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「イザベル様、今度私の家にいらしてください。美味しいハーブティーがございますの」
「イザベル嬢、良ければこの後食事でもいかがだろうか」
「イザベル様、この後ご予定はありますでしょうか?」
「イザベル様、ぜひ一度我が家のパーティーにいらしてください」
イザベル様、イザベル様、イザベル様、イザベル様、イザベル様、イザベル様、イザベル様、イザベル様。
ノイローゼになりそうだ。
入学してから3日経った。いまだ彼女の周りには人が絶えない。以前の彼女なら、煩いと言って一蹴していたが、今は一人一人丁寧に対応している。元々彼女の人気は凄かったのだが、ここまで人が集まっているのは初日の自己紹介が原因だろう。
「イザベル・ディレインと申します。公爵家の出ではありますが、入学したからには私も皆さんと同じ一生徒です。この3年間。皆さんとたくさん思い出を作ってまいりたいと思っております。身分にとらわれず、ぜひ気兼ねなくお声掛けください。よろしくお願いいたします」
彼女は、公爵家は関係なく対等に接してくれという意味で言ったのだが、この言葉が学校中に広まり、巡り巡って「彼女が誘いに乗ってくれたら将来を約束される」という解釈になってしまっていた。自己紹介の内容と全く掠りもしていない。噂というのは怖いものである。
噂を知ったマリベルは、目が点になった。どうしてそうなったという感じである。それからというもの、休み時間のたびに彼女の周りには人が集まってきていた。しかもその中には、同級生だけでなく、上級生も混じっているのだから始末に負えない。
すでにアーノルドには連絡を入れたのだが、彼も生徒会長として忙しい身だ。なかなか時間を作れず、3日も経ってしまった。イザベルは表情には出ていないが、かなりイラついているはずだ。今は冷静に対処しているが、彼女がいつ爆発するか分からない。
(最悪、私が彼らに二度とベル様の前に来られないようにするしかないわね)
内ポケットをブレザーの上から触る。少し膨らみがある。
「ベル」
「殿下!」
教室のドアからアーノルドが姿を見せる。急いできたようで、うっすらと額に汗を掻いていた。イザベルが助かったといわんばかりに、周りを押しのけて彼に近寄る。
「すまない遅くなって、行こうか」
「え、でも」
イザベルがこちらを見てくる。マリベルは、安心させるように微笑んだ。
「私のことはお構いなく。殿下に帰りの馬車を手配していただきましたので」
「殿下、いつの間に彼女と連絡を? 私聞いていませんよ」
「いや、違う、入学式の後だ。ずっとじゃないから、本当だ。君に言わなかったのは謝る。すまない」
イザベルがこちらに背を向ける。彼女の顔を見たアーノルドが何やら焦った様子を見せる。一体、どんな顔をしているのだろうか。そんなに、アーノルドが自分と連絡を取り合うのが嫌だったのだろうか。
「…ならいいですわ。それではマリー、私は殿下と行くけど、本当に大丈夫?」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。襲撃されるわけでもないんですから」
「そういうことじゃないんだけど」
それ以外にないと思うが。イザベルに呆れた視線を向けられる。最近、こういう顔をされることが増えてきた気がする。
「マリー、また明日ね」
「はい、また明日」
イザベル達が教室から離れる。それを機に、彼女に集まっていた者達も散っていく。こちらを見て話している者もいるが、どうせあの女は誰だとかそんなのだろう。マリベルは鞄を持ち、足早に教室を出る。あのまま教室にいたら、こちらにも話しかけてきそうだ。
校舎を出て、待機している馬車に乗る。イザベルと乗る馬車よりは、豪華さに欠けていた。内装はアーノルドらしい落ち着いた雰囲気があった。本当は歩いて帰ろうと思ったのだが、アーノルドに止められてしまった。それなら馬を一頭用意してくれと言ったのだが、彼が所有している馬車を出されてしまった。もうマリベルはさすが王子だと感心するしかなかった。ディレイン家の前で馬車が止まる。運転手にお礼を言って、屋敷に入る。すると、今日はシンディが出迎えてくれた。
「ベル様は、まだ殿下と一緒におられます。お帰りも殿下と一緒に来られると思います」
「そうですか、マリベル様はいかがなさいますか? お嬢様が帰宅されるまでこちらでお待ちになりますか?」
「いえ、このまま帰ろうと思います」
「では、すぐに馬の手配をいたします。ノア様の部屋でお待ちいただけますか?」
「? はい」
(なんでノア様の部屋?)
