2198年06月30日 ②
二人の仕事が始まって間もない頃の話
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――2198年7月05日 16:50 東京国際空港(通称羽田空港)南東 D滑走路――
「あーーー……熱い……まだ7月入ったばっかりなのに夕方も全然暑いじゃん……」
私、鬼崎はるかは羽田空港のなかで最も新しい人工島上のD滑走路脇のアスファルトの上に立ち、体温を逃がすように制服のワイシャツをバタバタさせていた。
7月の東京は最近は夕方になっても気温30℃を優に超えている。羽田沖はいつも通り海風が吹いているが、湿気を伴った熱風で不快指数はさらに上がっている。
「最近の東京は地球温暖化に相まってヒートアイランド現象も進んでいますからね……ここは航空機のための構造物で遮蔽物もないし暑さから身を隠すものは何もないです。人がここにいることはあまり想定されていないんですよ。」
背後から濱村さんの声がした。彼女は強風の中、茶色の髪をなびかせてタブレット端末を片手にこちらに歩いてきて私の隣に立つ。
時刻は16時55分、集合時間は本当は16時45分、開始は17時ちょうど、遅刻と言えば遅刻だ。この蒸し暑さの中急いで小走りをしてしまったので汗が噴き出す。
――夜の羽田空港――
私はここで怪と呼ばれる化け物が航空機と一緒に国内外から帝都東京に上陸するのを水際で迎撃している。一応世間体は嘱託の公務員だが、得体の知れない化物と対峙するという意味では祈祷師とか霊能力者みたいなものだ。世間的には存在しないことになっているが、私たちは自分たちを翼祓い、通称『祓い』と名乗っている。私はその中でも長距離用の狙撃銃マクミランTac-50を使って怪を撃墜する、攻師と言われるポジションの中でも射手(狙撃手)の役割を担っている。
隣にいるのは、同期でここに入った濱村野乃、通称ののちゃんだ。彼女の役割は『庭』と呼ばれる対怪用の結界の制御と私の狙撃のサポートをしてくれる、通称庭師だ。
「私たちが本来ここにいることは特に想定も歓迎もされていないってことかー……まあそれもそうだよね。」
私はモワッとした外気にため息をついた。体温より暑く湿度も高い外気と私の呼気はすぐに混ざって消える。
「パイロットは本来滑走路近くに人はおろか物があると判断されただけでも着陸は回避して再上昇しますからね……私たちは庭の中に落とし込むことで一般の彼らには見えなくしてしまってますけど。」
私たちは存在しないことになっているものと戦うので、当然存在が想定されていない。日陰者も良いところだ。もっとも日陰なら涼しくて良いが、実際の戦場は陰ひとつない炎天下だ。
「はるかと野乃、迎撃ポイントに着いた?」
耳元のヘッドフォンから落ち着いた高めの声が入る。私の教官、指令室の主任の狛井彩先生だ。
「こちら鬼崎班、Runway 22のポイントに到着。現在目視範囲内での怪は見当たりません。現在1700より紹介業務に入ります。」
隣にいるののちゃんが事務的に返事をする。
「了解。今日の羽田の日没は1803だからそれまでは出現はないと思うけど警戒を怠らないで。はるかはポイントのゼロイングは終わっている?」
「あっ……いえ……これからです……」
私はしどろもどろ返答した。ギリギリに着いてしまってポイントでの狙撃銃の調整をまだ出来ていない。
私が担う狙撃はロングレンジで1500m以上、遠いと3000m近くの標的を撃つこともある。そのためスコープでの照準合わせと狙撃ポイントと弾道の補正が狙撃の前に必要になる。それがゼロイング。単純に構えて撃って当たるほど近距離ではないのだ。
「現場に到着が遅れるとその後の全ての準備が遅れるのよ。迎撃は日没後とはいえ油断しないで。」
「すみません……」
