16話
恭平は家に帰ると早速パソコンを立ち上げた。
ブラウザで地図を表示する。
今は検索エンジンの地図サービスで精巧な衛星写真を誰でも見ることができる。
それを駆使して、美緒からもらった情報をすり合わせると……。
「ここだな」
「ふむ」
恭平が表示した衛星写真。
そこは平野と木々で覆われた山がうつっていた。
山と言っても小山程度ではあるが。
その木々の中にぽつんと建てられている大きな洋館。
「これは、ここ最近建てられたもの、とのことだったな?」
「俺が聞いた話だとな」
だから確実にそうだと断言はできない。
ここ最近、とは言っても数年のことではある。
山を丸ごと買い取って別荘を建てた金持ちがいる、といううわさ話を耳にした程度。
金はあるところにはあるもんだなぁ、と、そのうわさ話をネタに食事を楽しんだ記憶がうっすらとあるくらいだ。
貧乏暇なしの恭平にとっては住む世界が違うので関わり合いになることはあるまい。
そう思って完全にスルーしていたのだが。
まさか、こんなところで関わってくることになるとは。
職業柄、他の堅気の仕事に就いた同級生たちよりはるかに様々な情報を得る機会が多い恭平。
そういう環境を作り上げたのが役に立ったというわけだ。
「うむ、まあ、行ってみるしかないな」
「そうだなぁ」
それしかあるまい。
鹿沼の森の中の別荘といったら、恭平はここ以外に思いつかない。
9割以上の確率でここだろうとは思っているが、そうでない可能性もなくもない。すべてを完全に網羅しているわけでもないからだ。
だが、それを言っていても始まらない。
「そうじゃな。常に役が揃っている、などということはないからの」
玉藻の前のバックアップは望めない以上、手持ちのカードでどうにかするしかない。
さて、ではどうするか……。
突入するしかないのは分かっている。
しかし、何の策もなく突っ込むわけにはいかない。
「ふむ、儂の術である程度はどうにかはなるの」
「へえ? どんなだ?」
木ノ葉曰く、敵の探知術式をすり抜けて現場を探る探査術だと言う。
調査や潜入の際によく使っていたとのことだ。
相手に高位の術者がいても捕まることはなかったので、かなりの隠密性と精度とのことだ。
万能ではないので完全に信用はできない、というところが逆に信用がおける。
突入する前に木ノ葉に探知してもらうことにする。
閉じ込められている烏天狗の少女がいれば突入だ。
そう、突入前にそれが分かるというのは非常にありがたいことだ。
ひとまずそれで該当の洋館を当たってみて、違ったらまたその時考えればいい。
そのように恭平と木ノ葉は話し合う。
宵闇に紛れるため、出発は深夜にすることにした。
当然夜中こそ警戒されているだろうが、それを加味した上で姿が丸見えになる昼間よりはいい、と二人の見解は一致したのだった。
◇
山の中腹まで来たところで、車を林道に向ける。
そしてある程度林道を走ったところで、恭平は車を横に逸らした。
さすがに林道どころか道らしき道も無いのでがたがたと非常によく揺れる。
恭平の車はオフロードに適したものではないので余計にだ。
軽自動車にもそういった車種があることも分かってはいる。だが、恭平の経済状況ではとても手が出せる金額ではなかった。
「次の車っは! 絶対ジェムニーにしてやるっ、からなっ!」
「はっはっは、志が高いのはいいことだ!」
あまりの乗り心地の悪さに愚痴を盛大に吐き出した恭平。上下左右に揺られ過ぎてまともに喋れていない。
ジェムニー。軽自動車でありながら本格的なオフロードも走れると評判の車である。色々なところに赴く恭平にとってはぴったりの車だ。
それを必ず手に入れてやると、この乗り心地の悪さに誓う。
一方、木ノ葉はそんなものどこ吹く風と言わんばかりである。
「なんっで! 木ノ葉はっ! へいっきなんだ!」
「くく、そこは儂の術でちょいちょいとな」
「ずるいっぞ!」
「若人は苦労を買ってでもせんとな!」
「くそぉ!」
そんな苦行もじきに終わる。
恭平は適当に車を停めた。
「……ふう。運転してなかったら酔ってたぜ……」
ハンドルにもたれかかってぐったりとする恭平。
木ノ葉は下車すると、車のボンネットの前方10メートルほどに浮いている人形代を回収した。
車を停めた場所は、木ノ葉が指定した場所なのだ。
森の中は狸妖怪である木ノ葉のホームフィールド。
