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たった一段上がるだけなのに足が重い。手足を固定され、首を投げ出す。兵が綱を引いた瞬間、マリベルの頭は体から離れるだろう。
だが、不思議と恐怖はない。
己がしたことの重みを理解しているからだ。
ごめんなさい。
それでも後悔だけはしない。したところで、これまで自分がしてきたことが消えることはないのだから。
恨みならいくらでも受け付けよう。
憎しみならいくらでも受け止めよう。
すべては、マリベルの大切な人のために。そのためなら、どんなに非道なことさせられても構わなかった。
「これより、罪人マリベル・ノットの刑を執行する」
さようなら。願わくば、次はもっと違う形で貴女と出会えますように。
マリベルは目を閉じた。最後に見たのは、磔にされた彼女だった。
マリベル・ノットは、愚かな女である。
気付けば安いドレスに身を包み、壁の花と化していた。誰も声を掛けない。当たり前だ。益の無い人間に話しかける者は、ここにはいない。
「あら、ずいぶんとみすぼらしい恰好ですこと。あなた、お名前は?」
マリベルは混乱した。話しかけられたことにではない。この状況にだ。
(これが走馬灯というやつなの?)
頬を抓ってみる。痛い。可笑しなことをするマリベルに、小さな令嬢はもう一度尋ねる。
「聞いているの? このわたくしが、わざわざあなたの名前を聞いてあげているのよ? さっさと答えなさい」
口調はきついが、少女はコロコロと上機嫌に笑っている。マリベルは泣きそうになる自分を抑え、幾度も思い出してきた言葉を紡ぐ。
「ノット男爵家が長女、マリベルでございます」
「マリベル、わたくしの名前と似ているわね。……いいわ、気に入った。わたくしの後ろを歩くのを許してあげる」
マリベルは貴族の令嬢らしくスカートの両サイドを摘み、軽くお辞儀をする。それを見た少女は、またコロコロと笑った。
「今日のわたくしは、きげんがいいの。感謝しなさい」
「はい、ありがとうございます」
マリベルは、少女・イザベルの後ろを着いていく。
(どういうこと?)
自分はたしかに、あの時死んだはずだ。
マリベル・ノットは、一度死んでいる。
享年17。
国家反逆罪で、斬首された。
彼女が敬愛する女性イザベル・ディレインは火あぶりだった。
マリベルは、俗にいう悪役令嬢の腰巾着だ。使用人よろしく彼女の後ろに仕え、彼女の意見に同調し、時にはあくどいことに手を染める。
マリベルは、男爵家の長女として生を受けた。生活は貴族の中でも質素。馬車は持っておらず、いるのは一頭の老いぼれ馬のみ。ドレスは母のおさがりで、新しい物を買う余裕もない。マリベルの家は、男爵家の中でも最下層の家だった。
そして、不運なことに子供はマリベルしか生まれなかった。そのため、将来はどこかの貴族の次男坊か三男坊と結婚し、婿養子に来てもらう予定だ。それまでは変に目立たず、高位の貴族の反感を買わないよう、静かに穏やかに暮らすはずだった。
しかし、5歳の時。王家主催のお茶会に参加したことですべてが変わる。そこでマリベルは、貴族の頂点。ディレイン公爵家の長女イザベルと出会う。イザベルは、実にわがままで自分勝手な女だった。彼女ほど、傍若無人という言葉が似合う女はいない。気に入らない者がいれば、マリベルのような身分の低い貴族を使って陥れ、かと思えば気まぐれに誰かを助け慈悲を与える。彼女は非常に、両極端な人間だった。
それは歳を取り、洗練された美しさが際立つと共に成長していった。マリベルが16歳になった時には、すでに彼女を止められる者は誰もいなかった。彼女の婚約者のアーノルドでさえ、彼女を警戒し恐れていた。その間も、マリベルは彼女の手足となり邁進していた。
このままいけば、アーノルドは国王となりイザベルと結婚。マリベルは用済みとなり、イザベルに捨てられていただろう。国の行方については、もはや預かり知らぬところだ。
だが、16歳の時。すべての均衡を崩す者が現れた。
レイラ・ナンシー
ナンシー伯爵家の次女。位こそマリベルより高いが、30年前に没落し、ノット家と同じような質素な生活を送っている。本来ならマリベルのようにコツコツと貯金でもしていなければ、入学すら叶わない少女。
そのため、1年生の秋までは平民の子たちが通っている学校に行っていた。
しかし、彼女に魔法の適性があることが分かり、1年生の秋という中途半端な時期に急遽転校してきたのだ。
レイラは、貴族らしからぬ性格をしていた。楽しいことには、はじけるような笑顔を見せ、悲しいと思えば惜しげもなく涙を見せる。ムカつくことがあれば、堂々と正面から立ち向かう。アーノルドなどの身分の高い者達にも気兼ねなく接する。社交界にも慣れておらず、すべての動作がぎこちない。失敗をしているところを見たのも少なくない。
そんな彼女を、多くの生徒がやっかんだ。伝統や規律を重んじる彼らには受け入れられなかったのだ。しかし、彼女の存在に徐々にほだされ、気づけば学園の中心にはいつも彼女がいた。
アーノルドも、彼女の純粋さと真っすぐさに惹かれていき、レイラも彼の気高さと優しさに恋をした。
周りも祝福した。
だが忘れてはいけない。それに怒りを募らせた者がいた。
イザベルだ。
「ねえ、マリベルさん」
「なんでしょうか?」
