2198年06月30日 ③
二人の仕事が始まって間もない頃の話
3
――同日 18:50――
異常を知らせる通知がヘッドフォンから響いてきたのは、勤務開始から2時間が経過するぐらいの時刻だった。集中力も少し切れかけたところでの異常発生、私はぼんやりしかけていた頭を引き戻した。
指令室にいる狛井先生から通信が入った。
「福岡発羽田行きスカイポイント7便 B-737 18:45分飛行中電波高度計に異常発生、現在は気圧高度計と管制からの情報伝達で高度を維持。離陸前は異常はなかったそうよ。」
「怪、ですか?」
私はインカムから狛井先生に問いかける。
「まだ分からないわ。確実なのは異常な機体が発生したという事実だけよ。ただ航空機の航行中の異常は怪が引き起こすことが多いのも事実よ。当該機着陸予定は19時22分、着陸まで警戒を続けて頂戴。濱村さんは気配があればすぐに展開、こちらの指示よりも状況判断を優先して。」
「了解しました。」
二人で返事をして通信を切った。生暖かい潮風が南から吹きつけてくる。滑走路脇ののぼりはほぼ真横になって風に吹かれている。おおよそ風速10mといったところだろう。
「そういえば、羽田空港って滑走路4本あるよね。他の滑走路は他の人が見張ってるの……?他の人にほとんど会ったことないな……」
私は濱村さんに話しかけた。勤務日でも自分と彼女、教官以外はまだあまり会ったことがないからだ。
「私たちと同じようなペアがそれぞれ各滑走路に配置されているはずですよ。接触がないのは配置が離れすぎているだけだと思います。」
さらっと返されて会話が終わってしまう。静かに待つのが嫌いな私は少しイライラして右手の人差し指を地面にコツコツ当てた。会話を繋げるために話題を探して苦し紛れにもう一回話かけてみる。
「あ、えーっと、濱村さんの”庭”みたいなのを広げる人もそれぞれいるんだよね……それって干渉しあったりしないのかな……?」
「庭の範囲は重複するみたいですけど、互いに干渉しないで存在するみたいですよ。まあ一番一番大事なのは進入経路の空間を担当庭師の庭にしておくことなのでそこまで範囲としてカバーしていることはないみたいですし。鬼崎さんはそこまで心配しなくても良いですよ。指定されたタイミングで引き金を引けばいいんです。」
「そ、そっか……わかった。ありがとう。。」
私では全然分からなかったが、とりあえず返事をするしかなかった。
今日も取りつくしまもなさそうだ。
「この時期は南風が多いからこの向きの滑走路が多いんだよね……こっち側だと直前にRunwayに向かって進入してくるから直線で来ないし狙いにくいな……」
私は銃のマガジンを実戦用の5発装填のマガジンに切り替えながら、ふと話した。
「はるかさんは飛行機とか空港のこと詳しいですよね。私はまだまだ全然知らないことばかりなんです。私にもそういう知識があったらもう少し庭も上手く作れそうだし、庭の中でももっと仕掛けられそうなのに……」
野乃ちゃんはいつも私を褒めてくれる。何でもないことでも拾ってくれると言えばいいのかな、何もない私にとってはとても嬉しい。
「子供の頃、お父さんによく連れてこられたからさー……近所だし遊び場代わりだったのかなー……」
「はるかさん……それ以上はだめですよ……」
私はふと手を止めて思わず野乃ちゃんの方を見た。ののちゃんも手を止めて怪訝な顔で私の方を見ていた。
「あ……他の誰も聞いてないよね……?」
「大丈夫だと……思います、けど……」
そう、祓いの中では決まりがある。”禁”と言われる、侵してはいけないものがいくつかある。
その一つが”過去の禁”――”共に戦うものに過去を明かしてはいけない”――
