8話 ユリアーナ
帝都観光からしばらくのこと。
帝都の名所はアスターによって色々と知ることができた。
まだ行きたいと思った場所や、魔法具制作のために帝都の人々の暮らしを確認したいので、また今度連れて行ってもらおうと思ったクルミは、宮殿内はそれほど探索していないことに気が付いた。
浄化の魔法具はまだ経過観察中。
その間に次に何を作ろうかと考えていたので、宮殿内で必要とされているのはどんなものか、アイデアを探すためにも宮殿内を散策しようと思い立つ。
ナズナを連れてフラフラと宮殿内を歩き回りながら、通りかかった宮殿で働く人達に不便なことはないかと聞き回る。
そうすれば、出てくる出てくる不満の数々。
冬場の水が冷たいだの、夏は逆に暑すぎて熱中症を起こす者が続出して人手が足りなくなるだの、特に女官達の口が止まらない。
最近クルミがキッチン周りを大改造して使いやすくしたのを知っているようで、クルミに言えばなんとかしてくれるかもしれないと、遠慮なく愚痴る。
廊下のど真ん中で女官達の話を聞いていたら女官長が険しい顔でやって来て、仕事をサボるなと怒るのかと思ったら、女官達を押しのけて女官長自らが不満をぶつけ始めた。
これにはクルミも呆気にとられたが、長年宮殿で働いていた分だけ女官長には積もり積もったものがあるらしく、弾丸トークが止まらない。
メモを取るクルミの手が追いつけないほどだ。
廊下を占拠する形となってしまったが、女性達の勢いに、他の官吏や兵士達は注意もできず身を小さくして避けて通っていく。
小一時間話し続けたことですっきりして仕事に戻っていった女性達だが、クルミは逆にぐったりだ。
今日の調査はこのぐらいにしようと早々に引き上げ、クルミは森のように深い宮殿の庭に向かった。
青々とした葉を付けた木々の中を、あてもなく歩く。
「はぁ~。気持ちいいわね」
全身で森から発せられるマイナスイオンを浴びるように、ゆっくりと手をあげて伸びをする。
その横をナズナも気持ちよさそうに飛んで付いてくる。
「ほんまやなぁ。主はんもたまにはこうして外を歩かなあかんで。部屋に籠もってばっかやと健康に悪いしな」
「それは分かってるんだけど、一度集中すると他のこと忘れちゃうのよね。オカンには本当に申し訳ないわ」
「それ、ほんま反省せなあかんで、主はん。オカンがおらんかったら部屋で野垂れ死んでるかもしれへん」
「ははは……。しゃれにならないわね」
クルミから乾いた笑いが出る。
研究に集中して食事も忘れるクルミを、いつも部屋から引っ張り出して食事の席に連れていってくれるのがアスターなのだ。
ナズナはクルミと魔力が繋がっているのをいいことに、一日、二日程度なら帰ってこないことがままある。
なので、アスターの存在はとんでもなくありがたかったりする。
健康には食事とほどよい運動が肝心だと毎回クルミを叱りつけるアスターはやはりオカン。
アスターはシオンの護衛なのでクルミの世話は仕事ではないのだから放っておけばいいものを、クルミがオカンと言って懐いているせいか、アスターにもなにやら親心が芽生えてきているようで、シオンとそろっていつもアスターの面倒になっている。
アスターの性格もあるのだろう。
シオンから聞くところによると、アスターにはたくさんの弟と妹がいるらしく、よく兄弟の面倒を見ているらしい。
アスターの世話好きはそこから来ているのかと、なにやらすごく納得してしまった。
いや、本人は別に世話好きというわけではないのだろうが、放っておけない性分なのだろう。
そのアスターのおかげで、クルミはすこぶる健康に過ごせている。
アスターには足を向けて寝られない。
「おっ、主はん。なんや建物見えてきたでー」
目的地もなく森をうろついていたクルミ達は思ったより深いところまで来てしまっていた。
そんな時にクルミの少し上を飛んでいたナズナが遠くを見ながら報告してくる。
「へぇ、こんな奥にも建物があるのね」
宮殿の敷地は広く、クルミもまだその全容は知らないのだ。
そもそも部屋に籠もってばかりで知る機会がないとも言うが、探検と言って宮殿内を調べているナズナでもこの辺りの場所に来たのは初めてのよう。
シオンの住まう本殿からはかなり離れているが、なんの建物だろうかと近付いていくクルミ。
庶民のクルミから見たら豪邸であることは間違いないが、本殿や離宮に比べたら随分とこじんまりとした建物だった。
それもかなり時代を感じさせる上、周囲を見渡しても人通りはなくすごく静かだ。
鳥のさえずりしか聞こえてこない静けさだったが、庭先には洗濯物が干されていて誰かいることを示していた。
そこだけ切り取ると、宮殿の敷地内であることを忘れそうなほど空気感が違う。
まるで田舎の忘れ去られた屋敷のような、中から世捨て人の老人が出てきそうな雰囲気だ。
「ここはなんの建物なのかな? ナズナ分かる?」
「全然分からんわ」
「庭はちゃんと手入れされてるようだし、誰かいるんだろうけど、静かすぎる……」
建物の周りをうろうろしていると、視線を感じた。
ふと視線を動かすと、1階にある窓の向こうからこちらを窺う、緩いウェーブのハニーブロンドの髪をしたピンク色の瞳と目が合った。
「ひぇっ!」
不意のことで思わず変な声を出してしまったクルミに向こうも驚いたのか、ぱっと隠れてしまう。
