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9話 裏切り




 たくさんの荷を積んだ荷馬車に乗って行商人がやって来たのは、クルミがこの村に来てから一ヶ月を少し過ぎた頃だった。



 この行商人は商品を売りに来るだけでなく、帝都での出来事や噂話、さらには帝都で流行っている物語や商品なども伝えにやって来るとあって、大人のみならず子供達も行商人の訪れは待ちに待ったものだ。


 これから村の広場に向かう行商人の後を、子供達が楽しそうに追い掛けている。

 行商人は四十代ぐらいの中年の男性と、もやしのようにひょろりとした細身の二十代ぐらいの男性との二人だ。

 広場に着き、行商人の二人が荷馬車から降りてくると、村長が挨拶をする。



「遠いところ来てくれてありがとうございます。首を長くして待っていましたよ」


「いやいや、仕事ですからな」



 どちらかというと、客である村長の方がへりくだっている印象を受けた。

 だがまあ、それも仕方がないのかもしれない。

 帝都からも離れたこの村にわざわざ商品を持ってきてくれる行商人の存在はとても大事なのだ。

 行商人が来なくなると、ここから馬車で何日も掛かる遠い大きな町まで買い出しに行かねばならない。

 来てもらう方の立場が弱くなるのは当然の流れだった。



「さて、じゃあ、早速準備をしましょうかね。おい」


「はい」



 中年の行商人がもう一人の若い人を呼ぶと、若い人は絨毯のような布を敷き、その上に商品を並べていく。


 奥さん方は財布を片手に、並ぶのを待つのも我慢ならないというように目をギラギラさせて商品が並ぶそばから見定めている。

 どこの世界も女性の買い物への熱はすさまじいものだ。


 巻き込まれないように遠目に見ていると、「クルミちゃん」と、中年の行商人と話していた村長に呼ばれる。



「はい。なんですか?」


「今、クルミちゃんのことを彼に話していたところなんだ。大きな町まで連れて行ってくれるように頼んだら、了承してくれたよ」


「本当ですか!? ありがとうございます!」



 町に連れて行ってもらえるように交渉しなければと思っていたのだが、どうやら村長が話を通してくれたようだ。



「どうも、はじめまして、可愛いお嬢さん。町に行きたいというのはあなたかい?」


「クルミです。よろしくお願いいたします」



 手を差し出してきた行商人の手を取り、握手をする。

 人の良さそうな笑みを浮かべる行商人は優しそうな雰囲気で、クルミは安堵した。

 大きな町まで数日間一緒に過ごすことを考えたら、気の良さそうな人の方が気持ちが楽だからだ。



「帝都に行きたいそうですね。我々は町までの案内になりますが、よろしいですか?」


「はい。その後は自分でなんとかしますので。お願いできますか?」


「我々は構いませんよ。こんな可愛らしいお嬢さんと少しの間でも旅をご一緒できるなんてこちらからお願いしたいぐらいだ。はははっ」


「可愛らしいだなんて……」



 可愛いなどと普段言われないクルミは、内心で舞い上がるほど喜んでいた。

 さすが商人。言葉が上手い。



「いや、主はん、お世辞やお世辞」



 肩に乗っていたナズナが耳元でぼそりと呟いたので、指で上下のくちばしを押さえ付けた。

 せっかく人が気分良くしていたというのに。

 それに、誰かに聞かれていたらどうするのか。



「今日は村長の家に泊まらせてもらうので、明日の出発でよろしいかな?」


「はい、大丈夫です!」



 そんな会話をしていると……。



「えー、クルミちゃん行っちゃうの?」


「やだー」


「もっと面白いの作ってー」



 そう言って縋り付いてきたのは、村の子供達だ。

 畑仕事や研究の合間に、子供の遊び道具なんかも作って与えていたらなんだか懐かれた。

 どちらかというと、クルミが恋しいというよりクルミの作る遊び道具が目当てな気がしないでもないが、惜しまれるのは素直に嬉しい。



「また機会があったらこの村に来るわよ」


「本当に?」


「うん。その時はもっと面白い遊び道具持ってくるわ」


「やったー!」


