3話 帰ってきた世界
「クルミちゃん、ビスケット食べる?」
「いただきます~!」
「いい返事だね。さあ、お食べ」
そう言っておばあさんが差し出してくれたビスケットを手に取り、口の中に入れた。
サクリとしたビスケットは少し塩味が効いていて小腹が減っていたクルミにはとてつもなく美味しく感じられた。
先ほど通りかかった馬車に乗っていたのは、これから自分達の村へ帰る途中の老夫婦だった。
隣村からの帰りだったらしい。
老夫婦は、奇妙な格好をしたクルミを最初は警戒していたが、旅の途中に道に迷ってしまったというクルミの咄嗟の嘘を信じ、快く馬車に乗せてくれた優しい人達だ。
舗装のされていない道は悪く、振動がもろにお尻を直撃するが、文句を言ってなどいられない。
むしろ感謝せねばならないだろう。
こんな人のいい夫婦に出会えたのは僥倖だった。
ついでに夫婦から情報を仕入れる。
「つかぬことをお聞きしますが、竜王国のことは知ってますか?」
「勿論知ってるわよ。よほどの田舎でもない限り知らない人はいないもの。なんたって世界四大大国の一つですから」
「四大大国……」
クルミの前世では、まだできたてほやほやの国だった竜王国だが、大国と言われるほどになっていることに素直に驚く。
「それがどうかしたの?」
「いえ、ちなみになんですが、竜王国が建国されてからどれ位経ちますか?」
「そうねぇ……竜王国の国民じゃないから詳しくは知らないけれど、ざっと数千年位じゃないかしら。ねえ、あなた?」
「そうだな。それぐらいじゃないか? 霊王国に次いで二番目に古い国だからな」
妻に問われた旦那も少し考えながらそう答えた。
「すう、数千年ーっ!?」
思わず裏返った声が出るほどにクルミは驚いた。それほどに時間が経っていたことに。
前世のクルミが竜王国と言われる場所に訪れた時は、まだそこは国にすらなっていなかった。
最強の種族である竜族がテリトリーにしていた場所という、ただそれだけの地域だった。
それが、人間によって迫害や奴隷にされたたくさんの種族が竜族に救いを求めて集まり、当時の竜族の族長を王として建国されたのが竜王国。
クルミの前世である魔女達もそんな竜族に救いを求めて集まった者達の一人だった。
何故かクルミは、後の初代竜王となるヴァイトに気に入られ、建国の手伝いを色々とさせられたのだが、今となってはいい思い出だ。
そもそも、当時の前世でも大人とは言えない年齢だったのに、魔女としての才能が高かったために何かと相談に乗らされた。
ヴァイトもヴァイトで、年齢や種族など気にしない大らかな性格だったので、大人の中に子供が交じっていることにおかしいとツッコむ者も多数いたのに、「大丈夫大丈夫」と笑って押し通した。
クルミの知り合いだったという愛し子はこのヴァイトのことで、愛し子故に多少のことなら強引に周りに認めさせる力があったのだ。
そうして建国の重要な会議にも強制参加させられたが、クルミとしては魔法具の研究をしている方が好きだったので正直いい迷惑だった。
会議そっちのけで研究に没頭していたら強制連行されたものだ。
そのくせ、ヴァイトは何かと理由を付けて仕事をさぼっているのだから怒りが湧く。
何度叱りつけて仕事をさせたか分からない。
いつしかクルミがヴァイトのお目付役みたいな立場にさせられたのには、心から苦言を呈したかった。
愛し子であるヴァイトに対しても容赦のないクルミをヴァイトはなおさら重用したので、ヴァイトが何かとクルミに相談してくる度に、周囲からの妬み嫉みは酷かったが、ヴァイトが守ってくれたりしていたので文句を言いながらも手伝っていた。
もしこれがヴァイトではなかったのなら、クルミは手伝わなかっただろう。
文句を言い、嫌々ながらも手を貸していたのは、ヴァイトにはそういう人を惹きつける力があったからだ。
竜族だからとか力が強いからとかではない、ヴァイト自身が持つ魅力。
愛し子であること以上に強い力だ。
だからこそ、竜王国が建国されてヴァイトが忙しくなると、クルミを守る余裕もなくなり、クルミはヴァイトから気に掛けられることに嫉妬した者達から酷い差別を受けるようになった。
それはクルミだけでなく、クルミと同じ魔女達にまで影響が及んだ。
仲間の魔女達には申し訳ないことをしたが、元々魔女を快く思っていない種族は多かった。
それまではヴァイトの来る者拒まずの精神により抑えられていたが、ヴァイトが正式に王になると、魔女が国の要職に就くのではと危惧した者達からの反発が目に見えて表に出始めてしまったのだ。
クルミはそんなつもりはなく、魔法具の研究ができればそれでよかったというのに、元々の魔女の印象が悪かったためにそうは思われなかった。
あまりにもヴァイトと仲がよすぎたので、ヴァイトの番いになって王妃になるのではと恐れられたというのもある。
まったく見当違いの心配だというのに。
なにせヴァイトには好きな人がいたのだ。決して結ばれることのない不毛な片思いだったが……。
それを知っていたのはクルミだけだったので、周りが変に勘違いしたのだろう。
嫉妬や権力争い。それによる嫌味や牽制。それに居心地が悪くなったクルミは、魔女達を連れて竜王国から海を渡った島へ行き着き、そこでヤダカインという国を作った。
魔女のための、魔女が迫害されない、魔女が過ごしやすい国を。
