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会場に戻るとアーノルドがイザベルに話しかけてきた。
「イザベル嬢」
「殿下! いらしていたのですね。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「いや、今回は君たちが主役だ。僕のことは気にしないでくれ」
「そういうわけには参りませんわ。私は貴方の婚約者だもの」
婚約者のところがやたら強調されていた。2人の会話に聞き耳を立てていた者達が、ざわざわとし出す。アーノルドの表情は変わらないが、少し嫌そうな雰囲気が漂っていた。
「ところで、さっきマリベル嬢と喧嘩してたみたいだけど、仲直りはできたかい?」
「まあ、喧嘩などしていませんわ。誰がそんなことを言ったのです」
「僕だよ。君達が言い争うのを聞いていたから、てっきり喧嘩だと思ってね」
「ふふ、そうだったんですか。ですが、ご心配には及びません。少し意見の食い違いが合っただけですから、ね、マリベルさん」
「はい」
有無を言わさぬ雰囲気に、大人しく頷く。イザベルの言うことも嘘ではないのだ。その様子をじっと見ていたアーノルドは、彼女の言葉を全く信じてはいないようだ。しかし、一応大丈夫だと判断したのだろう。いつもの柔和な笑みを見せた。
「喧嘩でないなら良いんだ。では、僕はもう行くよ」
「お会いできて嬉しかったですわ」
「あまり友達をいじめないようにね」
アーノルドはそそくさと会場から出て行った。これ以上目立つのはまずいと思ったのだろう。イザベルが、パチンと両手を合わせる。
「マリベルさん。私、お腹が空いたわ。何か持ってきてくださる」
「かしこまりました」
そうして2日目は終了した。
3日目は、相変わらずイザベルにこき使われて終わった。だが、昨日よりも彼女の態度が格段に軟化したので疲れることはなかった。無茶振りはされるが、終始ご機嫌で意地悪をされない。嫌味はいつも通り言われるが、それも彼女の個性と思えば怖くなかった。
マリベルのことが心配だったのだろう。3日目にも姿を現したアーノルドは、機嫌の良い彼女に一層警戒心を露わにしていた。そんな彼女は、2日連続好きな殿方に会えて嬉しそうだった。
3日間のお茶会が終わった後、マリベルはイザベルの家に招かれた。招待状が来たことを知ったノット家は上を下への大騒ぎ。
急いで新しいドレスを用意しようとしたが、資金不足で間に合わず、結局母のお下がりを着ていった。それも安物なので、ディレイン家に行くには非常に乏しい。
「ようこそお出でくださいました」
マリベルを出迎えたディレイン家の使用人達は、表情には出さないが、皆一様に哀れんだ視線を寄越した。またイザベルが、令嬢いじめを始めたと思ったのだろう。
メイドのシンディに、屋敷の中を案内される。彼女はイザベル付きのメイドで、常にメイド服をかっちりと着こなしている。無駄のない仕事をする女性で、イザベルが最も信頼を寄せていた使用人だった。それもあり、メイド達からは尊敬の眼差しを向けられていた。
「こちらのお部屋で、イザベル様がお待ちです」
部屋の中に通される。全体的に白とピンクを基調とした部屋だった。高そうな調度品などが置かれている。そこは、イザベルの部屋だった。ベランダでは、すでに部屋の主がティータイムを楽しんでいた。
「いらっしゃいマリベルさん。また古臭い服を着ているわね」
「お見苦しい姿で申し訳ございません。この度は、お招きいただきありがとうございます」
「ふふ、あの時みたいに失礼な態度は取らないのね」
「……あれは、忘れてください」
マリベルは恥ずかしそうに頬を染める。先日のことは、話題に出さないで欲しい。イザベルに爆笑されたことを思い出して、恥ずかしくなる。
気やすく交わされている会話に、シンディが驚いた表情をしていることには気づかなかった。
「さ、こちらに座って」
「失礼します」
イザベルの向かいの席に座る。
「ここから見える景色はどうかしら? 私の一番お気に入りの場所なの」
ベランダからは、王都の街並みが見渡せた。城も見える。屋敷の敷地内には手入れされた庭がある。バラはもちろんのこと、チューリップやガーベラ、中央には休憩できるような場所があった。マリベルはその庭をよく知っている。前世のイザベルは、そこで多くの令嬢を招き、ティータイムを楽しんだからだ。
その時間では、イザベルが貶めたいと思う標的を決めていた。時にはその場に参加していた令嬢が選ばれることもあった。
