悪寒が走った。いや、ここは有名な観光地だから、きっとほかの観光客に違いない。絶対にそうだ。
「あのぉ」
また後ろから声がしたので、私は思い切って振り返った。すぐ後ろにいた人物と至近距離で目が合う。それは青い顔の若い女性で、全身がずぶ濡れだった。髪や服からはポタポタと水がしたたり落ちている。
「ぎぁああああああああああ!!」
「ひぇ!」
私は腰を抜かして尻もちをついた。私の絶叫に相手も驚いたらしく、すすす〜っと後ろに飛んで数メートル先の大きな鍾乳石の後ろに隠れる。
うわ、飛んだ、飛んだよ!足が地面についてないのに、あんな遠くまで下がっていった!あれってやっぱり、ゆ、ゆ、ゆう。
「あの、すみません。驚かすつもりじゃなかったんですけど」
女は鍾乳石の柱から青白い顔だけ出してそう言った。
「ひいっ!こっ、ここここ」
私はまた小さく悲鳴をあげた。「こっち見ないで」と言いたいのだが、顎が震えてニワトリみたいな声しか出ない。
「大丈夫ですか、沙世さま」
ルリがやって来て、私の側にしゃがみ込む。さっきの悲鳴を聞いて潮溜まりから上がってきたらしい。彼女は彼女で全然濡れていないのが不思議だが、それは今は置いておくことにする。
私は震える手でびしょ濡れの女を指さした。
「ああ、見えてしまったのですね」
ルリは眉根を寄せて女の方を睨む。
「知ってらの?」
噛んだけど、ようやく口が利けるようになった私は聞いた。
「ええ、ここに入って来たときから沙世さまの周囲をウロウロしていたのですが、害はないと判断して放っておきました」
「それってその、ゆ、幽霊ってことだよね?」
「そうですね」
やっぱり、と震える私に、ルリはさらに恐ろしいことを言った。
「アレが見えて話もできるということは、もう沙世さまに憑いちゃってます」
「ウソでしょう!?」
あの幽霊に憑りつかれちゃったってこと?なんで?
私はお尻でじりじりと後ずさる。腰が抜けたままで立てないのだ。自分でも情けないと思うが、なにせ幽霊に憑りつかれるのは初めてなのだから許して欲しい。
「あのぉ・・・」
「いやぁあ!」
女幽霊が鍾乳石の影から身を乗り出して話しかけてきた。私は助けを求めて、かたわらのルリにしがみつく。
「あの、なんだか知らないうちに憑りついてしまったみたいで、すみません」
そう言って頭を下げると、「こんなことは初めてなんで」と頭をかく。
「し、知らないうちに憑りつくって、どどどういうことよ?」
ルリが側にいることでちょっと強気になった私は幽霊に聞いた。
「それがその、あなたの体のなかの神々しい光に見惚れていたら、いつの間にか吸いよせられちゃったといいますか、良い気分になっちゃって」
思い当たることがあったのでルリを見ると、彼女も小さくうなずいて返した。やはり私のなかに収納した「綺麗な金の玉」の光が幽霊を惹きつけたらしい。あれには女神さまの神力がこもっているから、迷える魂を引き寄せるのかもしれない。
「ねえ、どうすればいいの?」
「面倒なのでさっさと消してしまいましょう」
小声でルリに尋ねれば、なにやら悪の組織の親玉みたいな答えが返ってきた。
「消すって?」
「あの者の魂を消滅させてしまうのです。きれいさっぱり」
きれいさっぱり消滅って、あの女性の魂がなくなっちゃうってこと?
「天国とかには送ってあげられないの?」
この世界の宗教は知らないけど、天国とか生まれ変わりとかないのだろうか。
「この世に未練があってさ迷う魂は、女神さまの御許に参ることが難しいのです」
どうやらこの国では、成仏することを「女神さまの御許に参る」と言うらしい。
私は離れてたたずむ幽霊に目をやる。歳は私と同じくらいだろう。あの若さで死んでしまったなら、この世に未練があるのは当然だ。なんだか少し可哀そうな気がしてきた。
「ねえ、あなたはこの世にどんな未練があるの?」
「沙世さま!」
ルリが止めるのを無視して私は続けた。
「その未練が解消できたら女神さまのところへ行ける?」
それを聞いた幽霊の顔がパッと明るくなる。
「実はひとつだけ。女神さまのお側に行くまえに、もう一度だけ会いたい人がいるのです」
「会ったところで相手にお前の姿が見えるとは限らないし、ましてや話などできないのですよ」
ルリが少々きつい声音で言った。きっと、さっさと消してしまいたいと思っているのだろう。
やっぱり誰にでも彼女が見えたり話たりできるわけじゃないのか。私には霊感みたいなものはないし、こうして見て話せるのは彼女に憑りつかれているからなのだろう。
「それでもいいんです。もう一度村に戻って、妹が幸せに暮らしているのを確認したいだけなので」
その妹というのは近く結婚する予定があって、幽霊はその花嫁姿を楽しみにしていたらしい。
「なのに、私ったらうっかり崖から落ちちゃって」
そう言って、「てへ」という感じで自分の頭をコツンと叩く。崖から落ちて事故死したってことのようだけど、そんな軽い調子で言うなよ。
「結婚式はとっくに済ませてしまったでしょうが、妹が旦那さんと幸せに暮らしているのを確認して、安心してから女神さまの御許にいきたいんです」
そして腰を折るようにして、私たちに深々と頭をさげた。びしょ濡れの体から水滴がしたたり落ちる。
「お願いします!自分じゃ、どうやってもここから出られないんです。どうか私を故郷の村に連れて行ってください!」
彼女は私に憑いてるから、私がその村に行けば妹に会えるってことね。その程度のことでいいなら手伝ってあげようかな。
私だって、叶うならもう一度お父さんに会いたい。天国の父もきっと私と母に会いたいと思ってくれているに違いない。そう思っていると、ルリがまた口を開いた。
「妹が幸せに暮らしてるとは限らないでしょう?そうしたら未練や憎しみがさらに増えてしまうかもしれませんよ」
確かに、ルリが言うことにも一理あるわね。
愛し合って結婚しても、必ず幸せになれるとは限らないのだ。そうしたら今度は妹の旦那を恨んだりするかもしれない。この世に執着させる結果になったら、この人はずっと地縛霊、いや私に憑いたまんまなのか。
それは嫌だなぁ。
歳も近そうだし、話しているうちに怖さはなくなってきたけど、幽霊同伴のバカンスとか無理。
「そのときは、どうぞ私の魂を消滅させてください」
私の心配を打ち消すように、幽霊はきっぱりと言った。どうやらさっきの私たちの会話が聞こえていたらしい。ルリは「どうしますか?」と言うように私を見る。私は幽霊に聞いた。
「あなたの村はどこ?」
「南部のテュルリ村というところです!」
同じ南部にあるならそんなに遠くないだろう。私は決心して幽霊に声をかけた。
「私たちアヒルンゴワゴンで旅行してる途中なんだけど、その村も通るから一緒に乗ってく?」
「ありがとうございます!よろしくお願いします」
幽霊の娘が元気よく頭を下げると、水がどばーっと地面にしたたった。




