28話 次に狙われたのは
「クルミ!」
椅子に座って一心不乱にノートに書き込んでいたクルミはその大きな音と声にびくっとする。
いつもひょうひょうとしているシオンの珍しい姿に、クルミも驚く。
「どうしたのよ、シオン。そんなに慌てて」
「アスターが熱を出したんだ」
「そういえばここ数日オカンを見てなかったわね。風邪でもひいたの?」
「いや、最初はそう思って部屋で休むように言っていたんだけど、今朝容態が急変して、今はもう意識がない状態なんだ。薬も効かなくて、医師からは今夜が峠だと……」
「はあ!?」
まさかそんなひどい状態だと思っていなかったクルミは持っていたペンを投げ捨てた。
「医師にも原因が分からないと言うから、それで、もしかしたらクルミなら何か分かるかもしれないと。すまないが、すぐに来てくれないかい?」
「行くなと言われなくても、行くわよ! ナズナ!」
「はいな!」
バサバサと飛んできたナズナを肩に乗せ、シオンの後についていく。
その足取りは周囲に気取らせぬように平静を装いつつも、今にも駆け出したい衝動を抑えられないでいるようだった。
アスターは宮殿内にある一室で眠っているという。
皇帝の護衛という地位の高いアスターともなると、宮殿内に自室を持っているのが当たり前。
体調を崩したアスターは実家に帰ろうと思っていたが、シオンの勧めで優秀な医師のいる宮殿の自室で療養することにしたようだ。
おかげですぐにシオンが異変に気付き、クルミが駆けつけることができた。
部屋に入れば、数名の医師がベッドで寝ているアスターを囲んでいた。
シオンとクルミが入ってくると、一礼をして場所を空ける。
「アスターの様子は?」
「原因が分からず、どう対処していいかも分からぬ状況でございます」
シオンの問いに答える医師の表情は優れない。
「オカン!」
クルミがアスターの顔を覗き込むと、冷や汗を大量ににじませながら、苦悶の表情を浮かべていた。
側にいた女官がアスターの汗を拭っているのを信じられない思いで見ていたクルミは、すぐに目つきを鋭くする。
女官が掻き上げた前髪から覗く額が浅黒く変化していたのだ。
急いで掛け布団を剥いだクルミが、アスターの手や足先を確認すると、そこもまた浅黒くなっていた。
まるでじわじわとアスターを浸食するかのように。
「これは……」
「クルミ、まさか……」
シオンは気付いたのだろう。クルミのその表情で。
「何か僕にできることは?」
「できるだけ大きく質の良い魔石は用意できる?」
「分かった」
二人の間に多くの言葉は必要なかった。
「ナズナ、シオンと一緒に。必要な魔石を選んできて」
「はいな」
シオンはナズナを伴ってすぐに部屋を出ていった。クルミの言う魔石を用意するために。
クルミの空間の中にも前世で溜め込んだ魔石はたくさんあったが、魔法具を作るために使いやすいこぶし大程度の大きさの魔石しか持っていなかった。
けれど、それではアスターの呪いを解くことはできない。
そう、アスターの今の状態は呪いによるものだとクルミは判断していた。
そして、それはクルミの経験と知識からして、間違いはないと確信している。
クルミは女官にアスターのシャツを脱がすように指示をして、その間にインクを準備する。
空間から取り出したインクの瓶に人差し指を突っ込み、黒く濡らした指でアスターの上半身に魔法陣を描いていく。
そんなクルミの顔は気迫に満ちており、部屋にいた医師や女官も口を出せずにいた。
魔法陣を書き終えた頃、シオンが男性兵士二人を連れて戻ってきた。二人でようやく抱えられる大きさの魔石を持って。
「そっちの床に置いて。それからオカンを魔石の隣に」
「はい!」
「魔法陣には触れないようにね」
兵士達はゆっくりとアスターを床に寝かせる。
そして、クルミはアスターの片方の手を魔石に触れさせ、もう片方を魔法陣の上に乗せる。
「全員オカンから離れて」
魔法陣が光り始めたのを確認すると、クルミもアスターから距離を取る。
魔法陣は光り続け、一見するとなんの変化もないように感じたが、魔石を見ると次第にその大きさを小さくしていっているのが分かった。
「クルミ?」
シオンが状況を知りたそうにするので、クルミは口を開いた。
「呪いがオカンの中を浸食していってるの。それをオカンの中から出すためには大量の魔力で満たす必要がある。あれだけの大きな魔石なら、オカンの中を満たした上で、呪いをオカンから排出させることができる……はずなの」
「はずなのって、絶対ではないのかい?」
シオンの顔に不安が顔を覗かせる。けれど、クルミとて断言はできないのだ。
「仕方ないでしょう。これほど殺しにかかった高難度な呪いを解呪したことどころか、遭遇した経験がないんだもの。でも、知識としては知ってる。だからこれで合ってるはずなのよ」
クルミですら経験したことのない呪い。
だが、クルミだから気付けた。他の者ならなすすべなく、アスターの死を看取ることしかできなかっただろう。
それだけの難しい呪い。
後は自分の知識に頼るしかなかった。
祈るように様子を窺っていると、じわじわと小さくなっていた魔石が急激に勢いを増して、アスターに吸い込まれるようにして消えていった。
それと共に、アスターの体の浅黒く変色した部分が、追い出されるようにして元の肌の色へと変わっていったのだ。
そして、魔法陣の光も消える。
クルミは急いでアスターに駆け寄り、状態を確認すると、ゆっくりとアスターのまぶたが開いた。
「オカン!」
「アスター!」
アスターの顔を覗き込む二人に向かって、アスターは力なく微笑んだ。
「どうしたんだ、二人共。そんな大声出して。もう少し寝かせてくれ……」
それだけを言うと、またゆっくりとまぶたが閉じていく。
しかし、今度は穏やかな表情をしている。
クルミは肺から大きく息を吐き出した。心からの安堵と共に。
「平気そうよ。無事に解呪できたみたい」
「そうか」
シオンもそれを聞いて安堵の表情浮かべる。
続いてクルミの中に湧いてきたのはとてつもない怒りだ。
「シオンに続いてオカンなんて、あまりにもタイミングが良すぎるわ。きっとシオンの呪いが弾かれるようになったから、シオンにとって大事なオカンを狙ったに違いない」
こうなることを想定してアスターにも呪いを弾く魔法具を持たせておくべきだった。
シオンにとって一番近しいのはアスターだと多くの者が知っていることなのに。
シオンを狙っていたのでシオンさえ守れば大丈夫だと楽観視してしまっていた。
「許すまじ。オカンをこんな目に遭わせた奴には地獄を見せてやる」
「わいらのオカンにとんでもない奴や。いてこましたれ!」
ナズナも今回のことにはそうとうお怒りのようで、いつになく戦闘モードだ。
「僕も同感だ。……けど、僕が呪われた時とアスターとで態度が激しく違うんじゃないのかい?」
シオンは少し呆れたように呟いたが、怒髪天をついたクルミには聞こえていなかった。