「とても美しいです。お城と庭が一緒に見渡せるのですね」
「ええ、そうなの。庭の景観も私が考えたのよ」
マリベルは納得した。だから、彼女は頻繁に家に人を招いていたのか。ずっと不思議だったのだ。彼女は注目されることは好きだが、自分のテリトリーにずかずかと入られるのを嫌う。それなのに、毎回自分の屋敷に人を呼ぶのだ。
なるほど。自慢の庭を誰かに見せびらかしたかったのか。イザベルにも可愛いところがあったようだ。
マリベルの前に、淹れたての紅茶とケーキが置かれる。
「今日は、お城で会った時とは違ってたくさん時間があるわ。いっぱいお話しましょうね」
「はい。いくらでもお付き合いいたします」
それから、何度も彼女の家にお邪魔した。時々彼女の無茶振りに付き合わされたり、アーノルドに近づく令嬢のことを言われたりしたが、何とか切り抜けた。
不思議なことに、彼女はマリベルしか屋敷に呼んでいないようだった。この時期には、たくさんの令嬢が呼ばれ、彼女は人知れず自慢の庭を見せびらかしていたはずだ。
また、なぜイザベルがあんな性格になったのか分かった気がする。以前は、屋敷に来ても庭に直行だったので、屋敷の中に入ったことはなかったのだが、どうやらイザベルには4つ上の兄がいるようだ。彼女の兄は体が弱く、寝たきりの状態らしい。どうりで噂話や、パーティーなどで姿を見ないわけだ。ディレイン家に嫡男がいることを知っているのは、おそらく外の人間でいえばマリベルだけだろう。
ここまでディレイン家の実情がわかったのは、イザベルが屋敷の中に招いてくれたお陰だ。屋敷を訪れるたびに、すれ違うメイドや執事たちの噂話が時折耳に入ってきたので、ある程度把握することができた。
彼女の両親は、娘を愛している。しかし、次期当主となる息子の方が優先度は高い。そのため、小さい頃のイザベルは両親から十分な愛情を貰えなかったのだろう。屋敷の者も、兄に何かあればそちらを優先してしまう。イザベルは寂しかったはずだ。その心を紛らわそうと、周りに攻撃的になったのかもしれない。
というのが、マリベルの勝手な推理だ。だが、多分あたりだろう。そんな彼女の寂しさに誰も気づかず、処刑されてしまったと思うとやりきれなさが生まれる。しかし、たとえそうだとしても、彼女の行いは許されるものではない。だけれど、誰か彼女を愛してほしいと思うのは、勝手な我が儘だろうか。
今日もマリベルはイザベルの家にお邪魔していた。いつものように彼女の部屋に通される。
入った瞬間、メイドが額を床に擦り付ける勢いで、謝る姿が映った。部屋の主は、自分よりも一回り上の女性を、虫を見るような目で見下ろしている。
「貴女、家で働き出してからどのくらい経つかしら?」
「3年になります」
「そう、だったら私の言いたいことはわかるわね」
「お許しくださいお嬢様 !もう一度チャンスをください! 次は失敗いたしません!」
「口では何とでも言えるわね」
「お願いいたします! 兄が病気なんです! お屋敷を追い出されたら、兄の治療費が!」
あ、と思った。イザベルの指がピクっと動く。
「それが私とどう関係あるの?」
明らかに先程の比ではない怒気が部屋に充満する。今の彼女にとって、「兄」と「病気」は地雷だ。メイドも己の失態に気づく。顔が絶望に染まる。
その時、イザベルがこちらに気づいた。顔が綻ぶ。
「あら、いらっしゃいマリベルさん。お見苦しいところをお見せしたわね」
「いえ、お招きいただきありがとうございます。あの、お邪魔でしたらまた日を改めますが」
「大したことじゃないわ。すぐに退いていただくから、少しお待ちいただける?」
「何かあったのですか?」
「ええ、ちょっとした粗相をね。大丈夫よ。もう解雇するから」
あっさりと口にした解雇という言葉に、メイドは今にも倒れそうになる。そんな彼女を、マリベルを案内したメイドが支える。部屋の隅に控えているほかのメイド達は、見て見ぬ振りだ。ここで彼女を庇うことはしない。庇えば次は自分だと分かっているからだ。
(止めないと。このまま私も従ったら、今までと何も変わらないわ)
これまで、すべて彼女の指示に従ってきた。だが、それでは駄目なのだ。ただ彼女の意のままに従う人形では、彼女のためにならない。一度死んでから、ようやく学べた。それを今生かさなくてどうするのだ。マリベルは、気合を入れた。
(大丈夫よマリベル。さりげなく。かつ穏便に終わらせるの)
「ちなみにどんなことをなさったのですか? 私のところのメイドも同じことをしないように、注意しようと思いまして。よろしかったらお教え願えないでしょうか?」
