女神降臨
通勤カバンと食材の入ったエコバッグを持って、私はサビの目立つアパートの階段をのぼる。ガチャガチャと音を立てて玄関のカギを開け、せまい玄関で靴を脱いだ。
私の名前は沙世。今年で社会人2年目の20歳だ。小学生の時に父が病気で亡くなってから、母とふたりで支えあって生きてきた。今日は珍しく仕事が定時で終わったので、スーパーに寄って食材を買い、急いで帰ってきた。久しぶりに母に晩ごはんをつくってあげようと思ったのだ。
うちは玄関から入ってすぐが小さなキッチンだ。とりあえず荷物を床に降ろすと、リモコンを手にしてテレビをつけた。特に見たい番組があるわけではないけど、静かな部屋に一人でいるのが苦手なのだ。
「見てください!この豪華な海鮮丼!」
テレビには夕方のニュース番組が映し出され、女性リポーターがとテンション高く叫んでいる。私は画面にチラリと目をやる。彩りよく盛られた海鮮丼は、いかにも美味しそうだ。
いいなぁ、私も旅行とか行きたいなぁ。のんびり温泉に入ったり、美味しいものを食べたり。
まずは着替えようと振り向いたとき、私は驚きのあまり悲鳴をあげた。
「ひぃいい!」
狭いキッチンに置かれた2人用のダイニングセット。その椅子のひとつに、15歳くらいの知らない女の子が腰かけていたのだ。自分の家に知らない人がいるのもビックリだが、その見た目が普通じゃない。
女の子は艶やかな黒髪を腰までたらし、昔話に出てくる天女のような服を着ている。上半身は着物のような襟と袖で、下半身がロングドレスみたいになっているアレだ。少女は細長い薄物をショールのように身にまとっているが、どういう仕掛けなのか体の周囲にフワフワと浮いているように見える。どうやら何かのコスプレらしい。
人の家に勝手に入ってコスプレするとか流行ってるの?迷惑系コスプレイヤーとか?
少なくとも強盗ではないだろうと判断した私は、目の前の美少女をまじまじと見つめた。そう、目の前の少女はとても美しいのだ。透き通るような白い肌に、切れ長の黒い瞳。鼻はちょこんと品よく整っていて、凛とした和風の美人である。紅のひかれた小さな唇は、年齢に合わない艶っぽさをかもし出していた。
その紅い唇が開く。
「あなたもう帰って来たの!?寄り道もなしに?」
「え?あの、スーパーで買い物を」
偉そうな物言いの侵入者に、ついまじめに答えを返してしまう。なんというか、少女にはどこか年齢に似合わない威厳があるのだ。コスプレのキャラになり切っているのかもしれない。
私の答えを聞いた少女は、「はぁ~」と大きなため息をつく。
「せっかく残業を失くして早く帰らせてやったのに、スーパーで買い出しぃ?若いんだからもっとやることがあるでしょ?遊びに行くとか、遊びに行くとか、遊びに行くとかさぁ!」
そんなこと言ったって、私は母に食事を作ってあげたかったんだもの。私たちはそうやって支えあって生きてきたのだ。思えばこの子の年頃には、私はもう友達と遊ぶよりも家の手伝いを優先していた。私はちょっとムッとしつつ彼女に聞いた。
「それで、あなたは誰?」
なんで他人の家でコスプレしてるのかとか、どうやって入ったのかとかも気になるけど、まずは誰なのか聞くべきだろう。私の問いに、少女は薄い胸をグイッと張って答えた。
「私は女神よ!」
そうなんだ。それって女神のコスプレなんだ。なんかのアニメのキャラなのかな?お姉さん知らなくてゴメン。
じゃなくて!
「あなたの名前聞いてるの!どこの子?どうやって家に入ったの!?」
ちょっと言葉尻がキツくなってしまったけど、これくらいは許されると思う。未成年とはいえ相手は不法侵入者なのだ。しかし私の渾身の詰問を鼻で笑い飛ばし、彼女は言った。
「私は神なのよ?できないことなんかないわ。それに、人間ごときに名前を教えるわけにはいかないの」
頑張って「お姉さんは怒ってるんだぞ」感を出してみたが通じなかったようだ。私の沈黙をどうとらえたのか、少女は上から目線のまま続ける。
「そんなことより沙世、バカンスに行きたくない?私が招待してあげるから、たまにはパーッと遊んできなさいよ」
え?なんで私の名前を知ってるの?
自分の顔がこわばるのが分かる。あらためて少女の顔をよく見るが、やはり見覚えはない。もしかしたら私が帰ってくるまでの間に家のなかを探って、私と母の個人情報を知ったのだろうか?あまり気がすすまないけど、警察を呼んだほうがいいかも。
私はスマホを取り出そうと、床に置いた通勤バッグに手を伸ばした。
「もちろん費用は掛からないわ。行先は異世界だけど、ちゃんとツアコンもつけるから安心して」
「あーそー、ならお姉さんは南の島がいいなー」
少女が世迷言を話し続けているので、バッグのなかをゴソゴソしながら適当に答えた。つけっぱなしのテレビから、7時に始まる人気番組のテーマ曲が流れ始める。もう7時か。せっかく早く帰ってきたのに妙なことになってしまったと、私は内心で舌打ちをした。
「もちろん、バカンスと言えば南の島でしょ!じゃあ話は決まりってことで、詳しく説明したいから移動しましょうか」
バッグのなかからスマホを取り出した瞬間、少女はそう言ってサッと手を振り上げた。手の先から虹色の光が湧き出てきて、私の周囲を取り囲む。
ええっ、なにこれ!?
眩しい光に全身を包まれ目を開けていられなくなる。数秒後に目を開けたとき、私は見たことがないような真っ白な部屋にいた。




