番外編 イザベル・ディレインの回顧録 1
イザベル・ディレインは、優秀な女である。
イザベルは国一番の貴族ディレイン家の長女として生まれた。おまけに、顔良し、頭脳よし、運動神経良し、魔法の才能もありときた。誰もが生まれたばかりの彼女に一目置いた。
彼女が両親と初めて会ったのは、4歳の頃。早くも文字を理解できるようになった時だ。それまで、彼女の傍にはメイドのシンディしかいなかった。イザベルはそれが当たり前と思っており、たいして気にしていなかった。両親がいるということすら、彼女の頭の中には存在していない。
だが、彼女はその認識が間違いであることに気づく。
その日は、屋敷がやけに賑やかだった。何だろうと思い、廊下に出る。すると使用人達が慌ただしく動いており、その中心で指示を出す男がいた。見たことのない人物に、イザベルは無警戒に近づいた。新しい使用人と思ったのだ。男もイザベルに気づく。
「何をしているの?」
「お前が気にすることではない」
男はシンディにイザベルを部屋に下がらせるように伝えた。有無を言わせない口調に、イザベルは初めて恐怖を覚えた。今まで彼女に、そんな態度を見せる人間などいなかったからだ。部屋に戻った彼女は、シンディに聞いた。
「あのかたはだれなの?」
「お嬢様の父君であらせられます」
「お父様? わたくしには、お父様がいたの?」
「はい」
イザベルは驚いた。それまで彼女は、屋敷には自分しかいないと思っていた。初めて知った肉親の存在に、イザベルは興奮した。父と母というのは、自分を生んでくれた人であり、たくさんの愛情をくれる人だと、この間読んだ本に書いてあったのだ。
(お父様がいるなら、きっとお母様も)
イザベルは、父と言われた男にまた会いたいと思っていた。
その日の夜。そろそろ寝ようとしたところに、父と見知らぬ女性がイザベルの元を訪ねてきた。
「昼間は悪かったね。会いたかったよベル」
「わたくしもです。お父様」
「ベル、私は貴女のお母様ですよ」
「はい、お母様。イザベルは、お母様がこいしかったです」
「ええ、そうでしょうとも。1人にしてごめんなさい。これからは、たくさんお話しましょうね」
母は、イザベルと同じ髪色をしていた。父もどことなく自分に似ている。2人は、イザベルが眠りに付くまで一緒にいてくれた。ポンポンと布団を優しく叩かれるのが、とても心地良かった。彼女は初めて、親の愛という物に触れたのだった。
それから数日間。イザベルは有頂天だった。次はいつ会いに来てくれるのかと、わくわくしながら毎日を過ごした。
だが、いくら待っても2人は会いに来てくれなかった。
「シンディ、お母様たちはいつ来てくれるの?」
「お2人とも、お忙しい方々ですので、私からは回答できかねます」
「そう」
イザベルは寂しさを募らせた。こんな気持ち、以前は起きなかったのに。癇癪を起こしメイド達に八つ当たりしたことも1度や2度ではない。だがそんなことをしても、寂しさは拭えない。イザベルは一人、ベッドで蹲る日々が続いていた。
1か月後、両親が屋敷にいると聞いて、イザベルは屋敷の中を走り回った。忙しいとはわかっていても、早く会いたかった。だが、どこにもいない。それらしいところを探したが、どこにも見当たらなかった。
あと探していないのは、決して近づくなと言われた屋敷の一角。いけないと分かりつつ、イザベルはそこを目指した。また、自分が眠るまで布団を叩いて欲しかった。
そこはとても日当たりの良い場所だった。部屋からは複数人の声が漏れ聞こえる。
(お父様だ!)
母の声も聞こえる。イザベルは2人を驚かせようと、静かに扉を開けた。隙間から部屋の中を覗く。
両親が知らない男の子と話していた。
「今日は調子が良いみたいだな」
「うん、天気がいいからかな」
「何かあったらすぐに言ってね。私たちはいつでも屋敷にいるから」
「そうだぞ、お前は私達の大事な息子だ」
両親が見たこともない顔で男の子と話していた。体からスーッと熱が引いていく。イザベルは扉を閉じ、自分の部屋に戻る。ベッドに潜り込み、布団を頭から被る。
(あれはだれ?)
息子と言っていた。ということは、イザベルの兄なのか? そんなこと聞いていない。それに、なぜ兄の部屋に行くなと言われたのだ。兄とは年上の男の人で、自分より年下の妹と弟を愛してくれる人ではないのか。イザベルも兄と遊びたい。たくさんお話したい。あの2人にとって自分は大切な娘ではないのか? 屋敷にいるなんて初めて知った。
グルグルグルグル。いろいろなことが頭の中を巡る。
シンディが部屋に入ってきた。
「お嬢様、どうなされました? お体の具合でも悪いですか?」
昼間から布団に入っているイザベルを見て、具合が悪いのかと問いかける。それを聞いて、イザベルはふと思いついた。
(わたくしも、病気になればいいのだわ)
イザベルはわざとらしく咳をした。
「ごほっごほっ、そうみたい。なんだか体が重いわ」
「すぐに医者を呼んでまいります」
シンディが部屋を出ていく。これで両親も来てくれる。そう思った。
しかし、来たのは屋敷付きの医者だけで、両親が部屋を訪ねることはなかった。
「熱はないということなので、今日は咳止めのお薬だけ飲んで早めにお休みになりましょう」
シンディが、水の中に粉薬を入れて溶かす。イザベルはそっぽを向く。
「いらない」
「飲まなくては治りませんよ」
「いらない」
「お嬢様」
「いらないって言ってるでしょ!」
ベッドから起きて枕をシンディに投げる。枕が彼女の手に当たった。コップが落ちる。床に敷かれたマットに染みができた。
「薬なんかいらないわよ! 病気なんてしてないんだから!」
イザベルは感情に任せて彼女に怒鳴る。
「どうしてお父様たちは来てくださらないの! あの人は誰!? どうして私のことは心配してくださらないの!? どうして!? ねえ、どうしてよ!? 答えなさい!?」
はー、はーと息が切れる。シンディは、彼女があの部屋に行ったことを知った。いくら秘密にしていても、屋敷にいる以上いずれ知る日が来る。それが少し早かったというだけだ。だが、もう少しだけ時間が欲しかった。シンディは、彼女に秘密にしていたことを告げる。
「お嬢様には、ノア様という兄君がいらっしゃいます。ノア様は、生まれた時からお体が弱く。多くの魔法使いやお医者様のおかげで、今日まで生きてこられました。お嬢様の元に、旦那様たちが来られないのは、ノア様の治療法を昼夜問わず探しているからです」
「だから、私は後回しということなの?」
シンディが痛まし気にイザベルの肩に手を添えた。
「忘れないでください。旦那様は、決してお嬢様のことを忘れたわけではありません。お嬢様のことも本当に愛していらっしゃるのです」
そんなことを聞きたいのではない。だがそれを聞く勇気は無くて、せめて泣くまいとしたのが、イザベルができる精一杯の見栄だった。