しかし、少ししたら恐る恐るといった様子で姿を見せて、窓からこちらを窺ってくる。
その可愛らしい仕草は兎のような小動物を思わせて、クルミも警戒心が薄れていった。
試しに手を振ってみると、驚いた顔をして隠れ、再びゆっくりと顔を覗かせた。
けれど全部ではなく、鼻から上だけだ。
そしておずおずと小さく手を振り返してきた。
なんだろうか。この可愛い生き物は。
激しくクルミの母性が活動し始めた。
「えと、こんにちは。私はクルミよ。あなたは?」
「…………」
返ってきたのは沈黙。
よほどクルミのことを警戒しているのだろう。
とりあえず今日は出直してくるかと、クルミが背を向けると、後ろから小さな声が聞こえてきた。
「……ユリアーナ」
可愛らしいその声に、ぱっと振り返ったクルミがにこりと微笑めば、ユリアーナという少女は口元まで顔を出して戸惑い気味な笑顔を返してくれる。
「もう少し近付いてもいい?」
こくりと頷いたユリアーナに、クルミは怖がらせないようにゆっくりと距離を詰める。
そして、手が届きそうなほど近付くと、ようやくユリアーナの顔がよく見えた。
日に焼けていない病的なほどに白い肌と、ピンク色のくりくりとした大きな目が愛らしく、まるでお人形のように完成された可愛らしい少女。
「年はいくつ?」
「十二歳」
年齢を聞いて驚いた。聞いた年齢よりも幼く見えたからだ。身長も低い。
帝国の人はクルミより長身で大人びた顔立ちの人が多く、ユリアーナと同じ十二歳といったらクルミと変わらない背の者もいるぐらいだ。
実際クルミの年齢を聞いたシオンとアスターは驚いていた。そこまで童顔ではないと思うのだが。
けれど、目の前のユリアーナは帝国人の平均から見ても発育が悪い方だろう。
「ここにはあなた一人なの?」
「ううん。お母様とエビネがいる。エビネは女官だからお休みの日は別の人が来るけど……」
「そうなんだ」
耳元でナズナが囁く。
「女官が付いてるってことは高貴なお人かいな?」
「かもね」
しかも宮殿内に屋敷を賜るぐらいなので、それなりの地位があるかもしれないが、本殿から遠く離れたこんな人気のない場所となると、なにやら曰く付きの予感がする。
周囲に木々しかない、隔離されるようにしてある建物に、こんな子供がいるなんて思いもしなかった。
「……お姉さんはここで何してるの? ここに近付いたら怒られる」
「そうよね、あなたのお母さんに怒られちゃうか。勝手に入ってきてごめんね」
しかし、ユリアーナは首を横に振る。
「ううん。お母様じゃなくて、お兄様に怒られちゃう。罰を受けるかも」
「えっ、お兄さんもいるの?」
こくりと頷くユリアーナ。
しかし、先程ユリアーナは母と女官しかいないと言っていたが、どういうことなのか。
だが、まあ、クルミが罰を受けることはないだろう。
不本意ながらも皇帝の妃としてここにいるのだから、クルミを罰することができるのはシオンぐらいのもの。
だから安心させる言葉をかける。
「私の心配なら必要ないわ。これでもこの宮殿ではそれなりの地位があることになってるから」
「お兄様よりも?」
「うんうん」
ユリアーナの兄を知らないので適当に頷く。
すると、ユリアーナは驚いた顔をして問いかける。
「じゃあ、お姉さんも愛し子なの?」
「えっ?」
「だってお兄様よりも偉いんでしょう? 愛し子で皇帝のお兄様よりも偉いのは、お兄様よりも格の高い愛し子だけだってエビネが言ってた」
しばしの沈黙が落ちる。そして、クルミの口元がヒクつく。
「……ナズナ、気のせいかしら。今この子、シオンの妹的なことを言った気がしたんだけど、きっと私の耳が悪かっただけよね?」
「いや、現実逃避したらあかんで、主はん。このお嬢さん間違いなく皇帝のことお兄様って言っとったやないか。この国で愛し子で皇帝なんは一人だけや」
クルミはこめかみを押さえる。
「確か、シオンって兄弟皆死んで跡継ぎがいないとか言ってなかった? それで皇帝にならざるを得なかったって。じゃあ、この子は何?」
この帝国では女性でも皇帝になれるので、シオンの言葉と矛盾する。
「わいに分かるかいな」
そりゃそうだ。シオン本人に聞かねば分からないだろう。
「とんでもなく厄介なところに来ちゃったかも……」
「とんずらしまっか?」
それが賢明な判断かと、足を動かした時。
「もう帰っちゃうの?」
ひどく悲しそうな眼差しで見つめられる。
寂しい、行かないでとその目が訴えていた。
それはそうだろう。こんな人が来ないような森の奥に母と女官しかいないのであれば、他人と交流することもないのかもしれない。
クルミの中で激しい葛藤がなされた結果、クルミの足はユリアーナに向かっていた。
「あなたのお部屋に入ってもいい? 美味しいお菓子があるからお茶しながらお話ししましょう?」
そう言うと、ぱあと花が咲いたようにユリアーナは笑った。
悪人でも善人にしてしまえそうな純粋なその笑顔に、本当にあの悪魔と血が繋がっているのか不思議に思ってきた。
「いいんでっか?」
「仕方ないじゃない。あの目を見て帰れる?」
普通の感覚を持ってる者なら絶対に無理だ。
「後で皇帝はんに怒られへんかったらいいんやけど」
「その時はオカンに泣きつくわよ」
あれでいてシオンはアスターに弱いのだ。
文句を言いつつも、アスターの言うことは聞いているから、何かあってもアスターが助けてくれるだろうと期待する。




