プロローグ Runway22
鋼鉄の塊が羽を伸ばして空を飛んでいるのはいつだって不自然だ。
両翼に可燃性の液体を押し込んでその場で燃やし、無理矢理に揚力と推進力を生み出して飛んでいる。
銀色の翼はそんな不自然さは見せずに安定した直線軌道を描き続ける。余計に不自然だ。
ただ私がスコープ越しに見ているB-777、日本空船401便(香港ー羽田)は明らかに安定を欠いていた。
私にはその理由もはっきり見えている。B-777の左翼の上に大きな球が連なったような物体がふらつきながら乗っていた。顔らしい部分も見え、さながら泣き叫んでいる赤ん坊みたいだ。高度が下がり続けていることで翼の上の物体は動揺しているようだった。真下のエンジンを叩いて壊したらしく、エンジンからは火花が出て黒煙が上がっている。
B-777は東京国際空港のRunway 22(B滑走路)に向けて千葉のコンビナート上空を左に複数回旋回しつつ降下し、着陸体制に入っている。片方のエンジンが出火している状態で時間的余裕はほとんどないだろう。
異変は2時間前、401便が日本領空に入った時だった。東京ターミナル管制に原因不明の左エンジンの油圧低下を知らせる通信が入った。それから1時間足らずでエンジンから黒煙が上がり始め、消火処置も無効となったところで管制から国土交通省に連絡が内密に行き、私たちに迎撃司令の通達が下りた。
私、鬼崎はるかは今、東京国際空港のRunway 4(Runway22の逆)のエンドで俯せになって目標、そのB-777を待っている。
私の前には長距離狙撃ライフル、マクミランTac-50が座っている。対怪用に改造された専用銃器、私の愛機だ。
私のここでの仕事は怪と呼ばれる魔物を狩ること、正確に言うと航空機に憑いてくる怪を祓うことだ。通称「翼祓い」と呼ばれている。国土交通省航空局保安部の嘱託職員ということになっているが、普段から日の目を見ない仕事だ。当然誰にも知られず、ひっそりと日陰で仕事をしている。
昔から怪、平たく言うと妖怪や化物はたくさんいた。怪は呪いの結晶化だったりだったり、神様の転化だったりするが、一番多いのは人間がそのまま死んだ時に負の感情を昇華しきれずに変貌することである。
その土地に居着いているのが当然だったのだが、いつしか人類の移動と共に土地からも移動するようになったのだ。
飛行機も例外ではない。
ここ、東京国際空港の発着便は国内・国外合わせると44万にも及ぶ。もちろんその全てではないが、怪を連れてくる飛行機は少なくない。
そもそも怪自体が飛行機を破壊し、運航に支障を来すことも多い。綿密なメンテナンスにも関わらず航空機が運航中にトラブルを起こすのはほとんどが怪が原因とまで暗に言われている。
加えて固有種の迫害だ。
日本のような島国は怪の固有種は比較的保たれていたが、この往来の増加に伴い国内の怪の中には絶滅の危機に瀕するものも現れた。
数年前から怪は飛行機による入国が増え、飛行機からの侵入を食い止める案が政府内で出てきたらしい。そこで国土交通省内に航空保安局特殊技術課という部署が内密に出来たんだとか。
私がいる場所は東京湾にほど近いが、そこら中で飛行機のエンジンが回り、高速道路の車から排気ガスが出ているせいかガスの匂いがメインだ。ただ今日の羽田空港は好天の南風がよく吹いている。ガスの匂いに混じって僅かに海風を感じる。
そんな中を片方のエンジンから火を噴きながらジェット機B-737がこちら向かってきていた。それも怪付きだ。
ー自分の居場所がわからなくて不安みたい……ー
翼の上の物体に思いを馳せていると隣から声が飛んで来た。
「そろそろ例の日空機、最後のアプローチに来ますよーはるるん。」
「さっき目視で捕まえて見えてる、ののちゃんありがとう。そろそろ広げても良いかも。」
「了解です!!」
隣でサポートしてくれている濱村野乃、ののちゃんが軽快に言葉を返す。私の仕事のペア。知り合ったのも最近で年が同じであることだけは知っているが、詳しいことは知らない。
私は前髪を横へ押しやって最後の準備に入った。風が強いので髪が目にかかりやすいが短めの髪をさらに後ろに束ねて動きを減らすようにしている。
スコープ画面を見ていない左眼のコンタクトレンズにフライトレーダーの画面と現在の風向きと風速が転送されてきた。右下に高度と速度を示す数値が1000ftと126ktと示されている。最終段階に入っている数字だ。
その時周囲の空が赤く染まってきた。ののちゃんが「庭」を私たち周囲に広げたからだ。
私たちは対外の怪と戦うとき、そのまま実空間でも戦闘に入れる。一般人になるべく見られないようにするためと、庭を展開することによって怪の動きを抑え込んで私たちを有利にするためだ。庭は術者と土地によって属性や特性が変わるが、羽田でののちゃんが庭を広げるとこの世の終わりのような夕焼け色に染まる。見惚れてしまうくらい綺麗な色だ。
