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「お嬢さん、これ、落としましたよ」
聖女の最初の仕事は、聖女生誕祭のパレードで、祝福の火を上げることである。聖女の魔法で聖火を付けるのだ。その前に、聖女に近しい者や四大貴族を城に招いて特別な食事会が行われる。食事会と言っても堅苦しいものではない。これから10年、聖女に選ばれた者は表に立つことが多くある。そのため、何かと交流があるだろう重鎮との顔合わせが目的だ。当然、マリベルがそんなすごい食事会に参加できるわけがない。だが、どういうわけか、マリベルはその食事会の場にいた。
参加できたのには色々な理由がある。体の弱いノアの補助役として小さい頃から親交のある自分が選ばれたことや、レイラとイザベルの友人、さらに王子とも繋がりがあるという理由があげられる。そんな小さな理由が重なり、マリベルは特別に参加することを許された。
だから、マリベルがここにいるのは、特殊ではあるがおかしくはないのだ。しかし。
「マリベル嬢、あまり気にしてはいけないよ」
「っはい」
なぜかマリベルは、城の警備に警戒されていた。表面上はなんてことないよう装ってはいるが、鋭い視線がずっと突き刺さる。視線の方を向けば、必ず警備兵がいた。思わずノアの腕を掴む手に力が入る。イザベルとアーノルドも気づいているが、彼らがマリベルに近づくとその視線がさらに鋭くなり近づけない。
(どうして? 私が何かしたの?)
マリベルには思い当たる節がない。一緒に居てくれるノアも、固い面持ちでいる。マリベルのこともそうだが、初めて陛下と謁見するのもあるだろう。彼はディレイン家当主としてこの場に参加していた。
「おお、君がノア君か。体の方はどうだい?」
「お初にお目に掛かります、陛下。この通り陛下の前に出られるようになりました」
「うむ、それは喜ばしいことだ」
陛下との初対面は順調だった。初め肩ひじが張っていたノアだったが、陛下の柔らかい雰囲気に触れていくうちに、だんだんと自然体になっていた。
「それでは、ゆっくりしていってくれ」
しかし、最後までマリベルに話しかけることはなかった。当たり前だろう。マリベルはそう安々と陛下と言葉を交わせる人間ではない。そして去り際に、どこか探るような眼を向けられた。あからさま過ぎて、戸惑いが大きくなる
(居心地が悪い)
やはり分不相応だったのだろか。場違いだったのだ。自然と顔が曇っていく。
「顔を上げて」
ノアの声が小さくマリベルを諭す。
「後ろめたいことなんてないんだ。君は、堂々としていればよい」
マリベルが見た彼は、前を向いていた。その姿が、いつかのアーノルドと被る。
(そっか)
イザベルの好みのタイプが分かった気がする。無意識とは怖いものだ。マリベルは、彼の言葉の通りに顔を上げた。手に持っている飲み物を一気に飲む。気合十分だ。
「マリー、それ美味しそうね」
その様子を見ていたイザベルが話しかけてきた。少し離れたところで、アーノルドが陛下夫妻と話し込んでいた。警備兵の視線がさらに鋭くなったが、彼女は気にすることを止めたのだろう。むしろ警備兵を睨み返していた。
「イチゴとブドウのミックスジュースです。持ってきましょうか?」
「あら、じゃあお願いしようかしら」
「こらこら、飲み物くらい自分で持ってきなさい」
「私も飲みたかったので大丈夫ですよ」
「そうかい? ごめんねマリベル嬢」
「いえ、それじゃあ取ってきますね」
マリベルは、ノアたちから離れる。さっき飲み物を貰ったウエイターを探す。
(あ、いた)
「すみません、飲み物二つ頂けますか?」
ウエイターに飲み物をお願いしようとしたところで、先に声を掛ける者がいた。
「あ、マリーも飲み物取りに来たの?」
レイラが笑顔で話しかけてくる。隣にはモニカがいた。二人の手には、先程マリベルが飲んでいたのと同じものがある。
「ええ、私とベル様の分をね」
「美味しいですよねコレ、私これで三杯目です」
「それは飲みすぎじゃないかしら」
「大丈夫です! 私、お腹丈夫なので!」
「そういう問題じゃないんだけど」