「早く戻ってきてね」



 無邪気な子供達は再度懇願してから、若い行商人が荷台から出したお菓子に群がっていった。

 呆気ない人気である。


 お菓子に負けてなんだか切ない気持ちになっていると、中年の行商人が村の広場に置いてある魔法具に目を付けた。



「あれはなんですかな?」


「ああ、あれはクルミちゃんが作ってくれた浄化の魔法具ですよ。あれのおかげで村の者達がいつも綺麗になれて重宝しているんですよ」



 村長が答えると、中年の行商人は驚いた顔をしてクルミを見た。



「魔法? お嬢さんは魔法が使えるのですか?」


「ええ、まあ。でも私が使うのは精霊魔法ではなく、魔術ですが」



 行商人ならば精霊魔法と魔術の違いが分かるかと少し警戒したが、特に反応は見られなかった。

 魔法の違いというより、魔法が使えることへの驚きだけのようだ。

 帝都にも行くこともあるというこの行商人が精霊魔法ではない魔術に反応しないということは、この数千年で魔女は随分とマイナーな存在になってしまったのかもしれない。



「ほう、それは素晴らしい! しかも、あの魔法具を作れるとは」


「魔法具を知っているのですか?」



 魔法具は魔女が作るものだ。精霊魔法と魔術の違いが分からない行商人が知っているとは思わないのだが……。



「帝都では魔法具を売っている店もありますよ。王宮の魔法使いの中でも優秀な魔法使いが作っているとか。魔力がない者でも魔法が使えるのは嬉しいのですが、高価な物なので一般市民には中々手が出せる物ではないです。私も何度か目にしたことはありますが使ったことはないですな」


「そうですか……」



 もしかしたら、魔女が作る魔法具とはまた別の作り方の魔法具が存在するのかもしれない。

 それか、魔女の知識を持った者が王宮にいるかだが……。


 まあ、クルミが生きた時代から数千年が経っているのだ。

 魔法の技術が進化したとも考えられるが、確かなことは分からない。

 ますます、帝都で情報収集をした方が良さそうだ。



「このような辺境でお目にかかれるとは思いませんでしたよ。お嬢さんは他にも魔法具を作れるので?」


「え、ええ」


「ぜひ、見せて下さいませんか!?」



 目をキラキラさせて懇願される。

 前のめりで来るあまりの押しの強さにクルミがのけぞるように引いていると、代わりに村長が我がごとのように自慢げに話し始めた。



「クルミちゃんは、これまでに火を点ける魔法具を村人全員に配ってくれましてね。他にもれいぞうこ、なる食材を腐りにくくしたり氷を作ったりできる便利な物もあるんですよ。他にも蝋燭に代わる灯りを作ってくれたりしましてね」


「おお、それはぜひとも見せていただきたいですな」


「では、こちらにどうぞ」



 村長と共に中年の行商人が行ってしまったので、クルミはほっとする。

 やはりクルミの作る物は人間には珍しい物が多いようだ。

 ならば、町へ行っても、それを売買して生計を立てられるのではと考える。


 クルミとしては、好きな魔法研究と魔法具作りができて、お金も稼げる。

 好きなことをして好きに生きられるのはとっても素敵なことではないか。

 そこでまた前世のように魔女だからと迫害されたらヤダカインにでも行けばいい。

 まあ、そこが今どんな状況か分からないので、一度様子を見に行かねばならないが。

 けれど、魔法具というものがすでに帝都にあるのなら、そこまで迫害される心配をする必要はないかもしれないと、少し先の未来が明るく感じた。



 家に帰ったクルミは、明日出発するということで、これまでお世話になった老夫婦にお礼を告げた。



「本当にありがとうございました。おじいさんとおばあさんのおかげでなんとかなりました」



 クルミは二人に深々と頭を下げて感謝の意を伝える。



「あらあら、そんなこといいのよ」


「そうだぞ。寧ろ感謝しなくてはならないのはこちらの方だ。色々と便利な道具を作ってくれてすごく暮らしやすくなった」



 家の中にはクルミが作った冷蔵庫が食料を保存し、夏でも氷が使え、天井には蝋燭ではない魔法の灯りが昼間のように部屋を明るく照らし、いつでも調理できるように火を点けられる魔法具がある。