オフロードカーではない車でも走れる道の選別、軽とはいえ車という大きなものを隠す場所を探すくらいは訳ないということだ。
「ほれ、恭平降りるのじゃ」
「あいよ……」
這う這うの体で車からずるりと恭平が降りる。
それを確認し、木ノ葉は簡単に印をきった。
かすかに燐光が瞬き、車に吸い込まれて消えた。
「……これで隠せるってんだから、すげぇもんだな」
「隠したわけではない。ただ、認識しにくくしただけじゃ。何かを探している者ほど、注目しにくくなっておる」
「実質隠したのと同じだろそれ」
本当にとんでもない術の使い手である。
味方で良かった、と思わざるを得ない。
こんな大仕事、恭平だけではとてもではないが完遂は無理だっただろう。
改めて洋館に向かう。
道なき山道をしばらく歩いて、ようやっと洋館まで残り1キロ、というところで。
「ふむ、儂らになんぞ用か?」
「っ!」
木ノ葉が明後日の方向を向いてそんな言葉を口にした。
誰ぞ近くにいるのだろうか。
そう思っていると。
闇からぼんやりと浮かぶように現れたのは、全身を黒装束に包んだ人物。
身長は木ノ葉はもちろん恭平よりも高く、2メートルはあるのではないだろうか。
「玉藻の前様より、お届け物です」
かすれた声。
明らかに人の声ではない。
しかし発しているのは間違いなく日本語である。
男か女化も分からない。
まとっている黒装束があまりにもダボっとしていて、身体のラインがまったく判別できないのだ。
そういえば一度だけ、この人物の姿を玉藻の前の屋敷で見かけたことがあったな、と思い出す。いつだったかまでは覚えてない。少なくともそれくらいは時間が経過しているということだ。
ともかく。
今はそれよりも、この人物の用向きについてだ。
「届け物?」
こんな場所で何を。
そんな予定は一切聞いていない。
一体なんだろうか。
「恭平様、こちらを」
恭しく小さな玉櫛笥を恭平に差し出す黒装束の人物。
恭平に対して、ではなく、その玉櫛笥について敬意を払っているように感じた。
それはともかく、恭平はその玉櫛笥を受け取ると、紐をほどいて蓋を開けた。
中に入っていたのは、護符が二枚。
たったこれだけと思うだろう。普通は。
しかしこれを寄越したのは玉藻の前だという。
その時点で、たった、などとは口が裂けても言えない。
「ほう……これはこれは」
恭平の横から玉櫛笥の中を覗いた木ノ葉は、感嘆のため息を隠さなかった。
「分かるか?」
「分かるとも。これはあれじゃ。緊急避難の護符じゃな」
「緊急避難?」
「こやつを使えば、護符に登録した地点まで転移できるというシロモノじゃな」
「何それ……」
オーパーツもいいところである。
こんな紙ぺら一枚で、SF映画の代名詞であるワープができるというのだ。
「ふむ、そなた、これについて何か賜っている言伝はあるかの?」
木ノ葉が問うと、黒装束は一礼した。
「接触している者を一名、転移に同行させることが可能であると仰せです。また、有効範囲は半径2キロほどとのことでございます」
「なるほどの」
つまり、烏天狗の少女を確保し、彼女に触れたまま護符を発動させれば、その場からは即退却できるそうだ。
「木ノ葉」
「うむ。予定変更じゃ。いったん車まで戻って登録をするぞ」
そう。それがいい。
少しスケジュールが狂うが、背に腹は代えられない。
何より逃げるための足まで転移できる状況を作り上げるのは、本拠地である洋館を攻略するうえで非常に大切なことだからだ。
退路を確保できているのとそうでないのでは、はっきり言って雲泥の差である。
「それでは確かにお渡しいたしました」
黒装束が闇に呑まれて行こうとしている。
それを見た恭平は慌てて玉櫛笥に蓋をして手を伸ばした。
「玉藻の前様に、ありがとうざいましたとお礼を伝えてください」
恭平は護符を二枚取り出すと、玉櫛笥を黒装束に手渡した。
「承知いたしました。必ずお伝えいたします」
玉藻の前は関われないと言った。
しかしこの土壇場で、切り札になりうる護符を恭平と木ノ葉に一枚ずつ寄越してきた。
十分すぎるバックアップである。
現場にいなくとも、玉藻の前はこれほどのことができるのだ。
「それでは失礼いたします」
黒装束の人物は黒い闇に溶けるように消えていった。
恭平と木ノ葉は踵を返し、車の元に戻るのだった。
時間をすこしばかり喰うがこればかりはもう仕方がない。
せっかくもらった護符だ。
これを有効化しておくことは何においても重要だった。