15話
それから数日後のことだった。
巧磨から待ちわびた連絡が入った。
既に厄介な書類のチェックもすべて終え、手掛かりは一切なかったという情報を得ていた。
何ら役に立たなかったので、恭平は辟易してしまっていた。
同じ仕事をしていた木ノ葉も、終わった時にはため息をついていた。
恭平よりもはるかに長い時を生きている木ノ葉も疲労感と言うか徒労感を覚えていたようだ。
そのくらいには大変かつ、実りのない作業だったのだ。
だがそれも今日で終わりだ。
「突き止めたらしいぞ」
「ほう?」
スマホを眺めていた恭平が発した言葉に、木ノ葉は片方の眉を上げた。
彼女が想定していたよりも進展するのがはやい。
恭平が情報収集をほぼ完全に任せている様子から、かなり優秀なのだろうとは思っていた。
かなりどころではない。
これほど早く情報を掴むとは。
木ノ葉は自身の認識を改めることにした。
「それで、何と言ってきておる?」
「ああ、それなんだけどな、直接話をしたいそうだ」
「ふむ。まあ当然であろうな」
盗聴を警戒してのことだ。気にすべきは電子制御の盗聴器だけではない。
それ以外にも様々な方法で盗聴ができることは全員の共通認識。
巧磨に調査を頼み、その結果を直接聞きに行くというのは恭平にとってはいつものこと。
なので、特に何も思ってはいない。
木ノ葉もまた、すぐに盗聴対策だと分かったので特別不思議なこととは思わなかった。
約束の時間までは少し間があるので家で引き続きのんびりとし、程よい頃合いになってから家を出る。
車で移動し、店に入る。
「いらっしゃぁい。待ってたわよ~」
「おー、お邪魔するよ」
美岬である。いつもの定位置で今日もまたたばこを楽しんでいた。
One・サンシャイン事務所に来ると一番に挨拶する相手だ。
この店に来て巧磨に会わないことも稀にあるので、何気に一番会っているかもしれない。
「巧磨は奥にいるわぁ」
「分かった」
美岬は、恭平がここに来た時の状況をほぼ正確に把握しているので、すぐに案内してもらえる。
口頭だけだが、わざわざ連れて行ってもらうほどに事務所は広いわけではないし、そもそもお互い勝手知ったるという感じなので今更だった。
「来たな恭平」
巧磨は奥の席でコーヒーとたばこを楽しみながら待っていた。
「よう。待たせたな」
「誤差の範囲だろ」
恭平がここに来る時の足は常に車。
となると、道路状況によっては遅れたり早く着いたりするのだ。
なので、待ち合わせ時間の前後10分から15分は誤差である。これは巧磨が移動する場合も同様だ。彼もまた車で移動するからだ。
特に断りも入れず、恭平は巧磨の正面に座った。その隣に木ノ葉も腰かける。
もう数年の付き合いなのでお互い分かっているのである。
「いつものことながら見事なもんだな」
開口一番、恭平は巧磨にそう言った。
もちろん、ここに呼び出された理由についての評価だ。
まず仕事が速い。
これまでの実績があるので調査内容にも恭平はそこまで心配していないが、それは話を聞いてからになる。
「おう、それほどでもあるけどな」
巧磨もまた、この程度は出来て当然という態度を崩さない。
情報収集に強いのには理由がある。
店長である巧磨が、そうあれかしと環境を構築したからだ。
Oneもサンシャインも、ただ金を稼ぎたいから作った店ではない。
「じゃあ、さっそく本題に入ってもいいか?」
「おう。美緒、ちょっと来い」
「はいはーい」
現れたのは、濃い化粧が似合う、顔立ちがかなり整ったギャル。金髪の緩いウェーブがかかったロングヘアに、少し浅黒い肌。
背は少し高めだろうか。身長170センチの恭平にかなり近い。今は営業用の格好ではないのでTシャツにデニムのショートパンツにスニーカーだが、これがヒールを履くと恭平を超えてしまう。
その正体は妖怪骨女。
その本領足る話術は伝承通り卓越しており、ギャルっぽい見た目に反して、インテリジェンスな会話にもついていくことができる頭脳の持ち主でもある。
それらのギャップに持ち前の明るさも合わせて駆使し、サンシャインにてTOP5に入る売り上げ誇っている。