 実は他にも、井戸まで行かなくても蛇口をひねるだけで水が出る魔法具なんかもキッチンに設置しており、この家はかなり便利な環境にカスタマイズされていた。


 これは、クルミなりのお礼の品々だ。

 本当はもっと納得いくまでリフォームしたかったが、時間が来てしまったので仕方がない。

 クルミ的には不満が残る結果だが、老夫婦にはたいそう感謝されたのでそれに関しては満足だった。



「はい、クルミちゃん。これ受け取って」



 そう言っておばあさんはクルミの手を取って、手のひらの上に小さな巾着を乗せた。

 チャリンと音を鳴らしたそれの中を開いて見てみると、お金が入っていた。

 物の物価や貨幣に関しては村の奥様方に聞き込み済みである。

 その情報から考えると、いささか多すぎる気がした。



「えっ、こんなに?」


「良いのよ、もらってちょうだい。帝都は物価も高いからこれ位しか渡せなくてごめんなさいね」


「クルミちゃんにはたくさん手伝ってもらったからね」



 にっこりと優しく微笑む老夫婦の笑顔にクルミの鼻の奥がツンとした。



「あ……ありがとうございます……」



 なんて優しい人達だろうか。

 クルミは親切心に触れて涙が込み上げてきたがグッとこらえる。

 帰ってきたこの世界で、最初に出会えた人がこの人達で良かったと心から思った。



「じゃあ、今晩はクルミちゃんのお別れ会ね。腕によりを掛けてご馳走作っちゃうわ」


「おお、そうだな。パーティーだから今日行商人から買ったお酒を開けるか」


「そんなこと言って、あなたはお酒を飲みたいだけでしょう」


「バレたか」



 その場に笑い声が湧き起こる。

 この村での最後の晩餐は笑顔に包まれたものだった。



***



「じゃあ、クルミちゃん。留守番頼むね」



 申し訳なさそうにするおじいさんに、クルミは元気よく頷く。



「はい」


「やっぱり私は残ろうかしら。最後の日だっていうのにクルミちゃんを一人にしておくのもかわいそうだわ」



 おばあさんはそう言って心配そうにするが、クルミは笑顔で答える。



「大丈夫ですよ。毎回決まった集まりなんですから行ってきて下さい」


「そう?」


「どうぞ、どうぞ」


「じゃあ、お言葉に甘えて行ってくるわね」


「はい。いってらっしゃーい」



 クルミは手を振って老夫婦を送り出した。

 なんでも、行商人が来た時は、村長の家に大人達が集まって行商人の歓迎会が夜通し行われるのがお決まりらしい。

 行商人がまた来てくれるようにというのもあるが、行商人から外の情報を仕入れる場でもあり、村の人が外のことを知れる貴重な機会である。


 それを自分がいるからと老夫婦の楽しみを奪いたくはなかった。

 この村にいる最後の夜が一人というのは少し寂しいが、仕方がない。まあ、ナズナはいるので一人ではないし。



「明日からの旅に備えて空間の中の整理でもしておくか」



 気分を入れ替えて、空間から物を次々に取り出して部屋に並べる。

 数千年前の物ばかりなのでクルミも何を入れたか思い出すためにも整理は必要だった。



「えらいたくさんありまんなぁ」



 パタパタと飛んできたナズナが、クルミの空間の中に入っていた荷物を見て感嘆する。



「おっ、これも魔法具でっか?」


「ん、どれ?」