食事会とはいえ、挨拶よりも食い気を優先するのはいかがなものだろうか。と思うが、もうレイラなら何でもよい気がしてきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます、モニカ様」
モニカから飲み物を貰う。レイラと話している間に、代わりに貰ってくれたらしい。受け取るときに手が強張ってしまったが、バレてはいないだろう。気が利く人だ。やはり、悪い人には見えない。
「それにしても、お城の中ってすごいよね。見た目も豪華で、こうグワーって感じがしたけど、中もブワーってしてたんだね」
「うん、分からない」
なんとなく感動したことだけは伝わった。
「レイラ、そろそろ行きましょう。まだご挨拶が終わってないでしょ」
「あ、そうだった。マリー、また後でね」
「うん」
モニカに連れられて、レイラは離れていった。マリベルもイザベル達のところに戻る。先程は違い、そこにはアーノルドもいた。陛下との話は終わったようだ。
「お待たせしました。どうぞ」
「ありがとう、マリー」
「ワインじゃないのか?」
「私もそう思っていたんですが、ブドウとイチゴのジュースみたいですよ」
アーノルドが持ってきたジュースを不思議そうに見ている。たしかに、ブドウとイチゴがミックスされているとはいえ、ワインにそっくりな色をしている。イザベルが飲んだ。
「美味しい!」
一口飲んだだけでとても気に入ったようで、ぐいぐい飲む。
「これとっても美味しいわね! ね、マリー!」
「はい、そうですね」
興奮した様子でイザベルはジュースの感想を言っている。それを見ながらマリベルも持っているジュースを飲もうとした。
が。
「ベル!!」
傾けたコップが止まる。アーノルドとノアが、床に跪いている。マリベルは目を瞠った。
マリベルの大好きな人が倒れていた。
「起きろベル!! ベル!!」
「…ぁ……っ」
アーノルドの必死の呼びかけにも答えない。ただ苦しそうに喘いでいる。ノアは険しい顔で、妹の症状を確認する。そして、空になって床に落ちているコップに目をやった。そして、マリベルの持っている飲み物に目をやる。
「マリベル嬢、それを机に置け!!」
「え?」
「早く!!」
ノアの鋭い言葉に、マリベルは震える手で飲み物を机に置く。周りの者達も、ただならぬ様子に気付き近づいて来る。
「殿下、ベルは毒を飲まされたのかもしれません」
「毒だと!?」
毒。嫌な言葉だ。今のマリベルの嫌いな言葉。
「一体誰がそんなことを!」
「とにかく今はベルの処置が先です。早く医者の元に運びましょう」
「っああ!!」
アーノルドが、彼女の背に腕を回そうとした。その時だった。
「どうしたんですか!?」
レイラが駆けてくる。
「毒を飲まされたみたいだ。これから運び出す」
ノアの手短な説明に、レイラは言葉を失っていたが、すぐに真剣な顔で告げた。
「私の魔法で毒を吸い出せます!」
「本当か!?」
「はい! だから、一回イザベルさんを置いてください」
「できるんだな?」
「任せてください」
アーノルドが、イザベルの背に回していた腕を引く。そしてその場から退くと、今度はレイラが彼女の傍に膝を付いた。イザベルの体の上に両手をかざす。何か言葉を紡ぎ出す。マリベルには理解できない言語だった。手を翳したところが光り出す。赤紫色の液体がイザベルの体から出てくる。その色には、見覚えがあった。マリベルが机に置いた物とと同じ色だ。
やがて光が収束していく。完全に光が消えると、レイラは彼女の体から手を引いた。手には、先程彼女の体から出て行った液体がある。
「これで大丈夫です」
その言葉に、アーノルドがすぐにイザベルの容態を確認する。
「生きてる。良かった」
アーノルドが安堵の息を吐く。顔色は悪いがイザベルの呼吸は安定していた。
「しばらくしたら、目が覚めると思います」
「ありがとう、レイラ嬢。本当に、なんと礼を言ったらいいか」
「殿下、まずはベルをどこか休めるところに運びましょう」
「っああ、そうだな」
(良かった)
警備兵に拘束されながら、マリベルは大好きな彼女が生きていることに安堵した。




