22 レイラ・ナンシーは選べない
レイラには、出来の良い姉がいる。
姉はいつも正しかった。悪いことをすれば叱り、良いことをすれば褒める。時にはレイラの悪戯に協力して、一緒に怒られたりもした。
姉は聡明で正しくて、レイラの憧れだった。
レイラの初めての友達は、近所に住む女の子だった。家の手伝いもしないで、何度も家を抜け出して遊んだ。いつしか友達はどんどん増えていき、レイラの周りには人が絶えなかった。何度両親に叱られても友達に会うのを止めなかった。止めたくなかった。幼いレイラは、家のことよりも友達の方が大事だった。
そんなレイラに、両親も愛想をつきかけていた。そんな時だ。それまで静観していた姉が言ってきたのは。
「レイラ、もうあの子達と遊ばないで」
「やだ」
「貴女のために言っているのよ」
「どうしてお姉ちゃんも、お父さんたちと同じこと言うの!? レイラ止めないもん! もう遊ぶ約束したんだから!」
「待ちなさい、レイラ! 辛くなるのは貴女なのよ! レイラ!」
レイラは姉の制止を振り切り、家を飛び出した。向かうは最初に友達になった子の家。
「レイラちゃん、どうしたの? どこか痛いの?」
「ううん、なんでもない。痛くないよ」
裏切られたと思った。厳しくも優しい姉。彼女だけは味方だと思ったのに。レイラはその日、家族のことを忘れるように思いっきり遊んだ。この時はまだ、姉の言ったことが理解できなかった。
理解できたのは、それからすぐにことだった。
友達が亡くなった。
酷い大雪の日だった。領地一帯で大きな雪崩が起きた。多くの家が巻き込まれ、雪によって潰れてしまった。巻き込まれた家の多くが、レイラの友達が住む家だった。
「だから言ったでしょ。辛くなるのはレイラなんだよ」
そう言って、姉はレイラを抱きしめた。
「お姉ちゃん知ってたの?」
「知ってたよ。だからレイラが苦しくなる前に言ったの。ごめんね、お姉ちゃんがもっと早くに言えば良かったね。ごめんね」
ごめんね。
姉の悲痛な声が今でも耳に残っている。
レイラの姉はいつも正しかった。それは、時々未来が見えているからだと、こっそり教えてくれた。
「見えるものは限られるんだけどね、でもレイラのことなら私外さないよ」
「どうして?」
「だってお姉さんだもん」
それから姉は、未来のことを教えてくれるようになった。それは必ず的中した。姉が駄目と言った物は、必ず悪いことが起きた。良いと言われことをすると、必ず良いことが起きた。
(お姉ちゃんは正しい)
レイラはだんだん姉の言うことに従うようになった。そうしたら、両親との溝も解消されて、以前のように仲の良い家族に戻っていった。
本人も気づかぬうちに、レイラは姉がいなければ生きていけなくなっていた。
9歳になったある日、姉は面白いことを言った。
「レイラ、4年前のお茶会は出れなかったよね」
「…うん」
その年は友達が亡くなって、ずっとふさぎ込んでいてそれどころではなかったのだ。だが、今年は行きたいと思っていた。お城に行ける日なんて、これから先、一生無いかもしれないから。
「今年も貴女は行けないの」
「なんで?」
「貴女が高熱を出してしまうからよ」
「どうにかならないの?」
「ならないわ。貴女はお茶会には出れないの。諦めるしかないの」
「そっか、それじゃあ仕方ないね」
姉が諦めろというなら仕方ない。レイラが何をしたところで意味はないのだ。肩を落とすレイラに、姉は言いづらそうに言葉を続けた。
「それからね、貴女はデビュタントも出れないの。土砂崩れが起きて行けなくなるわ」
「どうしても行けないの?」
「ええ」
「そっか、悲しいね」
人生最初で最後のパーティーだと思ったのに。駄目なのか。そうか。
(ざんねん)
華々しい社交界デビューができないと言われても、レイラはあっさりとしていた。
「ごめんね、レイラ。ごめんね」
姉が抱きしめてくる。
(そんなに謝らなくてもいいのに)
悲しいとは思わなかった。
「でも安心して、貴女は殿下と結婚するのよ」
「え?」
