101「蝦夷地」
私達は菊理媛様事、キュベレーの下を辞して次に向かう事にした。
「これでそろそろ私の旅も終わりかな」
「とんでもないですよ、まだ北の地があるじゃないですか。
函館のお寿司も絶品だし、すすきののラーメンだってまだ食べてません」
「ああ、はいはい、そうでしたねぇ」
何仙姑の提案で、私達は北の蝦夷地に向かう事にした。
「この国は南北に長いですねぇ」
「地図を見ると龍のような形をしてるんですよ」
「ほう、どれどれ、ホントだぁ」
見方によれば上り龍にも下り龍にも見えないでもない。
地勢学的に見ても、陸路で歩けば正に東の果ての国だ。
中国にとっては太平洋に出たくても、完全に蓋をされている。
この星を正八面体と捉えれば、頂上に位置する国でもある。
そういう場所だから原初の神々が降臨する理由になる。
「本当に色々と都合良く出来てるんだねぇ」
「誰かが計画していなければ、これほど偶然は集まりませんよ」
「言われてみれば、そうだよねぇ」
これから行く先は上り龍の頭部に当たる地、蝦夷地で今の言葉で北海道だ。
本州から派遣され、平常は農業を営む傍ら軍事訓練を行い、いざ戦争が始まった時には、軍隊の組織として戦う事を目的とした屯田兵が北海道を開拓したと言われている。
漁港や首都など人が集まっている地域は、日本海側に集中している。
そういう理由で日本海側は割と海水が冷たいそうだ。
「冷たい日本海と暖かい太平洋の海が混ざる地域だから、海鮮料理が美味しいんですよ」
「なるほどねぇ」
「本物のシシャモが多気られるんですよ」
一般に安く出回っているシシャモは代用魚のカペリンなのだとか。
アイヌの間でフクロウの女神が柳の葉を川に流し、シシャモに変え飢餓を凌いだという神話があるらしい。
「シシャモねぇ、私はサーモンの方が好きかな」
「鮭も名物ですよ」
「それは楽しみだねぇ。
ところでアイヌって?」
アイヌは、北は樺太から、北東の千島列島・カムチャツカ半島、北海道を経て、南は本州北部にまたがる地域に居住していた民族を指すけど、長年居住していた原住民ではないらしい。
彼等は和人とも交易を行い、米などの食料や漆器、木綿、鉄器などを入手していた。
今では本州人と同化してしまっているから、歴とした倭の国の住民だ。
☆
私達は結構長い時間北上して函館に到着した。
「ここは割と海が近いんだ」
「だから海鮮料理が美味しいんですよ」
「あそこにお寿司屋さんがあるよ」
「どれ、あそこかぁ、さっそく吶喊だね」
私と何仙姑、ジブリールと武蔵くん、丸藻の5柱は一軒の鮨屋に入る事にした。
タッチパネルで注文する形式でなく、コンベアーの無い店は高級店と決まっている。
その分、代用魚なんて扱わないし、美味しさも値段も格段にレベルが高い。
「この店、凄く高級店に見えるけど大丈夫かなぁ」
「ヒルト様、大丈夫ですよ、私が常に懐を潤しますので」
「いつもすまないねぇ」
丸藻が頼もしい事を言う。
見た目はジブリールや武蔵くんと同じお子様だけど、宇迦之御魂様の眷属だ。
私専用の財務係といった立場を確立しちゃってる。
「いらっしゃいませ、五名様ですね? こちらへどうぞ」
店員から座敷に案内され、お好みコースを頼んでみた。
メニューが解らない内は店にお任せするのが間違いないだろうけど。
言葉は近いけど、お好みとエコノミーは違うから注意しなくちゃ。
私はサーモンも忘れずに注文すると、何仙姑はシシャモを注文した。
「この国で和食も食べて来たけど、生魚なんて大丈夫かなぁ」
「ヒルトさん、既にお刺身だって食べてるじゃないですか」
「あれは神々の爨料理だし」
「大丈夫ですよ、お鮨はこの国の食文化の集大成ですから」
「食文化の集大成ですかぁ」
この国は何事にも追及する国民性があるという。
料理はいかに美味しい物を作り出すかを追求され続け、外国の料理ですら魔改造されまくる。
一口大の鮨はそれ一貫で完結している小型の料理といって良いのかも。
「お待たせいたした」
「わあ……」
丸い器に盛られたお鮨は芸術的に美しいと思えた。
魚独特の生臭さも無いし、彩が綺麗だ。
私の世界だって水はきれいだし、漁業も盛んなのに、どうしてこういう料理を考え付かないんだろう。
やっぱり、刃物の質と探求心がイマイチなのかも。
そんな気がするよ。
そしてお鮨はどれも美味しかった。
サーモンは本来寄生虫の危険性があるから生食は厳禁とされている。
しかし冷凍技術が発達した世界では、問題は無くなるらしい。
私は宝石のように光るサーモンの卵も初めて食べた。
「美味しいじゃないの」
殆どの国はサーモンの卵を捨ててしまっているらしい。
思えば私の世界でも食卓に上がった事が無い。
なんて勿体無い事を。
「ヒルトさん、これがシシャモですよ」
「これがそうなんだ、ニシンは無いみたいだね」
「鮨ダネでニシンは聞かないですね。
シシャモは頭から全部食べられるんですよ」