私が謝罪して通信はあっさり切れた。いつも教官は私にどこか冷たい。優しくされても戦場にメリットがないことは私もよくわかっている。
「あー…現着遅れたのバレちゃってましたね。」
濱村さんが隣で無表情で言った。
「銃の最初の調整に手間取ったからなー……さっさとゼロイング済ませとかないと…」
私は愛機マクミランTac-50の設置を始めた。この狙撃銃は全長が1448㎜と長く、ののちゃんの身長くらいある上にとにかく重い。狛井先生曰く、長距離狙撃銃とはそういうものなんだそうだ。
私は二脚を組み立ててTac-50を座らせ、角度を台座で調整して12°で設定した。その後ろに伏せ、つま先からお腹までべったりと熱いコンクリート地面にくっつけて身体を安定させる。
右手を引金にかけてののちゃんに声をかけた。
「ののちゃん、ここから距離正面100mの低めのところにターゲット作って。」
「はーい。」
庭師が自身の庭の中に構造物を作るのは簡単なんだそうだ。隣に座っているののちゃんが何かつぶやくと、すぐに正面の空中に半透明の円形の的が作り上げられた。
5発装填の試射用マガジンを装着しスコープのを少しずつ回しながら中心に合わせる。
中心点を的の中心に合わせたところで私は引金を引いた。
高音質な乾いた音が響き渡り、一発の弾丸が空中に放たれる。
1秒経過するかしないかのタイミングで、ストン…と静かに弾は的に刺さった。中心からは数cm上にずれている。私はスコープのメモリを調整して的の中心を一目盛り下にずらした。そしてもう一度引金を引く。
今度は的の中心に弾が刺さった。調整完了だ。
ここは実際の航空機も通過するので、実弾は実戦でしか使用できない。実戦で用いる長距離狙撃用の.50BMG弾と同じ口径、同じ重さの模造弾を実戦より短い距離で位置合わせをなるべく行っておくのが狙撃前の最低限の準備の一つ、ゼロイングという欠かせない作業だ。
私は駆け出しの射手で、引金を引くまでのお膳立てをほとんど指令室にやってもらっている。怪が出現すると、その日の気象条件(温度、湿度、風向、風速など)と重力の影響、怪の移動速度、高度を設定し狙撃する弾道を指令室でシミュレーションがなされる。そのデータがつけているコンタクトレンズに転送され、私は自分の視野とデータを一致させて引金を引く。実質最後の位置合わせを私の手動で行うだけだ。射手によってどこまでサポートされるかは違うらしいが、他の射手はもっと自律制御で実戦に入っているらしい。これだけお膳立てされないと撃てていないのが今の私の技術だ。
風向きが変わらなければ航空機は羽田の滑走路に同じ経路で進入して着陸する。航空管制もコンピュータベースの指示なので進入経路、速度、降下角度も全く揃って着陸してくるのだ。そのため一度ゼロイングで位置と射角を合わせておけばあとは微調整で済む。
「ゼロイングと位置合わせ完了、ありがとう。」
私は調整を済ませて濱村さんの方を向いて言った。
「いえ……とりあえず今のところこの辺の空域で異常の連絡はないみたいです。しばらくこのまま待機ですね。」
ののちゃんはタブレット画面でレーダーなどを確認しながら、待機とはいえやることをどんどんこなしている。情報を集めつつ、戦闘時は”庭”を展開するなど狙撃手のサポート全般をするマルチタスクをこなす業務は私にはまったく向いていなさそうだ。
「今日は平和だと良いなー。昨日は結構出たって聞いたし今日の分まで出尽くしてないかなー。」
妖怪や幽霊にありがちな話ではあるが、怪も日中は出現しない。そのため私たちの主戦は夕方頃から夜にかけて起きることが多く、シフトも夕方から夜にかけてしか基本的にはない。
「そんなこと言ってるとたくさんきますよ……ここ最近は数は増加傾向みたいですし、いつどこから出てきてもおかしくないんですから。」
ののちゃんはため息をつきながら笑って返事をする。忙しい時も笑って隣にいてくれるのはこんな場にいる中では唯一の癒しだ。