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お淑やかで、理知的、妹思いで、優しさがある。それがマリベルの知る彼女だった。
なのに、これは誰だ?
「さっさと判決してくれる? それで早く殺してよ」
ピンと伸びた背筋が嘘のように曲がっている。面倒くさいというように自分の髪を無意味に弄ぶ。
「その前に、なぜベルやマリベル嬢を殺そうとしたんだ」
それまで黙って事の成り行きを見守っていたアーノルドが口を開いた。怒りで胸がいっぱいだろうに、王族としての態度を崩さない。
「なんでって、そこの二人がいたらアーノルドルートが見られないからよ」
「アーノルド、ルート?」
どこかにアーノルドの名前が付いた道でもあるのか?
「僕のルート?」
「そ、極悪令嬢イザベルの魔の手を掻い潜り、貧乏貴族のレイラと結ばれるハートフルストーリー。そこのノアも隠しルートだったんだけど、アタシはアーノルド様一択だったからねー。なのに、そこのイザベルはアーノルド様といい感じだし、雑魚キャラマリベルはノア様といい感じだから、なかなかルートが開かなくてさー。だから、一気にさよならしようと思って。イザベルが死んでマリベルが犯人になれば両方死んで万々歳だし、どっちか死んでもそれはそれで良かったからね。とにかく死んでくれれば、なんか新しいイベントが起きそうでしょ」
いきなり名前を上げられたノアとイザベルは、二人で顔を見合わせる。ストーリー? 隠しルート? イベント? 彼女の言っていることがさっぱり理解できない。
「ねぇ、そんなことより早くアタシを殺してよ。帰れないんだけど」
「帰るって、どこに?」
レイラが彼女に聞く。相変わらず、彼女に表情はない。
「別にどこだっていいでしょ。ゲームキャラの癖にいちいち聞いてこないでよ、キモ」
妹思いで、優しい姉。そんなもの影も形もない。ここでやっとレイラの表情が動いた。唇を噛みしめ、涙を堪える。
「私限定で未来が見えるって言ったのは?」
「ゲーム知識」
「お姉ちゃんにとって、私って何?」
「ゲームの主人公」
「…全部私のためって言ったのは、嘘だったんだね」
モニカは、そこでやっとレイラを見た。面倒くさいと顔に書いてある。
「嘘とは心外ね。そもそもアンタがアタシの言う通りに動いていれば、全部丸く収まったのよ。たく、余計なことばっかやって、お陰でゲームオーバーじゃない」
「なんでそんな酷いこと言うの。私のこと、愛してるって、自慢の妹だって言って、くれたのに」
「レイラのことは好きよ」
―――キャラとしては、だけど。
レイラの頬を涙が伝う。彼女の心の痛みがここまで伝わってくるようだった。
「ゲームの主人公としては好きだけど、個人的にはアンタみたいないい子ちゃんって好きになれないのよねー。だって見るからにうざいでしょ。私頑張ってますーみたいなアピールとか吐き気がする」
ドレスが濡れていく。レイラは声を上げなかった。ひたすら唇を噛みしめ、漏れ出そうになる声を抑える。その姿が痛々しくて、自然とマリベルの頬も濡れていた。
「ねー、もういいでしょ。いつまでいればいいのよ! 早く死にたいんだけど!」
「随分と死ぬことに拘るのね」
いつの間にか、マリベルを掴んでいた腕は解かれていた。イザベルは、モニカの前まで歩く。そのままじっとモニカの顔を見つめる。
「な、なによ?」
これにはさすがのモニカもたじろぐ。イザベルは、右手を振り上げた。
パアン!
乾いた音が鳴る。モニカは、叩かれた頬に手を添える。顔に走る痛みの原因を知ると、ものすごい形相でイザベルを睨んだ。
「なに、すんのよ!」
モニカが手を伸ばした先には、すでに目的の人物はいなかった。伸ばした手が空を切る。
「陛下、此度の判決はマリベル・ノットに下させていただきたいのですが」
「え?」
マリベルは止まった涙をそのままに、イザベルを見る。しかし、彼女の顔は髪に隠れて見えない。陛下は、じっとイザベルと目線を合わせる。
「理由は?」
「恐れながら、陛下はモニカ様の策略に気付かなかった身。判決を下すにはあまりにも不適切です」
「ご令嬢、陛下になんという口を!」
「良い、続けなさい」
審議官がイザベルを叱責する。しかし、言われた張本人である陛下は、そのまま続けるように促す。
「そして、今回の一番の被害者は、いわれのない罪を着せられ殺されそうになった彼女です。この場において、彼女だけが正しい判決を下せると私は思います」
「ふむ」
陛下はしばし熟考し、息子と今代の聖女に意見を求めた。
「お前はどう見る?」
「すべては私たちが、調査を怠ったことが原因。私はイザベル嬢の意見に賛成です」
「聖女殿はどうかな? 私は君でも良いと思うのだがね」
レイラは、涙を拭いて毅然とした態度で応対する。
「私もイザベル様の意見に賛同します。私では、情に任せて正確な判断は下せないと思いますから」
「そうかいそうかい、君はよき聖女だな」
(こんな時でも試すのね)
陛下は、あらゆるところで人の価値を見定める傾向がある。レイラはたとえ実の姉に愛されていなくても、判決を下せない人間だ。どうしたって同情してしまう。それが聖女たる彼女の本質。だから、こんな時だからこそ、陛下はレイラの価値を測ろうとする。食えない人だ。
「マリベル・ノット」
「は、はい」
陛下に初めて名前を呼ばれる。声が裏返ってしまった。
「君の判断に委ねよう」
「は、はい、ありがとうございます」
視線がマリベルに集まる。緊張が高まる。好奇心、懐疑、悪意、敵意、人々の思いがマリベルの体に伝えわってくる。
(すごいな皆、いつもこんな視線に晒されているんだ)
実感する機会はいくらでもあったはずなのに、今になって彼女たちのメンタルの強さが分かった。マリベルは、順繰りに皆の顔色を伺う。
アーノルドは大丈夫とでもいうように頷いた。
レイラは貴女ならできるというように潤う瞳で見つめてくる。
ノアはいつものように優しく微笑んでくれた。
イザベルは――。
「さあ、バシッと決めなさい」
背中を押してくれた。
マリベルは、モニカの前に立つ。
(不思議ね、何の感慨も浮かばない)
目の前にいるのは、自分に罪を擦り付けようとした人なのに。それよりも大切な人達の期待に応えたいという思いの方が強い。
モニカは小さく「腰巾着の癖に」と呟いた。マリベルもそう思う。自分はイザベルの後ろにつき纏っている、ちっちゃな人間だ。だけど、そんな自分を皆は受け入れてくれる。何にもできないマリベルを友人として認めてくれる。だから、マリベルも応える。
「私は―――――」