姉が言うにはこうだ。
レイラは学園に入学してから魔法の才能があると分かり、聖ヒスピリアン学園に通うことになる。そこで、アーノルドと良い仲になり結婚することになる、と。
さすがのレイラもにわかには信じられなかった。
「本当なのお姉ちゃん? 私がお姫様になるの?」
「ええそうよ。今は信じられないかもしれないけど、いつか分かる日が来るわ。大丈夫、その時は私が全部サポートしてあげる。貴女は私の言う通りに動いてくれればいいわ」
「でも、私」
「全部貴女のためなのよ」
「――うん」
頷いたは良いが、半信半疑だった。それ以降、その話が出ることはなく、レイラは学園に入学した。その間、アーノルドと婚約者との噂は幾度となく耳に入ってきた。
そして、姉が言った通り、魔法の才能があることが分かった。
「お姉ちゃんが言った通りだったね。私に魔法の才能があるんだって」
「精霊のことも言った?」
「うん、先生たち驚いてたよ」
レイラは生まれた時から、精霊が見えていた。しかし、彼女はそれを精霊とは思っていなかった。どこかの優しい変わった人。ずっとそう思っていた。だが、それは精霊なのだと姉が教えてくれた。自分が特別な子なのだと言っていた。姉以外にこのことを言ったことはなかったが、魔法使いの資格を持っていることが分かったことで必然的に精霊が見えることも知られた。大人はみんな驚き、急いで編入手続きに取り掛かると言われた。とにかく、これで未来は姉の言った通りになったのだ。
「でもお姉ちゃん、殿下と婚約者さんってすごく仲が良いんでしょ。私が結婚なんてできるのかなー?」
「不安?」
「分かんない」
「それじゃあ、とびっきりの秘密を教えてあげる」
姉は人差し指を自分の口元に添えた。
「殿下の婚約者のイザベルさんはね、実はとっても性格が悪いのよ。それでね、気に入らない子はみーんな、お友達にお願いしてバイバイしちゃうんですって。だから本当は、殿下もイザベルさんのことが嫌いなの」
「えー、そうなの。酷いなー。殿下可哀想」
「だから、貴女が助けてあげなさい。殿下と結婚することが貴女の幸せなのよ」
「うん」
レイラは姉に抱き着いた。
(お姉ちゃんが言うなら、それが幸せなんだろうね)
だって、姉はいつだって正しいのだから。
そう、思っていたのだ。マリベル達に出会うまでは……。
「お姉ちゃん、殿下とイザベルさんは仲が悪いんだよね」
「そうよ」
「……」
「どうかした?」
「ううん、多分気のせい」
姉の言う通りに行動しているのに、思い通りの未来にならない。殿下とイザベルはどう見ても仲が良いし、いじめなんて起こってない。何度もレイラは失礼なことをしているのに、それでもイザベルは毎回丁寧に何がいけないのか教えてくれる。一緒にいるマリベルも、いつも優しくしてくれる。アーノルドだって、レイラではなくいつだってイザベルのことを優先する。
姉が言ったように、休日に噴水広場でアーノルドを待ち構えていても全く来る気配がなかった。パーティーでだって、アーノルドが自分と踊ってくれたのは一番目ではなく三番目だった。それでも姉は、大丈夫と言っていた。まだ貴女の未来は明るいと。
何が明るいのだろう。全然、姉の言った通りにならないではないか。それなのに、このまま続けても意味はあるのか。おかしい。どうして、言う通りにしているのに。
(なんか、息苦しい)
胸を抑える。このところ、胸のところが苦しくもやもやしてくる。息がしづらい。姉の言うことと、現実のイザベル達の差異を目にするたびに動けなくなる自分がいる。
(息、どうやって吸うんだっけ)
どうやって歩いていただろうか。どうやって笑っていただろうか。どうやって過ごしていただろうか。どうやって彼女たちの傍にいただろうか。
分からない。
姉はいつだって正しい。
それなのに、違うと思い始めている自分がいる。イザベル達は違うのではないかと思ってしまう。
でも、もしそうなら、自分はこれからどうすればいいのだろうか。どうするのが正解なのだ。
どうしたら……。