 ツンツンとくちばしで突いた後、ナズナはそれを持ってクルミの元に持ってきた。



「うわー、懐かしい。そう言えばこんなの作った作った」



 ナズナが持ってきたのは綺麗な彫刻がされた金色の腕輪である。

 内側を見ると、じっくりと見なくては分からないほど繊細な魔法陣が刻まれた跡がある。

 これは前世でクルミが作った魔法具だ。



「どういう魔法具なんでっか?」


「これはね……」



 ナズナを見てクルミはニヤリと笑う。

 それを見たナズナはじりじりと後ずさった。



「なんや、やな予感が……」


「ほいっと」



 クルミは腕輪をナズナの首に掛けた。

 自動で大きさを調整する機能を持ったそれは、ナズナの首にぴったりと合うように大きさを変えた。


 直後、ナズナの姿が変わり、そこに居たのは一匹の茶色い猫。

 若干ポチャリしてるのはナズナが元だからか……。

 違和感を覚えるものの何が起こっているか分からないナズナはキョロキョロとしている。

 クルミは笑いを噛み殺して、ナズナの前に鏡を置いてやると……。


 最初はきょとんとした顔をしていた。

 何故ここに猫が映っているのか不思議に思ったのだろう。

 しかし、目の前の猫が自分と同じ動作をしていることに気付き、自分の足に肉球を見つけ、鏡に映るのが自分だと理解したナズナは絶叫した。



「ミギャー」 



 猫になったナズナは毛を逆立てて叫び声を上げパニック状態。



「あははは」

 


 クルミはナズナの反応にお腹を抱えて笑う。

 


「ミギャ、ミギャー」



 なんとかしてくれと縋り付いてくるナズナに、クルミは笑いを抑えて



「はいはい、今取ってあげるわよ」



 するりと取れた途端に元の姿に戻ったナズナは、鏡を見てほっと息を吐いた。

 そして、クルミに抗議の声を上げる。



「なんちゅーことしてくれんねん!」


「滅多にできない体験でしょう?」


「あったりまえや。なんで、そんなもん作ったんや」


「昔ちょっと猫になりたい気分の時があったのよね。ナズナは私の記憶もあるんだから記憶を見ようと思えば見られるでしょうに」



 ナズナは少し首を傾げて沈黙した後、「あー」と言って納得したようだ。クルミの記憶を探して垣間見たのだろう。



「仕事から逃げるためやっけ?」


「そうそう」



 当時、ヴァイトの愛人だなんだと文句を言いながら構わずこき使う奴らに辟易し、日向でのほほんと日なたぼっこしていた猫を見て、心の底から猫になりたい! と強く思った。

 それで、面倒事を持ってくるヴァイトや仕事を押し付けてくる奴らから逃げるため、そしてのんびりとした自由な時間を手にするため、彼らの眼を欺くように猫に変化するこの腕輪を作ったのだ。


 竜族の鼻でも分からぬよう匂いから気配まで猫を研究し尽くして猫になりきることに成功したが、あれはもう執念のなせる技だった。


 今から考えると、よほど追い詰められていたのだなぁと思う。

 城内を歩けば陰口を言われ、仕事を押し付けられ、好きな魔法の研究の暇も与えられず、ヴァイトはヴァイトで面倒臭い。

 そりゃあ、逃げたくなるというものだ。


 まあ、ヴァイトがやって来るのは息抜きにはなったし、仕事も半分押し付けられたのでそこまで問題ではなかったが、一々リディアのことでヘタレているのを聞くのは面倒この上なかった。