「恭平、おっひさ~」
美緒は裏のない笑みを浮かべ、ひらひらと手を振りながらやってきた。
「久しぶりだな美緒。相変わらず元気だな」
「それがあたしのとりえだし? それとったら何ものこんねーし?」
「いや、そのガサツであけすけなところが残るだろ?」
「それなー。ってマジ一言余計なんですけどー!」
「だったらノリツッコミすんなよ」
「きゃはは! やっぱあんた面白いわー! どう? 今夜あたりイッパツいっとく?」
「またそれか。冗談はほどほどにしとけよ?」
「冗談じゃねーんだけどなー。まあいいや。それからそっちのめっちゃ美人なお姉さんはお初じゃね?」
恭平とのあいさつ代わりの慣れたやり取りをひと段落させ、美緒は木ノ葉を見つめた。
初対面、と言う割にはかなり距離が近いが、これは誰に対してもそうだ。
このぐいぐいと距離を詰めてあっという間に仲良くなってしまう、これがコミュ強というやつかと、恭平は思っていた。
「そうじゃな。世話になるぞ」
慣れない人間ならのけぞってしまうような勢いだが、木ノ葉はうまいこと受け流していた。
どうやらそういった者との付き合いも経験があるらしい。
「うわ、これがオトナのオンナの落ち着きってやつ? モノホンやべー!」
その落ち着き払った様子に、美緒も慣れていると気づいたのだろう。
げらげらと楽しそうに笑う美緒はムードメーカーだ。その場にいるだけで空気が明るくなる。
もっともその押しの強さに引いてしまう者も一定数いるのだが、美緒は空気もきちんと読めるので、そこで押すか引くかをきちんと判断している。
「美緒。そろそろ本題に入れ」
「はいはい、わーってますよー」
話をぶった切られた美緒は唇を尖らせるポーズをした。
どっこいせ、と言いながら美緒は巧磨の隣に座る。
「さって、売られた妖怪の子のことでいーんよね?」
ぱっとまとう空気を変える。
この辺りの切り替えの速さが、空気を読めるということだ。
「ああ、それで合ってる」
「おけおけ。その子は鹿沼にいるみたいだぜー?」
「鹿沼か……」
「隣の市じゃな」
「ああ」
多少道が混んでいることを想定して、この店から車でだいたい1時間はかからないくらいだろう。
鹿沼といっても広い。
具体的には何処なのだろうか。
そこまでは突き止められていないか……。
いや、そんなはずはない。美緒ほどの妖怪が、こんな半端な状態で済ますはずがない。
事実、次に浮かぶはずの疑問をきちんと察し、美緒はニッと笑って見せた。
「でかい会社の取締役のオッサンが森の中の別荘に閉じ込めてるってよー」
ひどいことするよねー、と美緒は唇を尖らせる。
一方、やはりと恭平は思う。
鹿沼市にいる――たったそれだけの情報しか得ていないはずがない。
美緒が情報を得たのなら、そのくらいはしていると確信していた。
そして事実、その通りだった。
「森の中の別荘か……」
恭平にはなんとなく心当たりがあった。
鹿沼市の森の中に、立派な洋館が建っていると聞いたことがあるのだ。
「他に何か分かったことは?」
「えーっとねー。あたしにその情報を話したオッサンは、どーやら鴉天狗の娘を買ったオッサンを恨んでるみたいだったー」
大きな会社ともなれば、商売敵とぶつかることもあっただろう。
恐らくは、それで恨みを買ったのだと思われる。
恨んでいる相手に一泡吹かせてやろうと、情報を漏らした、というところか。
「烏天狗の娘を買った人の名前は言っていたか?」
「んーん、そこは言ってなかった。ぶっちゃけたそうだったけど、踏みとどまった感じー」
その辺はぎりぎりで耐えたようだ。
美緒に話した秘密の時点で既に黒に近いグレーなので、今更と言ってしまえば今更ではある。
ただ、名前ともなれば真っ黒も真っ黒。もう言い逃れなどできはしない。
辛うじて黒ではないのと真っ黒ではだいぶ違う。その時、美緒に情報を漏らした者はそう考えたのだろう。
簡単そうに言っているが、そもそも相手からそういう愚痴を引き出すのは簡単じゃない。
まして客と嬢。
