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4年が過ぎた。マリベルは9歳になった。
お茶会から帰った日から今日まで、マリベルは毎日を戦々恐々とした気持ちで過ごしていた。しかし、マリベルの思いとは裏腹に、平穏な日々が続いていく。不思議なことに、今日までイザベルから何のアクションも来なかったのだ。嵐の前の静けさとも思ったが、あの恐怖の出来事から3年も経っている。
(殿下に会って、私のこと忘れちゃったのかしら?)
マリベルの立場では、たいして親しくもない公爵家に手紙を出すこともできない。それに出したところで、なんと聞けばいいのだ。「私のこと消さないんですか?」と直球で書くわけにもいかない。だが、それ以外になんと書けばいいのかも思いつかない。
自分にできることは、ひたすらじっと3年後を待つことだった。ただ、いつでも逃げられるように、食料やお金などは改造したベッドに隠しておいた。もちろん家族分ある。そして、アーノルドに会ったことで、自分という小物は記憶から消去されたのだと暗示を掛けるようにしていた。
お茶会の後、あの2人が婚約を結んだことを風の噂で聞いた。マリベルが行ったことは、すべて無駄だったというわけだ。それはそれで複雑な気持ちだが、命拾いしたので良しとしよう。現状、少しも更生できていないが。
おそらく、今世のアーノルドもイザベルを苦手としているはずだ。嫌いに進展するまで、あと幾日あるか。果たして今から修正することはできるのだろうか。
今年開催される2回目のお茶会が、待ち遠しくも憂鬱だった。
「はあ」
「なんだよマリー、いらねぇなら貰うぞ」
「ああ! 私の綿あめ!」
溜息を吐いたら、隣に座っている少年から持っているわたあめを取られる。マリベルは仕返しとばかりに、少年のからあげを一つ奪ってやった。
「おい、俺のから揚げ取るなよ!」
「アンタが私の綿あめ食べるからでしょ!」
少年から奪ったから揚げを食べる。噛んだ瞬間、肉汁がじわりと広がる。美味しい。
今日は村で小さな祭りが開かれており、マリベルは幼馴染のニックと共に遊びに来ていた。一応お嬢様だが、町に出ればマリベルはどこにでもいる平民の子だ。口調も変わるし、平気で立ち食いもする。本人が告げなければ、誰も彼女が貴族であると気づかないだろう。残ったから揚げを食べながら、ニックが聞いてくる。
「で、せっかくの祭りになんでため息ついてんだよ。お茶会ってのがそんなに嫌なのか?」
「嫌ではないけど」
「ないけど?」
「いろいろあんのよ」
マリベルは、ほとんど無くなってしまった綿あめを食べる。
別にお茶会が嫌というわけではない。それは貴族に生まれた者の義務みたいなものだ。ただ、イザベルの反応が気になるというか。今度は2日目に姿を現すアーノルドをどうしようかとか。今回も波乱の予感しかしないが、ニックに言ってもどうしようもない。
「ふーん、まあ、お前が何かやらかしたら俺が匿ってやるよ」
「何で私がヘマする前提なのよ」
「お前、自分の姿見てみろよ。貴族に見えるか?」
そう言われると、ぐうの音も出ない。たしかに、ほかの貴族はこんな風に、平民の子と祭りになど出向かないし、食べ物だって奪い合わない。事実なのだが、面と向かって言われると納得いかない。マリベルはむくれた。
「そんな変な顔すんなよ」
「別に変じゃないもん」
「射的奢ってやるから、機嫌直せって」
「…仕方ないわね」
マリベルは、ジトーとニックを半目で睨んだ。反省の色は全く見えないが、射的を奢ってくれるなら、まあいいだろう。残りの綿あめにかぶりついて、ベンチから立つ。ニックはすでに食べ終わっていた。
「早く行くわよ」
「はいはい」
その日、今だけはお茶会のことを忘れ、マリベルは最後になるかもしれない祭りを楽しんだのだった。
2度目の王家主催のお茶会にやってきた。前世の記憶通りに行けば、1日目からイザベルと再会する。前世では、再会したイザベルはマリベルの名前を完璧に忘れていた。
『あら、貴女見たことがあるわね。名前は何だったかしら?』
『マリベル・ノットと申します。イザベル様』
