知っている
『ユリちゃん、次の休みは何処に行きたい?』
『うーん、最近暑いし、海とか行きたいなぁ。ケン君は行きたいところないの?』
『そうだなぁ。ユリちゃんと一緒なら、何処だって楽しいし』
『ふふ、私も』
都内某所のラジオ局。その中のブースの一室で、向かい合って座った一組の男女が机の下のスマートフォンでこっそりとメッセージのやり取りをしていた。
人気アイドルグループの一人であるユリと、最近露出が増えてきたピン芸人のケンである。二人は一緒にラジオ番組のパーソナリティを務めており、周囲には秘密の恋人同士でもあった。
『あ、でも、今度の休みは奥さん家にいるって言ってなかったっけ?』
『大丈夫、大丈夫。仕事だって言って出てくれば、怪しまれないし』
――但し、不倫関係である。
画面の端をふと見たユリが、首を傾げて顔を上げる。
「ねえ、もう収録の時間じゃない?」
「あ、本当だ。……でも、あれ?」
ブースの外、硝子で仕切られた向こう側を見遣ったケンが素っ頓狂な声を上げた。
「スタッフさん達、さっきまでいたよね?」
つい先ほどまで収録準備を進めていたはずのスタッフが、一人もいないのだ。
ユリは立ち上がって、扉に手をかけた。しかし、幾らノブをガチャガチャと回しても、厚い扉はビクともしない。
「何コレ、どうなって――きゃあっ!」
振り返ったユリが悲鳴を上げる。彼女の視線を追って自身の背後を見たケンが、声もなく青褪めて尻餅をついた。
何もなかったはずのブースの角――そこに白いワンピース姿の女が立っている。長い前髪が表情を隠して、しかし彼女がこちらをじっと凝視していることは肌で感じられた。
その身体がゆらりと動き、揺れた髪の合間から見えた恨めしそうな瞳にケンは息を呑んだ。
「! お前……!」
そう言葉を零した直後、ユリの背後で扉が開いてスタッフが一人、平然と入ってくる。
「二人共、もう時間なんですから席についてくださいよ」
呑気な声に気を取られて彼の方を見た二人は慌てて視線を戻したが、その時にはもう女の姿は何処にもなかった。
ケンの目には、女は自身の妻に見えたそうだ。
もしかしたら、不倫を知った妻が、恨みのあまり生霊を飛ばしたのかもしれない。
不倫や浮気はしない方が色々な意味で身の為……なのだろう。