17
アーノルドとのファーストダンスを終えたマリベルは、次のダンスが始まる前に輪から外れ、目立たない場所に移動する。すると、ノアもこちらに来た。顔色が少し悪い。
「ノア様、お顔色が」
「ああ、激しい運動はまだちょっとキツイかな」
「何かお飲み物をお持ちいたします」
マリベルは、飲み物を貰おうと彼から離れようとした。しかし、それは腕を掴まれたことで止められる。
「いや、良いんだ。それより、一緒にいてくれないか? 僕一人だと対応できそうにないから」
ほとんどの視線が、イザベルとアーノルドのダンスに注目している。だが、そこから外れてこちらに視線を向けている者もいた。マリベルは行くのを止めて、彼が倒れないようにさりげなく支える。
「お部屋に戻られますか?」
「いや、まだいいよ。できるだけここにいたいんだ」
ノアの視線がダンス会場に向く。イザベルがアーノルドと優雅に踊っている。
「綺麗ですね」
「ああ」
イザベル達のダンスは綺麗だった。彼女達の周りに光が集まっているように見える。まるで一枚の絵のようだ。
マリベルは男の横顔を見上げる。彼は今、どのような気持ちなのだろうか? 嬉しいのだろうか? 楽しいのだろうか? それとも――もっと別の感情だろうか? この日を待ち望んでいたのだろうか? マリベルには想像できない。だけれど、今日が良い日であればと思う。
ノアの視線がこちらに向いた。
「どうした?」
「なんでもありません」
マリベルは、慌てて視線を逸らす。まさかこちらを見てくるとは思わなかった。ドレスが目に入る。
(そういえばこのドレス、ノア様が用意してくれたのよね)
頬がほんのり色づく。再び彼に視線を向けると、まだこちらを見ていた。また逸らす。もう一回見る。目が合う。また逸らす。
「マリベル嬢?」
「あ、あの、ベル様から、聞いたのですが、このドレス、ノア様が用意してくださったと」
「…あ、ああ! その、差し出がましいとは思ったんだが、せっかく来てくれるのだから日頃の感謝を込めて君に似合う物をプレゼントしたくて……迷惑だったかな?」
「いいえ、そんなことありません! とても素敵なドレスで――私にはもったいないくらいです」
ノアが頬を人差し指で掻く。照れているのだろう。彼にしては珍しい仕草だ。マリベルは、そんな彼の顔を見られなくて下を向いてしまう。意味もなく手をこすり合わせる。
「――――ありがとうございます。すごく嬉しいです」
ただお礼を言うだけなのに、小さい声が出てしまった。歓声が響いた。セカンドダンスが終わったのだろう。ノア達を見ていた者も、会場中央に視線をやっている。マリベルの声はたくさんの拍手にかき消されてしまう。そのことに気付かないマリベルは、耳まで真っ赤に染め俯いたままだ。
「うん」
だが、ノアには聞こえていた。彼がどんな顔でマリベルを見ていたのか。それを知る者はいない。
また新しい音楽が掛かる。人垣の隙間から、レイラとアーノルドが踊っているのが見える。イザベルの姿は見えない。
「ベルが言っていた通りだね。彼、体力おばけだ」
「おばけ?」
「うん、殿下の体力は親衛隊よりもあるって、あの子が言っていてね」
「たしかに、体力は人並み以上にありそうですね」
社交ダンスというのは優雅に踊っているように見えるが、かなり体力を使う。姿勢がちょっとでも崩れれば見栄えが悪くなり、少しでも相手と呼吸が合わなければ足がもつれたり転倒する恐れがある。そんなダンスを、3曲連続で踊り切るというのはかなり難しい。しかも相手の力量によっては、何度もフォローしなくてはいけないのだ。
それをアーノルドは、安々とこなしている。体力おばけはともかく、アーノルドは疲れにくい体づくりをしているのだろう。さきほど踊ったマリベルも、彼に何度助けられたことか。もう少しダンスの練習をしようと思った。
「踊られないのですか?」
ふいに声を掛けられた。そちらを見るとどこか見覚えのある女性がいた。
「失礼、私はレイラの姉のモニカと申します。以後お見知りおきを」
(そういえば、お姉さんも来てるって言ってたっけ)
すっかり忘れていた。モニカと名乗った女性は、レイラとは違い落ち着いた雰囲気を持っていた。顔立ちは彼女と似ている。
「ああ、彼女の姉君だったか。どうりで似ているわけだ。私は」
「ノア様とマリベル様ですよね。実は先程のやり取りを聞いていたのです。妹がとんだ失礼をしてしまい申し訳ありませんでした。姉としてお詫びいたします」
「いや、気にしないでくれ」
どうやら彼女は、レイラとは違うようだ。礼儀作法から何まで、社交界に慣れているように見える。レイラは貴族教育を受けていないと言っていたが、長女にだけ教育を施したということだろうか。だが、彼女の父を見る限り、偏った教育をするようには見えなかったが。
「私は独学で勉強したんです」
「!?」
「ふふ、顔に出てますよ」
思わず自分の顔を触る。そんなに分かりやすかっただろうか。そんなマリベルを見て、モニカが柔らかい笑みを見せる。ノアが苦笑を浮かべて、自分の顔を触っているマリベルの腕を優しく掴んだ。
「マリベル嬢、そんなに触ると化粧が崩れてしまうぞ」
「あ、すみません」
慌てて顔から手を離す。それと同時にノアの手も離れる。少し寂しいと思ってしまった。
「ところで、お二人は踊りに行かれないのですか?」
「私は踊りが得意ではないからね」
「私も」
「まあ、せっかくお似合いですのに」
(お似合い)
ノアと目が合う。ポッと顔の体温が上がった気がする。
「そうだね、また次の機会に取っておこうかな。ね、マリベル嬢」
「は、はい」
コクンコクンと頷く。
(あれ?)
ノアの顔を見る。背中に手が添えられた。
(震えてる)
それにさっきより、顔色が悪い。どうして。音楽が止まった。どうやら3曲目が終わったようだ。
「レイラさんと殿下のダンス、終わったみたいですね」
「ああ、そうみたいですね。あの子、ちゃんと踊れたのかしら。足を引っ張らないようにするんだって張り切って練習してたから。から回ってなければいいけど」
モニカの視線がダンス会場の方に向く。背中の震えが強くなる。レイラ達が3人で楽しそうに話しているのが見えた。
「行かれてはどうですか?」
「そうですね。あまりお二人の時間を奪うわけにもいきませんし。私はこの辺で失礼いたします。ノア様」
「なんだい?」
「お体をお大事に」
モニカは綺麗な礼をしてから、レイラ達の方に向かう。ノアが空いている手を自分の口元に持っていく。マリベルは、急いで彼の体を支えた。
「やっぱり体は弱いままなんだ」