 自分がいなくなった後、あの二人の関係がどうなったか少し興味がある。

 まさか、こじらせたまま死んでいないだろうなと思いつつ、ヴァイトならあり得るという思いも捨てきれない。

 今度それとなくリディアに聞いてみるとして、忘れていた思い出の品が出てきたのは素直に懐かしく思う。

 これらはクルミがこの世界で生きていたという証でもあるのだ。



「確かヴァイトにも一つあげたんだよねぇ。あれどうしたんだろ」



 最終的に腕輪の存在が見つかって、ヴァイトが「欲しい、欲しい!」と騒いだのでもう一つ作ってあげたのだ。

 ヴァイトのことだから、きっとよからぬことに使ったのだろうなと予想する。

 なにせ奴は仕事を放りだして逃亡する常習犯だったのだ、きっと有効活用したことだろう。

 そんなことを考えていると、良いことを思いついた。



「せっかくだからこれ付けて夜の散歩と洒落込みましょうか」


「おっ、ええな。この村の最後の夜やし、今日は満月が綺麗やで」



 カーテンから外を覗くと、空にはまん丸のお月様が夜空を照らしていた。

 クルミは窓の鍵を外して開けると、先程の腕輪を自分の腕に着ける。

 すると、クルミは姿を変え、そこには黒い猫がちょこんと座っていた。



「ニャ、ニャア?(ナズナも行くでしょう?)」


「主はん、何言ってるか分からんで。さすがのわいでも猫語は分からんわ」


「ニャー(そうだった)」


『これで分かる?』



 クルミは念話でナズナに話し掛けた。



「ばっちりや」

 

『よーし、歓迎会がどんな感じか興味あるし、ちょっと覗いてみよう』


「よっしゃ、行くで~」



 クルミとナズナは窓から外に飛び出した。

 夜の村は満月の光のせいだけではなく、クルミが村の至る所に街灯を作ったため、歩くのに問題ない明るさがあった。

 鳥であるナズナがちゃんと見えているか気になるところだが、魔石が元となっているナズナは厳密には鳥ではないので鳥目で困ることはない。

 問題なく夜道を飛んでいる。



 村長の家が見えてきた。近付くにつれ、ガヤガヤと騒ぐ声が大きくなってくる。

 滅多にないイベントに大人達がハッスルしているのが予想できてクルミは微笑ましく感じた。

 この何もない村では、行商人が来るというだけでも一大イベントなのだ。


 クルミは気付かれぬように窓からこっそりと中を覗くと、大人達がつまみと酒を片手に顔を赤くしながら談笑している。

 老夫婦の姿も見つけ、楽しそうに笑っているのを見て、やはり行くように言って良かったとクルミは思った。



「それにしても、一ヶ月前に来た時と比べて随分と村が発展していて驚きましたよ~」



 そう機嫌よくしゃべるのは、今日やって来た中年の行商人だ。



「そうでしょう。あの娘が来てから便利な物をたくさん作ってくれましてね」


「ほんとに素晴らしい子ですよ」



 次々に村人から褒められてクルミも嬉しくなる。

 ちゃんと役に立って、それが認められていると。

 だが……。



「今回の商品はあの子でいいんですか?」


「ええ、そうです。迷子の旅人のようでね。他に一緒にいる者もおらず、売るには都合が良い」

 


 村長がへらへらと笑いながら中年の行商人に酒を注ぐ。

 すると、先程までクルミを家に残すことを心配していたおばあさんが前のめりになって訴える。



「あの子を連れてきたのは私達ですよ。勿論多めに分け前をもらえるんでしょうね?」


「それは安心して下さい。あれほどの魔法具を作れるのです、普通に奴隷として売るより、貴族などに売ればけっこうな金になるでしょう」



 そう言って酒を一気にあおった中年の行商人の言葉に、喜色を浮かべたおばあさんとおじいさん。

 覗いていたクルミの表情が固まる。



「頼みますよ。一ヶ月もいい人のふりは肩がこって」


「馬鹿な子ですよ。まさか自分が売られようとしているなんて思わずに、私達のことを親切な人なんて思ってるんですから」


「それはお前の演技が堂に入っていたからだろう?」


「何を言ってるんですか、あなただって名演技でしたよ」


「おいおい、じいさん、ばあさん。俺達もじゅうぶん協力したことも忘れないでくれよ」


「あら、あんたは大根すぎてバレないか、こっちはハラハラしたけどね」


「まったくだ」



 あははははっと、全員で笑い合う老夫婦と村の人達の会話を残さず聞いていたクルミは、ようやく硬直から解け頭が働き出した。



『なに……どういうこと……?』


「主はん、もしかして村の人らに売られそうになってるんちゃうか?」



 動揺が隠せないクルミを置いて、中ではさらに会話が進む。



「魔法が使えるようですから、魔法で逃げられたら大変だ。町に着く前に睡眠薬で眠らせてから奴隷商人のところにでも連れて行きましょうか。そこまで行けば魔封じのアイテムがあるから、それで無力化してから売ることにしましょう。珍しい黒髪に黒目をしているからコレクターにも高く売れそうですな。いっそ、オークションにかけた方が高値が付くかも……」



