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「うーん、おいしい♪」
レイラが、口の横にクリームを付けて満面の笑みを見せる。その笑みに頬を染める男が一人、二人、三人……。マリベルは、キッと周囲を睨んだ。男たちが慌てて目を背ける。
「どうしたんですか?」
「いいえ、何でもないわ。どう、美味しい?」
「はい! すっごく美味しいです! こんなに美味しいの初めて食べました!」
「そう言ってもらえて嬉しいわ」
山盛りだったパンケーキがどんどん消えていく。彼女はそこまで大食いではなかったはずだが、好きなものは別腹という奴だろうか。
「食べ終わったらまた殿下を待つの?」
「いえ、もう来ないと思うので、遊んでから帰ります。マリベルさんも、一緒にどうですか?」
「いいわね。私も行きたいお店があるのよ。それから、ずっと言いたかったんだけど、敬語で話さなくて良いわよ。気軽にマリーって呼んで」
「うん! マリー! じゃあ私のこともレイラって呼んでね」
レイラの食べるスピードが上がった。そんなに急いで食べなくても、時間はたくさんあるのに。マリベルはレイラの喉が詰まった時のために、水を持ってくるようにお店の人に頼んだ。
(良い子だなー)
こんなに良い子を、自分は貶めようとしていたのか。マリベルは謝罪の言葉をパンケーキと一緒に飲み込んだ。
それからマリベル達は、時間を忘れて町の中を練り歩いた。出店のパンを食べたり、雑貨屋を見に行ったり。その間、どこの八百屋が一番安いかや、どうやったら早く雑草を抜けるかなど話した。こうやって二人で話すことがなかったのでわからなかったが、マリベルとレイラは生活環境が驚くほど似ていた。
(立場が逆だったら、私がレイラになっていたのかな)
なんて、つまらない考えが浮かぶくらい二人の境遇は似ていた。
「ありがとうマリー、今日はすっごく楽しかった! また一緒に遊ぼうね」
「うん、私もこんな風に同い年の女の子と町を歩くことなかったから、とても楽しかったわ」
その言葉に、レイラは不思議そうな顔を見せた。
「イザベル様とは遊ばないの?」
「ベル様は公爵家の人だもの。そう簡単に出歩けないわ」
「えー、だってアーノルドさんとは出歩くじゃない」
「それは殿下の護衛がいるからよ。ベル様の家は敵が多いから」
貴族というのは自由な生活に見えて、意外と窮屈なことが多い。誰かに狙われる危険があるから気軽に出歩くことはできないし、人に会うのにも事前の報せがいる。人付き合いでどこかのパーティーに出る必要だってあるし、政略結婚だってざらにある。
長女のマリベルとは違い、次女のレイラには縁が遠いのだろう。いまいちピンと来ていないようだった。
「私にはよく分からないけど、でもいつも大変そうだなっていうのは、イザベルさんを見ていて思うな。でも、いつか三人であそこのパンケーキに食べに行きたいね!」
「そうね。いつか、そんな日が来たら良いわね」
「あ、明日アーノルドさんに頼んでみたらいいじゃない? きっと協力してくれるよ」
「それは止めて!」
なんと怖いもの知らずな。いや、アーノルドなら喜んで協力してくれそうだが、彼の方が多忙なのだ。あまり無理をいうものではない。それにしても。
(本当に不思議ね)
普通、好きな男に婚約者がいれば嫉妬しそうなものだ。それなのに、その女性と一緒に町に行きたいとは。器が広いのか、それとも何も考えていないのか。――それに、彼女は。
「ねえ」
マリベルは思い切って聞くことにした。
「貴女、殿下のこと好きなの?」
「好きですよ」
「私にはそうは見えないけど」
好きなのかと聞かれたレイラは、好きだと即答する。そこに恥じらいなどは一切見られない。それがマリベルの中にあるレイラ像とは異なる。彼女は恋愛に初心で鈍感で、こんな風に平然といられる人ではなかった。
「私には貴女が無理をしているように見えるわ」
「――っ――」
息を呑んだ音がした。笑みを向けられる。可愛い笑みだ。だが、店で見せた笑みとは似ても似つかない。
「私、そろそろ帰りますね。また学校で」
レイラが夕日に背を向けて歩き出す。マリベルはその背に向かって声を張った。
「辛くなったら言いなさい! 悩みくらいいくらでも聞いてあげるから!」
マリベルは夕日に向かって歩き出した。
後ろは振り向かない。
レイラは振り返る。
夕日に照らされてマリベルの姿が霞む。レイラはずっと、彼女の姿が光で隠されるまで見つめていた。
翌日。学校に来たマリベルは、イザベルの首に見慣れないネックレスがあるのを見つけた。
「ベル様、素敵なネックレスですね」
「ああ、これ、昨日城下に行った時にね、殿下がくれたの」
そう言ってネックレスを大事そうに触るイザベルの顔は、幸せそうだ。ネックレスには彼女の瞳と同じ色の石が埋め込まれていた。審美眼が養われていないマリベルでも分かる。安物のネックレスだ。だが、イザベルの顔は綻んでいる。何があったのかは分からないが、どうやらいろいろあったみたいだ。それよりも、マリベルは驚いた。
(レイラの言っていたことが本当に起きた)
もしまだあそこにレイラといたら、イザベル達が来たということではないか。何度か、どうして2人が町にいるのを知っているのかさりげなく聞いてみたが、あからさまに誤魔化されてしまった。
精霊を使ったのか?
それとも未来でも見通す力でも持っているのか?
あるいはマリベルのように戻ってきたのか?
だが、それにしては彼女の様子は少しおかしい。もっといくらでもやりようがあるはずなのに。
「おはようございます!」
「おはようレイラさん」
「わあ、素敵なネックレスですね!」
「ふふ、ありがとう」
レイラが笑顔で近づいてくる。昨日の面影はどこにもない。イザベルと楽しそうに話し出す。
「ええ! イザベルさん昨日町にいたんですか!? 私たちも一緒にいたんですよ。ね、マリー」
「ええ」
こちらに話を振られる。マリベルはぎこちなく頷いた。一方、マリーと呼んだレイラに、イザベルは驚いた顔を見せる。
「まあ、いつの間にそんなに仲良くなったの」
「昨日からです! パンケーキ食べたんですよ! 甘くておいしかったです!」
「あら、私も食べたかったわ」
「今度三人で行きましょうね」
「ええ、行けるようにお父様に相談してみるわ。どう、マリー。貴女も行くわよね」
「はい、楽しみです」
レイラがあの時のように満面の笑みを向ける。その笑みがなんだか、気持ち悪かった。




