161「ベンガルの夜叉姫」
思った通り移転ステーションの売店で紅茶やマグロ、各種香辛料を買い込む事が出来た。
私達は買い物を済ませるとベンガル地方に移動する。
ベンガル地方はインド東方にあり、バングラデシュの西隣、南にベンガル湾がある。
「地図を見てるとドゥルガブルとかチャンダンナガルがあるねぇ」
「ベンガル地方もチャンディー様の勢力範囲って事だよね」
単なる大地母神と言うより、広範囲で好かれている女神だと認識を改めるしか無い。
メソポタミアや古代ギリシャ地方にも大地母神は多くいたけど、チャンディーの勢力範囲は桁違いだ。
イシュタルは私達の話題にウンザリした様子で口を挟んで来る。
いくら快適な万能戦車グガランナといえども、車中泊を目的に造られている訳じゃない。
動くキャンプより落ち着ける宿の方が、多少はマシと言えないでもない。
「難しい話はもういいからさぁ、今日は宿で泊まろうじゃないかぁ」
「そうですね、ハルディアに着いたら宿を探しましょう」
私達がハルディアを選んだ理由は海に面した町という理由がある。
海となれば、なんたって海鮮料理だ。
内陸部ではどうしても重い肉料理が多くなる。
そんな食事を続けていると、魚が食べたくもなって来るのだ。
イシュタルはグガランナを異空間収納に格納し、一行は町中を徒歩で移動する。
時代設定は紀元前とはいえ、交易で盛んな町だから人の往来は盛んだ。
そんな町中で宿を探して歩く。
「あそのこ建物は多分宿屋じゃないですかね」
「ならあそこに決めて今日は体を伸ばそうじゃないか」
「「 アラホラサッサー 」」
一行は宿屋の二階に部屋を借りた。
ここからだと海も見えるし悪くは無さそうだ。
海上には猟師の船がいくつか見える。
「んー、こんなでもやっぱりベッドは良いわぁ」
イシュタルはベッドに倒れ込み思い切り体を伸ばしている。
グガランナ内のベッドは広くないとはいえ、体を伸ばせない程狭くはないのだけど。
やはり寝台車のベッドより、貧相でも宿屋のベッドは良い物だ。
食事はやはり香辛料がきつめではあるけど、海鮮料理がメインになる。
「やっぱり魚料理も良いものだねぇ」
「そうですね」
「塩を効かせた保存食の魚より良い」
食事に一通り満足した私達は部屋で紅茶を満喫する。
移転ステーションで買った物で、お湯を沸かす道具は持ち歩いていた。
だから飲もうと思えば、何処でも淹れる事は出来る。
皆が落ち着いた頃、突如異変が起こった。
窓の外に巨大な球体が静かに近付いて来る。
大きさは宿より大きいだろうか。
よく見れば、彫刻を刻んだ建物の様な雲の塊だ
その異様さに私達は息を呑む。
「なにあれ」
「なんでこんなものが」
「異国から入り込んだ神ってあんたらかい?」
突如窓の外から入り込んだ人物から誰何された。
大柄で肌の色は青黒く、頭には角が生えている女だ。
足元には小柄な従者も控えている。
「異国から来たのは正解だけど、あたし等は単なる旅行者だよ」
「ふうん、そうなのかい」
「乱入して来た貴女は誰なんです?」
「わっちかい? わっちは夜叉のマイトリー、荼吉尼の者だよ」
「外のあれは?」
「あれはわっちのヴィマーナだ」
「ヴィマーナだってぇ?」
巨大な雲の塊の正体は古代の飛行兵器『ヴィマーナ』らしい。
白い雲で出来ている様で、輪郭は霞に覆われはっきりしない。
マイトリーの言うには、他にも様々な形状の光で空中を飛び回る者もあると言う。
人は乗れないが、精神操作で低空を移動する事が出来、気象兵器により雷を何条も無差別に落とす武装がなされているらしい。
実物は人々が想像する様な物とは違うのだろう。
第一プロペラは無いし、塔の屋根部分とは似ても似つかない。
まぁ、姿形は自由に出来そうだけど。
自己紹介にあったラークシャーシーとはヤクシーもしくはヤクシニーと呼ばれる。
鬼神の一種で、羅刹はラークシャサの音訳で女性をラークシャーシーとなる。
他にも夜叉と呼ばれる事があり、男はヤクシャ、女はヤクシーもしくはヤクシニーと呼ばれるが同音同義だろう。
荼吉尼の一族では男性呼称ラークシャー、女性呼称ラークシャーシーとなる。
皆デーヴァ神族に敗れ、悪神とされたアスラ神族の末裔といった所だろうか。
私達の世界で言えばダーナ神族のような立場かもしれない。
ダーナ神族は後に妖精達やエルフになった。
北ヨーロッパでは、黒小人の女が夜になると、マーラーという夜叉になり人間の寝込みを襲い首を絞めるという。
祀り捨てられ人々から忘れ去られた神々は悪鬼や妖怪に堕ちたりする。