「へえー、小魚は頭から食べられるんだぁ」
シシャモのお鮨も結構美味しいと思った。
考えてみれば、神様にお供えする神饌の魚は尾頭付きと決まってるんだよね。
食文化を考えると、この国の人達は海洋民族だった事が如実に表れていると思う。
握り寿司以前の鮨は、押し寿司で晴れの日の料理でもあったという。
特に握り鮨は会食用の料理で、ただ腹を満たすための料理じゃない事が解る。
会話を交わしながら摘まむのに最適な形でもあったんだ。
摩り下ろす本物の山葵も良い香りだし、生姜の酢漬けで口直しも美味しいた。
お店のお任せになるお好みコースでなければ、私の頼むのはサーモンのオレンジ色一色になっただろう。
「うーん、美味しかった。
また食べたいと思ったら、この国に来なくちゃならないんだね」
「今のヒルトさんなら難しい事じゃ無いでしょう?」
「そだね、移転の能力を貰ってるし」
「ヒルト様、カタカムナウタヒを使えば思う所にいつでも行けるんですよ」
「へ? そうなの?」
ジブリールの言うには、カタカムナウタヒ五首六首七首は思い願う世界に身を置ける神呪なのだとか。
思い願えば、時代も地域も因果も飛び越え、その時空間、世界に移動出来ると言う。
世界は因果の左様で様々なパラレルワールドを生じる。
思い願う世界がパラレルワールドのどこかに存在する。
その最適である世界に転移が出来る神呪の言霊がカタカムナだった。
「そうだったんだぁ、私にはもっと勉強が必要だね」
詳しく知らなければ、どんなに強力な道具も使いこなせないものだ。
オーディン様も言霊の理やカタカムナを知りたがるだろうなぁ。
「難しい話はそこまでにして次はラーメンに行きましょう。
この地のラーメンは有名なんですよ」
「ラーメンねぇ」
函館は塩ラーメン、すすきのは味噌ラーメンの派生地らしい。
元は醤油ラーメンが主流で、冬の寒さで冷めない様に油でスープを保護していたのが元祖だったようだ。
それから塩ラーメンや味噌ラーメンに発展した経緯があるという。
☆
私達は何仙姑お勧めの店を渡り歩く事になった。
函館での塩ラーメンは澄んだスープのラーメンなのが特徴だった。
名前に塩と付いてるけど、塩だけで作ったスープじゃないようで一安心した。
色は薄いけど、様々な材料の出汁が効いている。
「美味しいんだろうけど、スープの色が薄いから何とも言い難いってところかなぁ」
「この美味しさが判ればツウですよ、きっと」
「普通に美味しく食べられるけど、何か物足りないと言うか……」
「じゃぁ、次行きましょう、味噌ならきっと美味しいですよ」
「そだね」
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すすきののラーメン屋にやって来た。
ここでの一押しは味噌ラーメン。
「これが味噌ラーメンかぁ、味噌って結構美味しいと思えるね」
「そうでしょう? ヒルトさん」
ちょっと周りを見渡すとご飯も頼む人がいる。
ラーメンとご飯を交互に食べてるのかな。
世の中にはチャーハンをおかずに白米を食べる人までいるらしい。
「あんな食べ方があるんだ」
「私には考えられない食べ方なんですけどね。
だって、炭水化物をおかずに炭水化物を食べるんですよ?」
何仙姑の言うにはラーメンも餃子もチャーハンもそれぞれで主食だと言う。
私の世界では『主食』と『副食』という考えが存在していない。
だから彼女の言う事が理解出来るんだけど、『ラーメン』を副食に『ご飯』を食べる事が受け入れ難いようだ。
「両方で一つの炭水化物料理と考えれば矛盾しないと思うけど」
「そう考えれば、そうかもしれませんけど……」
麺を食べきった私はワイスも注文してみる事にした。
マナーはどうか知らないけど、残りのスープにライスを入れて食べるのも良いかもと思った。
「うん、これはこれで悪くないかも」
「ヒルト様、麺だけだと消化が良すぎるから、ご飯も食べると腹持ちが良くなるんですよ」
「そうなんだ」
「ジブリールさん、それは悪知恵という物ですよ?」
「私はそんな事無いと思います。
ラーメンライスというのは、元々腹持ち重視の貧乏飯なんですよ」
「貧乏飯?」
「御馳走じゃないんだぁ」
ジブリールの言うには、お金の無い昭和の学生などが満腹感を維持する方法だったとか。
栄養学的には勧められない食事法でもあるらしい。
しかし腹持ち重視の低価格で食べる貧乏飯にも、多くのメニューが潜在しているそうだ。
一度そういうのも試してみたいね。
「国の脳筋ヴァイキング達には丁度良いかも」
「あぁ、そういう考えでしたか」
「一応味覚も満足したし、私は観光に行きたいなぁ」
私は久しぶりに旅行ガイドブックを取り出しページをめくる。
北海道の観光地を見れば、登別にクマ牧場があるらしい。
「良いねぇ、熊も観ておきたいな」
「では行きましょう、登別のクマ牧場」
「はーい」
私達は竜に乗って登別のクマ牧場を目指す事にした。