 中年の行商人が売り方について考え込んでいるが、クルミの耳には入ってこない。

 頭の中を占めるのは悲しみを超えた怒りだ。



『あんの、くそばばぁ、くそじじぃ~』


「わっ、主はんがぶち切れよった!」



 これまで親切にしてくれた記憶が走馬灯のように頭の中を巡る。

 それもこれも、クルミを騙して油断させ、奴隷商人に売るためだったのか。

 そう思うと、可愛さ余って憎さ百倍。



『ナズナ!』


「はいな!」



 ギッっと睨まれ、ナズナの背筋が伸びる。



『帰るわよ!』


「えっ? あれ放っておいてええんか?」


『いいわけないでしょ! 売られる前にここから逃げるわよ。……でもこのまま逃げるのは腹の虫が治まらない!』



 急いで老夫婦の家に戻るクルミの後をナズナが大慌てで追い掛けていく。

 戻ってきたクルミはナズナに腕輪を外してもらう。

 猫の手では外せないことに家に着いてから気付いたのだ。

 前世では弟子に外してもらってたことを思い出したが、過去の思い出に浸る心の余裕はなかった。



 人間の姿に戻ったクルミは据わった目をしながら、私物を空間に放り込んでいった。

 元々明日出発する予定で荷物を整理していたので、入れる物は少ない。

 それらを入れ終えると、クルミはキッチンへ。

 自らが作った冷蔵庫をゴソゴソとしているクルミへナズナの疑問が飛ぶ。



「何してるんでっか?」


「こうするのよっ!」 



 クルミは魔法具の元となっている魔石に魔力を流して刻まれた魔法陣を無効化した。

 効力をなくした魔石はただの魔石に戻り、冷蔵庫から急速に冷気が消える。

 続いてクルミは水が出てくる蛇口、そして天井の灯りからも魔石を回収して魔法具を破壊した。

 フンッと鼻息を荒くしたクルミは、そのまま外へ。



「私は浄化の魔法具を破壊してくるから、ナズナは村中の街灯を壊してきて!」


「えっ、村中のでっか!?」


「そうよ。あいつらに魔法具を渡してなるものですか! 着火の魔法具だけは餞別にくれてやるわ!」


「えー。人使い……いや、鳥使いの荒いお人やわ」


「文句を言わずさっさと行く。時間との勝負よ。見つかる前にぶっ壊してとんずらするんだから」



 ビシッと指をさして「行ってこい!」と命じるクルミに、ナズナは渋々飛んでいった。

 それを見送り、クルミは浄化の魔法具を壊すべく村の広場へ向かった。



「くっそぉ~。やっぱり人なんか簡単に信用するもんじゃなかった。あんな人の良さそうな顔して人を売ろうとするなんて。最初っからそのつもりだったのにお礼だなんだってたくさん魔法具渡したりして、私が馬鹿みたいじゃない!」