「殿下は、どうしてレイラさんに微笑んでいらっしゃるのかしら? 殿下の婚約者は私なのに。おかしいわよね?」
「イザベル様のおっしゃる通りでございます」
「そうよね。やっぱりおかしいわよね。ねえ、マリベルさん。私、常々思っていたのだけど、あの子はこの場に相応しくないと思わない?」
イザベルは妖艶な笑みを見せた。マリベルはすぐに行動に移した。あらゆる手を尽くし、レイラを嵌めようとした。しかし、アーノルド達に阻まれ、すべてが失敗に終わる。この時には、イザベルの味方はマリベルだけとなっていた。
「あら、また失敗したの?」
「申し訳ございません」
「これで何度目だったかしら?」
「3回目でございます」
「そう、使えないのね」
マリベルが捨てられた瞬間だった。最後は、イザベルの手でレイラを下そうとした。しかし、それも失敗。イザベルは、言い逃れができない状況となってしまった。
「なぜですか殿下!? そこの身分の低く要領の悪い女よりも、私の方が何十倍も価値がありますわ! なのに、どうしてその女なのですか!?」
「君には一生理解できないだろう。人を駒としか見れない、君にはね」
イザベルはその場にくずおれた。マリベルは、ここまで取り乱す彼女を初めて見た。
彼女は本気でアーノルドを愛していたのだ。
泣き崩れるイザベル。アーノルドは見向きもせず、彼女を連れて行くよう衛兵に指示を下す。誰もが彼女の行いを許しはしなかった。そして皮肉なことに、みっともなく泣き崩れる彼女に、手を差し伸べる者がいた。
「イザベル様」
レイラだ。
イザベルに害されそうになりながら、彼女は同情の眼差しを向けた。こんな時でも、彼女の慈悲深さは健在だった。
「触らないで!」
だが、差し伸べられた手を彼女は拒絶した。それをマリベルは衛兵に拘束されながら、ただ見ていた。
その後、レイラは正式にアーノルドの婚約者となり、未来の国母に手を掛けようとしたイザベルは、国家反逆罪として死刑となった。共犯者であるマリベルも同様だ。
イザベルの家は貴族の位を落とされ、辺境の地へと移された。王都への立ち入りも、向こう200年は禁止だ。マリベルの家は、もともと無いに等しかった男爵位の剥奪。文字通りの平民になった。それ以上罪が課せられなかったのは、彼女がイザベルに脅されて、手を貸したからだと思われたからだ。
そして、マリベル・ノットは、イザベルの刑が執行される前に斬首された。
実につまらない。
何の役にも立たなかった女の話は、これで終わるはずだった。
「時間が巻き戻ったってことで良いのかしら?」
と、これまでの記憶を整理したマリベルは結論を出す。イザベルと初めて会った時から死ぬまで、すべて覚えている。中身も17歳のままだ。だが、鏡に映る姿は5歳の子供。
先程まで、マリベルは王家主催のお茶会に参加していた。そこで、イザベルと一方的な二度目ましてを交わした。
そして、イザベルの後ろをボーっとした頭で付いていき、家に帰ってから我に返り、慌てて状況を整理しだしたのだ。
「夢にしては長すぎるし、ほっぺは抓りすぎて赤くなっているし、でも記憶ははっきりしてる。やっぱり、時間が巻き戻っているってことで良いのよね」
にわかには信じがたいが、何度考えても同じ答えにたどり着く。まだ現実逃避をしたいが、そろそろ今後のことを考えなくていけない。イザベルのあの様子からして、性格は以前と全く変わっていない。
ということは、このままいくと……。
「最悪なエンディングまっしぐらね」
それは困る。マリベルは二度も死にたくない。それに、イザベルにも死んでほしくない。皆はマリベルが無理やりイザベルの悪事に加担したと思っているが、そうではないのだ。
たとえ気まぐれでも、一人お茶会で孤独に苛まれていたマリベルに話しかけてくれた。貴族達につま弾きにされるマリベルを、彼女はずっと側に居ることを許してくれた。たったそれだけだが、別次元に住んでいると思っていた女性が、大地で細々と暮らしている女に話しかけてくれたのだ。マリベルにとっては世界がひっくり返るくらいの出来事だった。まるで、自分が特別な存在になれたような心地を味合わせてくれた。
息苦しい貴族社会でも、彼女の傍にいると息がしやすい。
だから、彼女には幸せになってほしい。できればレイラを排除せず、アーノルドと良好な関係を築く形で。そのためには、どうすればいいか。ポンとひらめく。
「そうだわ、更生すればいいのよ」
イザベルに散々手を貸した身でいうのも何だが、彼女の性格はかなり酷いと思う。公爵家でなければお近づきになりたいとも思わない。アーノルドも彼女の傍若無人ぶりが嫌いだった。
では、それが無くなればどうだ?
イザベルは美人だ。それはもうとびっきりの美少女。10人中10人が振り向く絶世の美女。頭も良く、成績はいつも上位をキープ。魔法も使え、運動神経も人並みにある。
さらに、性格もレイラのように慈悲深かったらどうだ?
「いけるわ」
慈悲深いは無理かもしれないが、普通の女の子くらいなら何とかなるかもしれない。5歳なら、まだ純粋にこちらの話に耳を傾けてくれるはずだ。多分。おそらく。うん。
マリベルは決意した。イザベルの怒りを買うかもしれない恐怖に怯えながら、両手を高く掲げる。
「やってやるわ! 目指せ平和な未来!」
イザベル更生プログラムが始動した。
マリベル・ノットは愚かな女である。
見捨ててもいい女を、誰よりも敬愛しているのだから。
冒頭を加筆しました。