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「可愛いわ、マリー」
「ありがとうございます。ですが、私よりベル様の方がお似合いですよ」
「その堅苦しい口調、そろそろ止めない?」
「私には恐れ多いです」
「まあいいわ、その内嫌でも止めさせるから」
マリベルとしても敬語は前世からの癖みたいなもので簡単には止められないの。だが、彼女は有言実行なので、いずれ止めることになるだろう。
真新しい制服を華麗に着こなしたイザベルは、今日も麗しい。きっと皆が彼女に見惚れるだろう。それが自分のことのように誇らしかった。イザベルは、胸元のリボンをちょんちょんと弄る。
「殿下は喜んでくださるかしら」
ほんのり染まった頬が愛らしい。この問答も何回目か。しかし、何度されても彼女の愛らしさの前では、そんなことどうでもよくなる。
「きっと嬉しさで頬を緩められますよ」
「そうだといいな」
(今日くらい迎えに来なさいよね)
アーノルドよ。今すぐここにきて、愛しのイザベル様の不安を払拭しろ。今日のマリベルは強気であった。
「ベル様、そろそろ参りましょう。殿下もお待ちになっていますよ」
「そうね」
そんなことを思っているとはおくびにも出さず、マリベルは彼女を学園へと向かうよう促す。2人で部屋を出る。マリベルは彼女の後ろを付いていく。公爵邸を出て、同じ馬車に乗り込む。馬が走り出し、王都の街並みを進む。
「ふふ」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、お兄様にも見ていただきたかったなと思って」
「帰ってからお見せすればよろしいのでは?」
「うーん、そういうことじゃないんだけど」
「?」
「ふふふ」
イザベルがクスクス笑う。生憎、ノアはまだ眠っている。昨日は体調を崩してしまい、今日まで長引いているのだ。だが、おそらく夕方には快復しているだろう。なので、帰ったら見せられるだろう。たとえ今日が無理でも、明日とか。これから3年間学園に通うのだ。その間嫌というほど見てもらうことになる。だから先程見てもらえなくても問題はないのだ。だが、イザベルが言うにはそうことではないらしい。では、どういう意味なのだろうか? さっぱり思いつかない。
「いつかわかる日が来るわ」
「? はい」
「あ、見てマリー」
イザベルが窓の外を指さす。指さした方を見ると、これから通う学園が見えていた。
聖ヒスピリアン学園。多くの貴族が通う名門校。基本的に貴族しか通うことは許されない。しかし、聖ヒスピリアン学園にはもう一つの顔がある。それは、魔法使いの育成だ。魔法の才能がある者は、たとえ平民だろうと入学できる。学費はすべて学園が負担してくれる。魔法の教育はこの学園でしかできない。また、ほかの授業もレベルが高い。まさに、最高峰の授業が受けられる学園なのだ。
馬車が止まる。同じように登校してきた生徒たちが、ひと際豪華な馬車に視線をやる。
「殿下!」
「入学おめでとう、ベル。制服似合っているね」
「ありがとうございます。私、殿下と共に学べる日が来ることを、心から待ち望んでおりました」
「僕もさ。今日から君に毎日会えるようになるかと思うと、楽しみで仕方なかったよ」
学園の敷地内に植えられた一本の桜の下に佇むアーノルドに、イザベルは馬車を降りて走り寄る。桜の花びらが舞う中、ほほ笑み合う男女。校門から玄関までの多くの人で溢れているのに、そこだけがサークル上に人がいない。誰もがその光景に見惚れた。
マリベルは、うんうんと頷いた。
(完璧ね!)