ヤハウェの神妃の名はアシェラというから、関係あるのかも。
解説によれば身体は大きく、尻尾を持ち、鋭い爪や牙を生やしていて、儀式を邪魔し、人を喰らうとされている。
財宝の神クベーラの眷属と言われ、ヤクシャは鬼神である反面、人間に恩恵をもたらす存在と考えられていた。
森林に棲む神霊でもあり、樹木に関係するため、聖樹と共に絵図化されることも多い。
『荼枳尼』という名は梵語のダーキニーに由来する。
元々ダーキンという名前の地母神だった、ベンガル西南のパラマウ地方でドラヴィダ族のカールバース人に信仰されていたという。
仏教で天部の神と同一と見做され『荼枳尼天』とも呼ばれる。
女神カーリーの侍女で、後にカーリーがシヴァの妃とされたため、ダーキニーもシヴァの眷属とされた。
カーリーに付き従って尸林を彷徨い、敵を殺し、その血肉を食らう女鬼・夜叉女となっている。
尸林という葬儀場・処刑場で荼毘に付されるか、そのまま鳥獣の貪り食うに任せられた。
荼枳尼の眷属である野干の正体はジャッカルの神獣だ。
日本ではジャッカルの事が解らず、キツネと混同され稲荷と習合した。
「で、ただの旅行者の私達に何の用なんです?」
「そりゃぁ侵入者が敵対者かどうかを見定めるためさぁ」
なるほどと一同は納得した。
私達の入国に税関を通った訳じゃ無いから怪しまれるのも無理はない。
旅商人とか人なら目溢し出来ても、神が来たなら余計に警戒されるか。
「何処から来て、何処へ行くつもりなんだい?」
「私とこの子、デンくんは北欧のアース神族で、最終的に豊葦原瑞穂の国に行こうかと」
「北欧からわざわざ来たのかい」
「そしてこの方はイナンナ様、時と場合によってはイシュタル様になるけど」
「イシュタル様だってぇ! あのメソポタミアの?」
「そうだけど」
マイトリーはこの場に上級神がいる事に驚いた。
「そんな上級神様が何で二つ名を名乗ってるのさ」
「外交用の名がイナンナで、好きにしてる時はイシュタルなのさ」
「ふぅん、そうだったのか、良いなぁ~、わっちも外の世界を見てみたいよ。
ヒマラヤの向こうには殷王国があると聞いているんだ」
上級眷属の一柱が殷王国で紂王に取り入り妲己と名乗り悪名を轟かせてらしい。
殷王朝は西から渡って来たアムル人系の王朝で、倭の国という事になる。
この事は契丹古伝に記されている。
後に中原を統一する秦国もメソポタミアの、ヒッタイトからの渡来人だ。
話が一段落したと思いきや、従者がマイトリーに話し掛けて来た。
「マイトリー様」
「ん? 何だ」
「このお方達は如何致しましょう」
「そうだなぁ、わっちは無害な旅行者と断定する。
上司にはそう伝えておけ、それともっと話を聞きたいから酒宴の席を用意せよ」
「畏まりました」
マイトリーの従者は静かに姿を消した。
従者として仕えているのは神獣なのだろうか、金毛九尾の犬系の動物だ。
とはいえ狐ではないのも明らかだった。
「あんたら、わっちに付き合ってくれるかい?
酒宴の席を設けるから、もっと外の話を聞かせておくれよ」
「まぁ、私は構いませんけど」
「あたしも大丈夫だよ?」
従者のアシンヌとアルベルは主に黙って従うしか無い。
私達はヴィマーナに招待された。
雲と同じだから人は乗るのは無理だろう。
しかし神である私達なら乗船出来る。
「あんたの眷属ってさぁ、それ何なの」
「わっちのラティちゃんかい?
可愛いだろう、ジャッカルの魔獣なんだ」
神の侍従となった上位の者は金毛九尾の姿に変化する。
また金毛九尾の配下として七尾など、力により尾の数が変わるそうだ。
種族として集団を作り肉食だから、邪悪と思われがちなのは狼と似てるな。
夜叉一族の荼吉尼マイトリーの魔獣ジャッカルの眷属なら善良という訳じゃ無いに違いない。
「パールバティ様の侍女に差し上げた子もいるんだよ」
「そうなんだ」
「周にジャッカルはいないから、似た動物で狐と混同されているらしいけどね。
上位聖獣の眷属は獣化した人間なんだよ、西欧じゃデビルって呼ばれるようだ。
まぁ、人の目で観たら黒い影の姿で、目が光り角のような耳が見えるからだろうと思うよ」
確かに冥界や霊界では心の在り様で人は動物の姿になる。
狐になるのは狡賢く嘘吐きで残忍な性格な者が、そういう姿となる場合が殆どだ。
因みに同じ嘘吐きでも、下品なのは狸となるし、怨念の塊は蛇となる。
これら動物霊は本来の動物の霊とは、別物と区別した方が良いだろう。
本来の動物の霊は自然に属する四生霊の者なのだから。
四生霊とは、走る者・飛ぶ者・泳ぐ者・卵から孵る者の四種類の霊を指す。