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最近、社交界に聖女が現れたらしい。言わずもがなイザベルのことである。あんなに多くの貴族達に恐れられていたとは思えない称号だ。きっかけは、2年前のデビュタントだ。誰もが第一王子の婚約者に注目していた。並みの女性だったら、緊張で倒れていたかもしれない。
しかし、そこはイザベル・ディレイン。
注目されればされるほど、力を発揮する女性だ。
今か今かと参加した者が集まる中、彼女は現れた。アーノルドにエスコートされ、堂々と歩く。白を基調としたドレスが、歩くたびにふわりと浮き上がる。その幻想的な光景に、どこからかホッと息を吐く音が聞こえた。
マリベルは、父と共にパーティー会場の隅の方でその様子を見ていた。
それからというもの、イザベルの元にはパーティーへの招待状が絶えないらしい。以前のイザベルなら、「なぜ私がわざわざ下々が開くパーティーに出向かなければならないの?」と言っていただろう。今世のイザベルは、兄やアーノルドとの交流の方を優先しているようで、ほとんど断っている。結局パーティーには参加していないのだが、自分で開くこともしていない。さらに、以前と変わらず、屋敷に招くこともしていなかった。
しかし、マリベルとは今日まで交流を続けているので、気に入られているのだろう。
まあ外のことはこの辺にして、マリベルは来年学園へ入学する。秋頃にはレイラが転入してきて、アーノルドの心を掻っ攫っていく。そうならないために、マリベルはこの9年間頑張ってきた。
「聞いてお兄様、今度殿下と2人で城下に遊びに行くことになったの」
「護衛はどうするんだ?」
「詳しくは教えてくださらなかったのよね。ただ、心配しなくていいとは言われたけれど」
「殿下がそう言っているなら、君が気にしなくていいことなんだろう。もうすぐ学園に入って忙しくなるから、存分に楽しんでおいで」
「はい!」
兄と楽しそうに話す彼女からは、以前の面影はない。人を貶めようと考えなくなったし、誰かを気遣う心も身に着けた。距離が近づくと毒舌になるのが玉に瑕だが、気の置けない距離になったと思えば許容範囲だろう。
ノアも最近調子が良いようで、部屋から出られる日が増えている。この日も、庭の休憩所でティータイムを楽しんでいた。このまま体調が良くなれば、正式に公爵家の家督を継ぐことになるだろう。今は、少しずつ仕事を引き継いでいるようだ。
また、先程の話から、アーノルドは彼女に相当惚れこんでいるようだ。学園では生徒会長、城では王子として政務をこなし忙しいはずだ。にも関わらず、彼女のために時間を割いている。これは相当骨抜きにされていると見て良いだろう。
(大丈夫)
前世のようにならない。ここまで状況が違うのだ。きっとレイラが来ても何とかなる。
「2人は来年には学生になるんだったね。学びたい学科とかはあるのかい?」
「私は魔法学です。やはり自分がどの属性への適性があるか知りたいわ。もしかしたら殿下の役に立てるかもしれませんもの」
「私は歴史学を」
この世界の魔法使いは、精霊の力を借りなければならない。人間が魔力を持つのではなく、精霊との親和性が高い者だけが魔法を扱えるのだ。魔法を使える者は限られており、その者達は特別に貴族だけが通う学園の入学が果たされる。魔法を扱える者はマリベルが知っている者だけで、聖女の末裔と言われるジョイス家。イザベル、そしてレイラだけだ。それ以外で魔法を扱える者を、マリベルは見たことがなかった。それだけ、精霊に声を届けられる者は珍しいのだ。
「マリーと同じクラスになれたらいいのだけど。理事を脅せばいいかしら?」
「ベル、冗談でもそういうことは言わないように」
「あら、ここだけですわ」
マリベルは、あ、と思った。大したことではないと思い忘れていたのだ。気まずそうに視線を泳がせる。それに気付いたイザベルが首を傾げる。
「どうしたの?」
「お伝えするのが遅くなってしまったのですが、私はベル様と通えません」
「え」
寝耳に水だったようだ。イザベルが、マリベルに詰め寄る。
「でも、貴女貴族でしょ。同じ学園に通えるはずよ」
「今年の日照りで村の収入が減ってしまい、貯めていた学費をすべて村人の食費に当ててしまったのです」
「確かに今年は雨が少なかったからね。収穫も少ない。冬は乗り切れそうか?」
「はい、幸い今年は比較的暖かいので、何とかなりそうです」
「そうか、もし必要なことがあったら、言ってくれ。俺の方でもできるだけ手を貸すよ」
「ありがとうございます。だから、ごめんなさいベル様」
「いいのよ、仕方のないことだもの」
そう言いながら、イザベルは悲しみを隠せない。本当にマリベルとの学園生活に心を踊らせていたのだ。マリベルも不安なことがたくさんある。できれば学園に通いたいが、村人の命も大事だ。イザベルが、いつかの日のように思案にふける。嫌な予感がした。また突拍子もないことを言いだすような気がする。
「ノアお兄様」
「なんだ?」
何かを決めたようで、ノアの名を呼ぶ。
「マリベルの学費を家で払えませんか?」
「そう言うと思ったよ」
マリベルはギョッとした。椅子から立ち上がる。
「そっんなこと、駄目です!いくら何でも度が過ぎるわ! 一体いくらすると思っているの!?」
「額は問題ないわ。ディレイン家の財力を甘く見ないでちょうだい。あなた一人の学費を払ったところでお釣りが来るわ」
「そうだけど、払ってもらう理由がないでしょ」
「あら、友人を助けるのに理由がいるのかしら?」
マリベルは、きょとんとした。
(友人。今、友人っていった? 私のことを?)
「あら、どうして驚くの?」
「あ、いえ、そう思っていただいているとは思わなかったので」
「まあ酷い。友人でなければ、貴女みたいなパッとしない子、そう何度も家に呼ばないわ」
口元が歪んでいく。にやけそうになる口を抑えるのが辛い。ノアが苦笑を浮かべて、こちらを見ている。そして、イザベルに向き直る。
「イザベル、俺たちは一人の貴族を優遇するわけにはいかない」
「ええ、存じています」
「それでも、君は彼女のためにお金を使いたいと言うんだね」
「はい」
ノアが真剣な表情で、イザベルに聞く。もはやマリベルはそっちのけだ。その視線を真正面から受け止めた彼女は、同じように真っすぐと見つめ返す。しばし見つめ合うこと数秒。先に和らげたのはノアだった。
「わかった、父上たちに言ってみよう」
「ありがとうございますお兄様!」
イザベルが満面の笑みをマリベルに見せる。
「やったわねマリー!」
「…わ、私の意見は!?」
「受け付けないわ」
「ですよね!」
(お金持ちって怖い)
改めて認識するマリベルだった。