アーノルドの顔を見ろ。だらしのない顔をしている。それでも格好良く見えるのだから、イケメンは罪である。最初はマイナススタートだったが、どうにかこの6年でプラスに変換できた。アーノルドはイザベルに骨抜き。イザベルは、いじめを止めて健全な令嬢に成長。聖女と言われていた彼女の人気は、現在もうなぎ登り。今では、聖女を通り越して女神の御使いとまで言われている。
マリベルは、レイラが転入して来ていないにも関わらず、この結果にとても満足していた。
「マリー、クラス表を見に行きましょう」
2人が、マリベルの元に来る。
「そろそろ入学式が始まるから、早くどこのクラスか見に行った方がいい。君達には悪いが、僕は入学式の準備があるので、先に行っている。講堂はクラス表が貼られているところを右に行くとあるから」
「わかりました。殿下が式辞を読まれるの、楽しみにしております」
「…やっぱり離れたくないな」
「もう、そんなことを言ってはいけませんよ」
イザベルが、アーノルドの唇に人差し指を添える。マリベルは、サッと両手で目を隠した。しかし、気になるので指の間から覗く。
「またすぐにお会いできますわ。それまで待っていてください」
「……ああ」
(ひゃー!)
朝から見せつけてくれる。初恋もまだのマリベルは、恋愛小説のような展開に顔を真っ赤にして興奮する。返事が聞けたイザベルが指を離す。アーノルドも、顔が赤くなっていた。登壇するまでには、冷めていることを願う。
「マリベル嬢、くれぐれもベルのことを頼んだよ」
そう言う彼の眼は、とても真剣だ。
「かしこまりました」
マリベルも応えるように、力強く頷いた。アーノルドが足早に校舎に戻っていく。まるで戦場に行くような背中だった。
「殿下は心配性なのね」
「そうですね」
分かってて言っているな。イザベルは意地の悪い笑みを見せた。
2人は、クラス表が貼られた場所に行く。その間、イザベルと一緒にいる女は誰だという声が聞こえたが、聞こえない振りをしておいた。表の前には人だかりができていた。
「うーん、見えないわね」
イザベルが後ろからジャンプして確認しようとするが、遠くてはっきりと見えない。すると、イザベルの前にいた体格の良い男にぶつかる。不機嫌そうに男が振り返る。しかし、ぶつかった相手が誰か気づいた瞬間、ギョッとした顔をした。
「イ、イザベル様!」
イザベルはこれ幸いと、その男に聞く。
「失礼、どのクラスに所属するのか知りたいのだけど」
「すぐに確認いたします!」
「マリベルの名前もお願いね~」
男が周りの生徒を押しやりながら前に行き。しばらくすると、彼が戻ってきた。息切れしている。
「はあ、はあ、A組です」
「どちらも?」
「はい!」
「そう、ありがとう。貴方はどのクラスだったの?」
「C組です」
「あら、残念。まあ、学園内で会うこともあるでしょうから、その時はよろしくね」
「は、はい」
「マリー行くわよ」
イザベルが先に歩く。マリベルは付いていく前に、男に囁いた。
「もしあの方に不埒な考えを抱いているなら、止めた方がよろしいですよ。常に背後を気にするハメになりますから」
ね。
マリベルの言葉に、男は首が取れるのではないかというぐらい何度も頷く。
「マリー?」
「今、行きます」
名前を呼ばれる。マリベルは、男に背を向け彼女の元に向かった。
2人は学園の中に入る。声を掛けられた生徒は、イザベルに惚れていた。あれは間違いなく一目惚れだ。初日からこれでは先が思いやられる。マリベルはため息を吐いた。2人で講堂までの道を歩く。すれ違う生徒が、足を止めて振り返る。
「良かったわねマリー、私達同じクラスですって」
「そうですね」
「どうしたの?」
「いえ、ベル様は人を扱うのがうまいなと思いまして」
「扱うなんて酷いわ。ちょっとお願いしただけよ」
イザベルは、自分が人にどう見られているか自覚している。だから、それを利用することに躊躇いがない。さらに、悪役令嬢だった時の名残で、人の使い方も上手かった。
こういうところが、レイラとの違いだと思う。彼女は、何かを成し遂げようとするたびに、周りの者が助けてくれる。イザベルは、誰かを利用してでも目的を達成させようとする。そういうところが、マリベルには好意的に見えるのだが。性格は変わっても、本質は変えられないらしい。アーノルドに釘を刺されたばかりなのに、すでに彼女の餌食になった者が現れてしまった。これは、後で彼に相談した方がいいかもしれない。
マリベル達は、講堂へと入るのだった。