「ああ、貴女のところはメイドが一人しかいないものね。ふふ、本当にこの方お馬鹿さんなのよ。私が自分の物を他人に触られたくないことを知っているのに、この方は私の部屋の物を勝手に触ったの。ディレイン家のメイドにあるまじき愚行ですわ」
「まあ酷い! それは許せませんわね。私も、メイドに部屋の物は触らないように言い聞かせていますの。イザベル様のお気持ち、痛いほど分かりますわ」
「分かってもらえて嬉しいわ」
大切な物に触れられるのは、誰だって許せないだろう。一体どんな物を触られたのかは分からないが、イザベルに強く同意する。メイド達は、こいつもかといった表情を浮かべた。
イザベルの共感を得られたので、今度は頬に手のひらを当てて不思議そうな顔を作る。
「でも、どうして触れてしまったのかしら? イザベル様のメイドなら、そんな大事なこと忘れたりしないはずですよね」
「平民の考えることなんてすべて同じよ、でしょ?」
「そうなの?」
「いいえ! 滅相もありません! 私はただイザベル様のイヤリングが落ちていたので、元の場所に戻そうと拾っただけです! 決して無闇に触れようとしたわけではございません!」
メイドは頭が取れそうなくらい首を左右に振る。イザベルはメイドの言葉をつまらなそうに聞いていた。
これは好機と、マリベルは両手を叩く。
「まあ、なんてできたメイドなのでしょう!」
「できたメイド? 貴女、また頭の悪いことを言っているわね」
「だって、イザベル様のお手を煩わせたくなくて、そのようなことをなさったのでしょう。いくら私物を触られたくないからと言って、主人に物を拾わせられませんもの。私のところとは大違い!」
「どこが違うの?」
「家のメイドは、両手が塞がってるからと言って、私にドアを開けさせますわ」
最初は不機嫌そうにしていたイザベルだったが、マリベルの言葉に興味を惹かれた。
「貴女がメイドに言うのではなくて?」
「はい」
「メイドが貴女にドアを開けさせるの?」
「はい」
「それで貴女はどうするの?」
「開けますわ」
「開けるの?」
「開けます」
「怒るのではなくて?」
「面倒なので」
「……この場合、貴女を叱ればいいのかしら? それともメイドかしら?」
「我が家はルーズなのです。この間は、家族総出で庭の雑草を抜きました」
「貴女の家が間違っているのね」
興味深げに聞いてきたイザベルは、だんだんと呆れた表情を見せた。上手く関心を得られたようだ。
ノット家の家訓は「働かざる者、食うべからず」。
貧乏貴族なので、ただ屋敷で優雅に過ごすだけでは生活できない。家族全員が、何かしら仕事をしなくては生計が立てられないのだ。マリベルは主に、食材の買い出しと、馬の世話、その他雑用担当。母も使用人の仕事を率先してやっており、時には着られなくなった服を切り抜いてパッチワークなんかもしている。だから、メイドからドアを開けるよう言われることなど日常茶飯事だし、当たり前のことなのだ。
だが、他人が聞けば耳を疑ってしまう内容だ。不敬を働いたとして、即刻解雇されてもおかしくない。
イザベルが、チラリと自分の家のメイドを見る。
「もういいわ、連れて行ってちょうだい」
「お、おじょうさま」
「一度だけよ」
「っ、ありがとうございます!」
メイドの顔が歓喜に震える。彼女はそのまま、部屋にいたメイドに支えられて出ていった。それを見送ったマリベルは、あえて彼女に聞いた。
「解雇しなくて良いのですか?」
「そんな気失せたわ」
イザベルがため息を吐いた。少し刺激が強すぎただろうか?
「なんだか、貴女の話を聞いていると、私のしていることがとても小さなことに思えてくるわね」
「そんなことありません。家が貧乏なだけで、イザベル様のなさることが正しいのです」
「…やっぱり貴女って、頭が悪いのね」
イザベルが力なく笑う。
『私を恨んでる?』
その姿が、死ぬ前の彼女と重なる。だからだろう。つい口をついて出てしまった。
「私はいつまでもイザベル様と共におります」
『いいえ、私はいつまでもイザベル様と共におります』
同い年の子にいきなり、ずっと一緒にいると言われて気持ち悪いと思われただろう。頭の片隅に、何を言っているんだと怒っているもう一人の自分がいる。これでまた彼女の機嫌を損ねてしまうかもしれない。
「そう」
しかし、予想に反してイザベルが言ったのはそれだけだった。
イザベルは一人外を眺めていた。
『私はいつまでもイザベル様と共におります』
「お兄様には、共にいてくださる方はいるのかしら?」
イザベルは徐に立ち上がった。夕暮れが部屋を赤く染めていた。