疑問に思うが、勝手知ったる我が家というように、マリベルはノアの部屋に向かう。彼の体調を思えば、客間の方が良いとは思うが、メイドにそこにいるように言われたので大人しく従う。
ノアの部屋をノックする。
「ノア様、マリベルです」
「どうぞ」
「失礼します」
部屋に入る。ノアがベッドに座っていた。今日は少し、顔色が悪い。
「どうしたんだい?」
「馬の手配が終わるまでここにいるように言われました」
「…シンディか、なんで皆お節介なんだ」
「はい?」
「なんでもない。ゆっくりしていってくれ」
マリベルは、近くの椅子に座る。ノアは部屋の出口を見る。
「ベルは?」
「まだ殿下と学園におります」
「え…まいったな」
「あの、体調が悪いようでしたら人を呼んでまいります」
「いや、大丈夫だ。体調はそんなに悪くないよ」
今日の彼は、なんだか様子が変だ。やはり来ない方が良かったのではないだろうか。
「あー、学校はどうだ? ベルはやっていけそうかな」
「人気者です」
「そうか」
会話が途切れる。思えばいつも2人の間にはイザベルがいたので、こうして2人きりになることはなかった。気付くと何を話せば良いのか途端に分からなくなる。そのせいか、妙にソワソワしてしまう。
「マリベル嬢、少し俺の話に付き合ってもらってもいいかい?」
考え込む様子を見せていたノアが、意を決したようにマリベルに聞いてくる。マリベルは無言で頷く。
「ベルがああなったのは、俺のせいなんだ。俺の体が弱いばかりに、あの子の周りには誰もいなかった」
それは、屋敷に通い始めてすぐに気づいた。普段はいてくれるのだ。だが、彼の体調が悪化すれば皆が彼の方に行ってしまう。だから、イザベルは兄を疎んでいた。
「あの子が小さい頃は、俺のところに会いに来ないから、きっと嫌いなんだろうって思っていた。実際にそうだったからね。俺もそれで良かった。ベッドに縋り付く情けない姿なんて、妹に見せたくなかったからね。だけど、急にあの子は俺の部屋に来た」
『お兄様』
『…イザベル?』
「あの子は、いつも君の話ばかりしていたよ。だから、ああ君なんだろうなと思ったんだ」
話の内容が見えない。マリベルが何だというんだ? 右手を取られる。細くも、だけど男性だと分かる節くれだった手が優しく撫でてくる。
「マリベル嬢。お願いがあるんだ。もしこの籠から出られるようになったら町を案内してくれないか?」
何かを訴える視線が、マリベルを射抜く。それに無性に胸が高鳴った。
(心臓がドキドキしてる)
「ですが、ノア様は体が」
「君とベルに会うようになってから、どんどん体調が回復しているんだ。このままいけば、普通に暮らせるようになるだろうと医者に言われている。だから、安心してくれ」
「ベル様は」
「あの子は、俺と君の邪魔をしたくないとか言って、殿下と一緒に俺達の後をついて来るよ」
今、聞き捨てならないことを聞いた気がする。しかし、気が動転しているマリベルはそのことに気付かない。
「でも、あの、本当に私と?」
「ああ」
「……分かりました。楽しみにしております」
「ありがとう」
ノアがほほ笑む。間近に綺麗な顔があると落ち着かない。それに、この手はいつ自由になるのだろうか。家族以外の人にこんな風に触られたことなどないから、どうすればいいのか分からない。
コンコン。ドアがノックされた。外からシンディの声が聞こえる。
「マリベル様、馬の用意ができました」
「はい! 行きます!」
半ば叫ぶように返事をすると、足音が遠ざかる。マリベルは頬が赤いのを自覚しながら、ノアに向き直る。
「あの、手を」
「ああ、ごめん」
「いえ」
ノアの手が離れる。マリベルは握られた手を、左手で包む。いつもより温もりがある。
立ち上がり、一礼する。
「失礼いたします」
「ああ」
部屋を出る。ノアは最後まで、優し気に微笑んでいた。廊下を少し歩くと、マリベルは立ち止まった。頬に両手を当てる。まだ熱い。
(びっくりした)
まさか、あんなこと言われるとは思っていなかった。心臓に悪い。
(体が治ってきたのがそんなに嬉しかったのかな?)
前世の記憶では、マリベルは彼の存在を全く知らなかった。イザベルも兄がいるような様子を見せなかった。というとこは、彼はずっと寝たきりの状態だったはずだ。それなのに、今は部屋から出られるまでに回復している。
何かが変わっている。それはマリベルが未来を変えたからなのか。それとも違う理由なのか。何かが違う。そう思った。これから何か、自分では予期できないことが起きそうな気がする。だが、それが何なのか分からない。でも、ノアと出歩けるのは嬉しい。マリベルは、これからのことに不安を抱きながら、先程の約束を思い出して複雑な思いを抱くのだった。