 いや、実際に馬鹿だった。

 あんな凶悪な裏の顔を隠していたとは。

 しかも、村の大人全員がグルだなんて、さすがのクルミも騙された。

 この一件は確実にクルミの人間不信を悪化させたことだろう。

 地球でも、彼氏に浮気され、こっちの世界でも人に騙され、踏んだり蹴ったりだ。



「この恨み晴らさで置くべきか」



 今のクルミの顔を見たら子供がギャン泣きしただろう形相で、浄化の魔法具を破壊しにかかる。

 元々クルミが作った魔法具だ。どこをどう弄れば機能を失うか、仕組みは誰よりも分かっているので破壊するのは造作もなかった。


 簡単に壊して媒体となっていた魔石を回収したクルミは、近くの家の勝手口からそっと侵入する。

 ここは子供の居ない家だ。住人は歓迎会に参加しているので誰も居ない家の中はしんと静まりかえっている。

 クルミは暗がりの中空間から、最近作った懐中電灯に似た魔法具で家捜しする。

 探しているのはクルミが与えた魔法具だ。


 こうしてクルミは、侵入しては魔法具を破壊してを繰り返す。

 のどかな村なので誰も家に鍵などかけていないから侵入し放題。

 さすがに子供の居る家に侵入すると気付かれるかもしれないので、そっちは諦めることにした。



「ふふふふっ。人を騙したことを後悔させてやるわ」



 売られるかもしれないというのに、クルミの頭の中は復讐の文字しかなかった。

 人を奴隷に売り渡すような悪人に慈悲は必要ないとでもいうように、自分が与えた魔法具を片っ端から壊して魔石を回収していく。


 魔法具に使われている魔石だけでも、価値がある物なのだ。

 ここの住人が魔石についてどれほどの知識があるか分からないが、魔石はそう簡単に手に入るものではない。

 それは数千年経ったところで変わりはしないだろうとクルミは分かっていたので、魔石はしっかり回収した。

 人の居ない家の魔石はあらかた回収した。


 村の至る所に設置した街灯もナズナによって壊されているのか、光の数が随分と少なくなった。

 さすがにそろそろ気付かれてもおかしくないかと思って移動していると……。



「クルミちゃんか?」



 人の気配に気付かなかったクルミはハッと後ろを振り返る。



「こんな夜遅くに何してるんだ?」



 人の良さそうな笑みで近付いてくる男性。

 この人もきっとグルなのかと思ったら、警戒心が吹き出す。



「なんか外の灯りの数が少なくなった気がするんだけど、クルミちゃんどうしたのか知ってるか?」


「さ、さあ……?」

 


 売られようとしていることをクルミが知っていると悟られてはいけないと、曖昧に笑みを浮かべる。



「壊れちゃったのか?」


「どうでしょうか? 気になるのでちょっと見てきますね」


「ああ、でも今日は遅いし明日で良いよ」


「いえ、明日出発するから、早めに直していた方がいいと思うので」


「そうかい? じゃあ、頼むよ」


「はい……」


「じゃあ、俺はまた歓迎会に戻るよ。早く寝るんだよ」


「おやすみなさい」



 去って行く男性の背を見えなくなるまで見送って、クルミはほっと息を吐いた。

 これ以上の長居は危険かもしれないと判断する。

 残した魔石は惜しいが仕方がない。



「ナズナ」



 クルミはナズナの名を呼んだ。

 クルミの使い魔であるナズナとは繋がりがある。

 呼べは遠く離れていても言葉は届く。



「ナズナ、もう良いわ。魔石を回収して村の入り口で合流よ」



 そう告げると、クルミは村の入り口に向かって走った。

 誰かに会わないよう人の気配に気を付けながら向かうと、すでにナズナは到着していた。



「中途半端に残っとるけどええんか?」


「いいわ。気付かれる方が問題だからね。魔石は?」


「ちゃんと回収して、主はんの空間に入れといたで」



 同じ魔力を有するナズナはクルミの空間にも干渉できる。



「よし、じゃあ、とっととずらかるわよ」


「ほんま、急展開やな」


「売られてから気付くよりよっぽどいいわよ」


「確かになぁ。それにしてもとんでもない村やったなぁ。気付かずにおったらと思うと恐ろしいわ」


「まったくだわ。人の良さそうな顔して村ぐるみで悪事を働いてたなんて」



 まだ腹の虫は治まらない。



「はいはい。はよ行かな見つかるで」


「うん、ほんとにね」


 そうしてクルミは村から逃げ出した。






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