私は意識を距離測定に戻した。距離およそ1000m、普段通りの呼吸を続けて平常時の脈拍を極力維持するようにして、引き金に人差し指を置いた。右翼の物体はフラフラ立っていたのが庭の影響で翼にひれ伏すように押し付けられて動きが鈍った。
そろそろ射程に入る。今日の飛行機のアプローチはギリギリまで左に曲がってRunwayに入ってくるので私の正面に回ってくるのは最後の最後だ。
「目標、Runway 22まで1000m切りました!距離900m!」
ののちゃんからナビが入る。すぐ隣にいるとはいえ、爆音のジェットエンジンが飛び交う空間内は人の声はほとんど通らない。フライトレーダーのヤードポンド表記はやっぱりわかりにくい。少し慣れはしたものの狙撃スコープも基本はメートル法ベースの表記なのでののちゃんのナビはメートルで統一してもらっている。
正面からB-777が機首をほぼ水平にして高度を落としてくるのが肉眼でも見えてきた。
右翼の物体に最終の照準を合わせる。
機体が接地する直前に私は引き金を引いた。
手元から高音が響き、.50BMG弾(12.7×99mmサイズ)が僅かに放物線を描いて飛んでいく。弾丸は普通の弾丸とは違い、長距離飛ばすために大きく、そして重く作られている。
次の瞬間、白い物体が弾け飛んでいくのが見えた。長距離とはいえこの距離はまだ短い。
「命中しました。」
ののちゃんが私に結果を告げる。
その1秒後、私の元に着弾した音が聴こえてくる。怪は弾け飛んで破片が徐々に消えていく。断末の悲鳴も上げる間もなく無に帰っていく。
物体の中から、少女がゆっくり浮いて出てきた。怪の素だったのだろう。少女は微動だにせず物体と一緒にバラバラに消えていく。
私はゆっくり立ち上がり、両手を合わせた。
ーせめて死後では報われますようにー
どういう境遇、経緯でこうなったのかはわからない。きっと理由があったのだろう。強い思いがあって飛行機に乗って遠くまで来ようとしたのだろう。
でも、と私は手を下ろして呟く。
私の国に入ってこようとする怪は全て撃ち落とす。それが私の今の仕事。
恨まれたって構わない。恨まれることはもう慣れている。
無事着陸したB-777はタキシングを開始してターミナルへゆっくりと向かっていた。
「今日も無事仕留めましたねーお疲れ様ですはるるん!」
「サポートありがとう。外さず当てられて良かった。」
「いえいえー私なんで微力ですから……もう10時だしシフト終わりですね!お給料出たしご飯食べて帰りませんか?」
「良いよ、帰っても何もないし」
「いつもうどんですけど、今日もうどんですか?」
「うどんって仕事の前でも後でもちょうど良いからさー…つるとんたん行こうよ。お腹すいたし。」
ののちゃんは勤務中は淡々としていて、勤務が終わるとやたらテンションが高い、別人みたいだ。ただ仕事じゃない時間を無理して笑顔を作っているような感じすら受ける。
まだ実戦に入って間もない私は実感がないが、戦闘で命を落とす人々も少なくない。無事に仕事が終わることも喜ぶべきものなのだと思う。無事に夕食を食べられることも一つの奇跡だ。
遅い夕食を食べた後、私たちは第3ターミナルの駅入り口に立った。この時間でも海外からの出入りは多く、空港内はそれなりに賑わっている。
ののちゃんは帰りは京浜急行なのでそのまま改札口に向かっていく。
「じゃあ、お疲れ様でしたー!あれはるるんはモノレールでしたっけ?」
「私近所だから自転車なんだ。私電車、乗れないし」
「あ、そっか……じゃあまた!」
ののちゃんは一瞬はっとして、あたふたした顔をする。ののちゃんは癖なのか、動揺すると右手の人差し指を左手を覆う。その人差し指だけ少し欠けているのか変形していることに初めて会った時から気付いていた。
「じゃあね!」
私は口角を上げて笑顔を作る。どこかぎこちない、こんなやり取りをしばらく繰り返している。
ある事件をきっかけに私は電車に乗れなくなり、高校にもしばらく行っていない。目に赤い滲みも出来た。ただそれと引き換えなのか、粗大な10kg超の銃を制御できるほどの力が瞬間的に出る。ののちゃんの目にも同じ滲みがある。だからきっとののちゃんも抱えるものがあるのだろう。
気にしているののちゃんの視線を背後に感じながら、私は駐輪場に向かう。
ののちゃんとチームを組んでまだ1ヶ月半、お互い知らないことだらけだ。でも隣にいて一緒に戦う大事な人。そんな人、顔も見ないたくさんの人々を守るために私は引金を引く。私がここにいる理由はそれしかない。
今の私は翼の上の妖怪を祓う、翼祓いなのだから。