『ベル、私の名前と似ているわね。気に入ったわ、私の後ろを歩くのを許してあげる』
『光栄です』
3年前と似たような会話をしたのだが、イザベルはそのことも忘れていた。おそらく彼女が怒っていなければ、今回もそうなるのだろう。話しかけられなければ、こちらから出向けば良いだけだ。だが、先にこちらから話しかけると、彼女の機嫌を損ねかねないので、今回も壁の花に勤しむ。
マリベルは少し迷っていることがある。またあの庭園にイザベルを再び連れていくことができるのか。イザベルが庭園を出た後、マリベルも湖の中を覗き込んでみたのだが、澄んだ青が広がるだけだった。あの時の彼女は、湖に落ちる要素などどこにもなかった。前のめりにはなっていたが、落ちるほどではない。地面に引っ掛かりそうな石もなかった。それなのに、まるで何かに投げ出されたかのようにフラリと体が湖の方に傾いたのだ。
あの庭園は、マリベルにとってかなり便利な場所だ。王族もあまり近づかないし、奥まった場所にあるので誰かに見つかることもない。そのため、今回もイザベルをあの庭園に誘導できないかと考えていた。
マリベルが今回することは3つ。
イザベルと今度こそ親しい関係になること。
怒らせないこと。
そして、誰も彼女のターゲットにならないようにすること。
そのためには、周りとの接触はできるだけ避けた方がいい。接触する機会が増えると、彼女の機嫌が悪くなる要因が増えてしまう。さらに、どこかの家が彼女によって潰されれば、また悪い噂が立ってしまう。1日目は挨拶周りもあるので何もできないが、2日目からはある程度余裕があるので自由に行動できる。
だから、もしも彼女がマリベルのことを運よく忘れており、あの庭園を嫌いになっていなければ、そこで時間を潰したいと考えていた。
会場の入り口がざわざわとし始める。
「イザベル様よ」
「今日もお美しい」
「なんだか機嫌が悪そうね」
「今日は誰をお相手に選ぶのかしら」
「しっ、聞こえるわよ」
近くで令嬢たちがコソコソと話している。イザベルが来たようだ。たしかに入り口の方に彼女が見えた。髪色に合わせた水色のドレスに身を包んでいる。彼女はキョロキョロと誰かを探しているようだった。
(殿下を探してんのかな?)
アーノルドは明日にならないと来ないはずだが、彼女はそのことを知らない。そもそも、お茶会に来ることも聞いていないだろう。
ふと、イザベルと目が合う。キッと鋭い眼差しを向けられた。自然と背筋が伸びる。彼女がこちらに向かってくる。それを近くで見ていた令嬢たちが、またコソコソと話し始める。どうせ悪口を言われているのだろう。しかし、それを聞いている余裕はない。
イザベルが目の前まで来て、ニコッと可憐な笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、マリベルさん。また会えて嬉しいわ」
「お久しぶりです、イザベル様。私もお会いできる日を楽しみにしておりました」
「あの後、何度か家に呼ぼうかと思っていたのだけど、忙しいと思って止めたのよ。お家の方はどう? 王都から少し離れているから大変でしょう」
これは、貧乏人の家は使用人も少ないから毎日大変だろ、という意味だ。遠回しに嫌味を言う時は、機嫌が最高潮に悪いときの証拠だ。普段はストレートに言ってくる。令嬢達がヒソヒソと話している姿が視界に入る。マリベルは泣き出したいのを堪え、当たり障りなく答える。
「周りの者が動いてくれていますので、多少不便はありますが支障はありません。私のためにご配慮いただきありがとうございます」
「いいのよ、下々の方を気にかけるのは私の務めですもの」
だからお前のためじゃねぇよ。という副音声が聞こえるのは気のせいだと思いたい。それにしても、彼女は3年前のことを覚えていたらしい。今日まで何もなかったから、綺麗さっぱり忘れたと思っていたのに。それとも男爵家を潰したところで、時間の無駄とでも思っていたのか。
これは本当に、ニックに匿ってもらうことになるかもしれない。
「マリベルさん、私のどが渇いたわ。何か飲み物を取ってきてもらえる?」
「はい」
マリベルはこの3日間で起きる過酷労働を想像し、心の中で涙を流すのだった。