一期一会なのだ。
それを引き出したのは、ひとえに美緒の話術によるもの。
「うむ、ほんに見事なものじゃな」
懐に入ったからこそ愚痴ったのだ。
人は簡単に他人を懐に入れたりはしない。
短い時間で胸襟を開かせたのは美緒である。
「美緒が接客した客については分かるか?」
「わかんねーなー。自分のことはほとんど話さないんだもんよ」
分かったのは、どこかの会社で上の方の役職についているということだけ。それ以上は何も明かさなかったらしい。
手を変え札を変えてさりげなく聞こうとしたが、結局ダメだったと美緒はごちた。
自分の実力でも通用しなかったことに、美緒は忸怩たる思いを抱いているようだった。
「なるほどの」
つい烏天狗について話してしまったが、そこで少し冷静になったのだと推測できる。
恨みと言うか感情に任せて話してしまったのだろう。
その後で「やばい」と思い、これ以上は踏みとどまった、というわけだ。
パーソナルデータを秘匿することで、自分にたどり着く確率を少しでも下げようとしたのだろう。
まあ、その辺については、恭平と木ノ葉にとってはそこまで重要ではない。
「分かった。助かったよ美緒」
「おっ? あたし役に立った?」
「めちゃくちゃ役に立った」
「ふっふーん、そーれならいいんだー!」
「助かったぜ美緒、もういいぜ」
「はいはーい! まったねぇ!」
美緒は席を立つと手をひらひらさせて去っていった。
仕事を果たせたということで、彼女の足取りは軽かった。
思い通りにいかなかった点はあれど、及第点どころか十分に合格点の仕事結果だ。
「ずいぶんと気に入られておるの、恭平」
「そうみたいだな」
「こいつ結構懐かれてんだよな。この店にもあそこまで懐いてる相手はそう多くねぇ」
「原因にはとんと心当たりがないんだよ、残念なことに」
「そういうところじゃろうな」
「そういうとこだろうぜ」
好意を持たれていることは分かっているが、それにいたった原因までは思いつかない恭平。
もっとも、それが友人としての好意なのか、男女としての好意なのかは確信が持てていない。
女性と付き合ったことがないので、判断がつかないのだった。
「まあ、それはそれとして、ほれ」
恭平はいつものように調査費用が入った封筒を巧磨の前に置いた。
「おう。確かに受け取ったぜ」
茶封筒を手に取り、ジャケットの内ポケットに入れた。
金額は大したものではない。
少なくとも恭平からすればそうだ。
これほどの調査能力を持つ相手を、こんな安い金額で使うなんて、という思いは今でも抱いている。
けれども、これ以上の額は受け取ってもらえないのだ。
調査は自分たちのためにもなるので金はいらない、と、当初は報酬を受け取ることさえ拒否してきた。
それをどうにか説得しなだめすかして、どうにか受け取ってもらっているところだ。
ここの調査員は今の美緒だけではない。
他の嬢たちもそれぞれの手法で情報を収集する諜報員だ。
今回はたまたま美緒が正解にたどり着いただけで、サンシャインの嬢も、Oneのホストも情報収集を行っていた。
ともあれ、正解にたどり着いた。
「うむ。実に有意義じゃったな」
木ノ葉が言うと、恭平も巧磨も頷く。
「では、いつ乗り込むか、じゃな」
「ああ。無策で突っ込むわけにもいかないしな」
「それにきっと待ち構えてんだろうぜ。面倒なやつらがな」
工場を襲撃した時点で、売られた妖怪については奪われてはならないと神経質になるのは目に見えていた。
このサンシャインとOneについての防衛も気になるところだったが、ぱっと見た感じでは間違いなく玉藻の前の手が伸びている。
玉藻の前の気配が隠れていないのだ。巧磨たちもこれには気付いているだろうが、守られていることを考えると文句など出ようはずが無いのだろう。
ともあれ、そうやすやすと襲撃を受けたりはしないと確信できる。
玉藻の前の護りに手を出すには、並ではないメンツと並ではない装備、そして並々ならぬ覚悟がいる。
なので、ある意味では後方を気にせずに攻勢に出られるというわけだ。
事態は、一気に進展する。