私たちは多くは二人一組、攻師と庭師でペアを組む。相手と信頼関係を築くことがもちろん重要かつ必要だが、お互いに過去を明かすことは禁じられている。過去を明かすことで相手への情が生まれてしまい戦場での正常な判断を鈍らせる。それは結局犠牲者も増え空港の防衛も失敗するリスクが上がる、ということだ。
以前は今ほど厳密な規定ではなくあくまで建前上のものだった、と狛井教官から聞かされたことはあるが、過去の事件をきっかけにより厳しくなったらしい。
「濱村さん、ごめん……気が緩んでた。」
私はすぐに謝った。この情報を与えて困るのは濱村さんの方だ。濱村さんの判断が鈍ること、それは彼女自身の死のリスクが上がることを意味する。
「いえ…元はと言えば私が過去に繋がる話を振ってしまったのがいけないんです……ごめんなさい。」
二人とも黙ってしまい、沈黙が流れる。
「何の話題でも繋がりがない話題なんてないよ。このことはこれで終わりにしよう。怪ももうすぐこっちに来ることだし、そっちに集中しよう。」
とりあえず私は話を一方的に打ち切った。
私には私の過去があり、濱村さんには濱村さんの過去がある。自分の過去を真に分かってくれる人はいないし、自分が他人の過去を真に分かるとも思えない。それぞれ唯一無二のものなのだ。
「……そうですね、目の前の敵に集中しないと」
濱村さんは雑念を振り払うように首を横に振った。
「今日は西からの飛行機は全部Runway22に降りてきてる。だいぶ旋回して降りるように見えるから、多分今日は南風運用の22LDAZってコースだと思う。ポイントはBACONを経由してBIBLO、BEAST、BONDを通って着陸するんじゃないかな。」
私は話題は元には戻さず、進入ルートに話題を反らした。ののちゃんはタブレットの操作も手元が覚束なくなっていて、盛大にタブレットをひっくり返して落としてしまった。
私は銃の前を離れて、彼女のそばに転がっているタブレット端末を拾った。画面はカバーと強固なガラスフィルムの甲斐あって割れていない。
「あーごめんごめん、濱村さんは悪くないよ!私が不注意なだけだから、気にしないで。」
私はののちゃんにタブレットを渡しながら謝った。
彼女は私との会話の失敗を必要に恐れている気がする。何があったのかはわからない。私自身も大した人間ではない、年も同じ人間を包み込めるほどの器は持ち合わせていない。私が出来るのは肩を叩いてあげることくらいだ。
「本当にすみません。集中し直します。」
濱村さんは俯いたまま小さく呟いた。
「こちら指令室。標的機がもうすぐポイントBACONを通過するわ。濱村さんは庭展開の準備、視認出来るようなら情報を鬼崎さんと共有して報告を上げて。焦らないで、庭を先に広げると相手も気付くと思うから。」
タイミングが良いのやら悪いのやら、狛井先生から通信が入る。一気に警戒のモードが上がる。
「了解しました。」
濱村さんがいつもの調子を取り戻して感情の入っていない返事をした。
「22LDAZの進入路だと、房総半島の内側を回って千葉市上空から東京湾を横切って最後に左に旋回しながら降りてくるコースですね……私が庭を展開するとしたら距離12.7㎞のポイントBONDOを超えて、距離1.1㎞のMAPt(進入復行点)の直前ですね。ただそこで庭を展開しても、認識できるのは着陸ぎりぎりになってしまいます。その直前で視認出来るかやってみます。」
濱村さんがタブレットの航空図を見ながら言った。
「MAPt(進入復行点)を超えると、航空機は最後の旋回でRunwayに向かって降下してくるからそこを狙うよ。私はMAPt近くのポイントに絞って微調整するからののちゃんは好きな時に庭を広げて。」
私は大雑把な指示を濱村さんに伝えた。相手に指示をたくさん出せるほど偉くはない。
滑走路には航空機の離着陸のため背の高い植物は生えていない。ただ芝生の一角に白い花びらをつけた草が残っていた。