いつの間にかクルミがヤダカインの初代女王になっていたのは、今思い返しても首を傾げるしかない。
クルミはただ平穏に研究ができる環境を作りたくて頑張っていただけなのに。
しかし、迫害や差別をされない安住の地は手に入れた。
時々ヴァイトが遊びに来て、恋バナを聞かされたのは本気でウザかったが、平穏だった。殺されるその時までは。
話は逸れたが、竜王国の建国に関わったクルミが生きていた時から数千年もの時間が経っているなら、寿命が長い竜族と言えどさすがに生きていないだろう。
竜族なら寿命が長いからヴァイトにまた会えるのではないかと少し期待していたのだが、無理そうだ。
ヴァイトなら、快くこの世界で生きていくための手助けをしてくれるのではないかという思惑もあったため、方向を改めなければならないようだ。
「クルミちゃん?」
「は、はい!」
考えに沈んでいたクルミは、おばあさんに名前を呼ばれていることに気付いて我に返る。
「どうかしたの? 乗り物酔いでもした?」
「いえ、大丈夫です。ちょっと考え込んでいただけなので。竜王国のことは分かりましたけど、ヤダカインのことについては何か知っていますか?」
「ヤダカイン? 聞いたことのない名前ねぇ」
「俺も知らないなぁ」
さすがにヤダカインのことまでは知らなかったようだ。
まあ、小さな島国なので仕方ないかと思う。
竜王国辺りに行けば話も聞けるかもしれないと考える。
そのためには、まず現在地を確認しなければならない。
「じゃあ、ここは竜王国から見て、どの辺りにありますか?」
「竜王国から? 不思議なことを聞くのね。知っていてこの辺りを旅していたんじゃないの?」
「えっと……気の赴くままに旅をしていたので」
内心冷や汗ものだった。異世界から来ましたと言って、どれだけの人が信じるか分からなかった。
クルミとて、前世で精霊から聞かなければ、異世界から人が来ることがあるなど知らなかったのだ。
この老夫婦がそのことを知っているとは思えない。
旅人を装うのが一番無難に収まるだろう。
正直、旅人と言うには来ている服も装備もおかしすぎるが、騙されてくれたみたいだ。
「あら、そう? えっと場所だったね。ここは竜王国から見て、だいたい北東にある四大大国の一つである帝国内の中心部辺りかしら」
「帝国?」
クルミには覚えのない国だった。
「そうそう、この辺りだよ」
おばあさんが積み荷から地図を出して見せてくれた。
「なるほど」
だいたいの現在位置は分かったが、クルミがこの世界で生きていた時では、その辺りは多くの国が滅んだり生まれたりを繰り返して争いの絶えない地域だった。
きっと数千年の間に国々が統合され一つの大きな国となったのだろう。
クルミは少し考えた末にもう一つ質問する。
「竜王国に行くにはどうしたらいいですか?」
ヴァイトはもういないだろうが、前世で関わりのあった国。今がどうなっているか気になった。
そして、できればヤダカインに赴き、今の様子を実際に自分の目でみ見たいと思った。
「そうだね。陸路を行くなら北からぐるっと大回りしないといけないから、一度帝都に向かって、そこから港に行って船に乗った方が早いかもしれないね」
地図を見ると、帝都はこれから向かう村からは西にある。
けれど、地図で見る限り帝都まではかなりの距離があるよう。
「うーん……」
眉間に皺を寄せて悩むクルミを見たおばあさんは心配そうに声を掛けた。
「どうかしたのかい?」
「あっ、いえ、路銀もないのでどうやって帝都まで行こうかと思って」
「ああ、なんだ、そんなこと」
クルミ的にはかなりな問題なのだが、おばあさんは朗らかに笑う。
すると、老夫婦がごにょごにょと内緒話をして、うんうんと頷き合う。
そして、クルミに向き直ると「これは提案なんだけれど」と話し始めた。
「これから一月後、村に行商がやってくるんだ。行商はその後西の大きな町へ向かう。そこからは帝都へ向かう寄り合い馬車があるからそれに乗ればいい。行商に連れて行ってもらえるように私達から言ってあげるよ。それまでは、私達の家で畑の手伝いなどをしてくれないかい? そうすれば、寄り合い馬車に乗るぐらいのお駄賃は払うよ。残りは帝都で仕事を探せばいい。帝都なら仕事もたくさんあるだろうからね。竜王国へ行くぐらいのお金ならすぐに貯まるさ」
願ってもない申し出だった。
だが、あまりにクルミに都合が良すぎて疑ってしまう。
「えっ、本当にいいんですか? 私なんて初対面の怪しい奴なのに、どうしてそこまで……」
「こんな出会いも縁だからね。人の縁は大事にしたいのさ。ちょうど娘も結婚して町に行ってしまって、老人二人で寂しく暮らしていたから、クルミちゃんが来てくれたら賑やかになる。どうかな?」
なんていい人達に出会えたのだろうか。
クルミは静かに感動に打ち震えていた。
「是非。むしろこちらからお願いさせて下さい!」
「じゃあ、決まりだ」
「これから一月後までよろしくね」
「何でも言って下さい。体力には自信があるので!」
「そりゃあ、頼りになる。いっぱい働いてもらおうか」
「ふふふ、あなた。調子に乗ってクルミちゃんを働かせすぎないで下さいよ。こんな可愛らしい女の子なんだから」
「孫ができたみたいで嬉しいな、ばあさん」
「そうですね」
にこにこと笑う老夫婦に、クルミはこんないい人達も存在するのかと驚きと共に歓喜に震えた。
世の中捨てたものじゃないと。