13話
改めて、恭平は玉藻の前に向き直った。
恭平とは役者が違う相手だ。
敵ではないのだが、全面的な味方でもなし。
目をかけてもらっているという自覚はあるが、味方だと気を抜いて失望されてはたまったものではない。
恭平としてはそれを避けるため、常に緊張感をもって接する必要がある相手、それが玉藻の前である。
「救出はうまくいきました。続いて、既に売られてしまった妖怪の問題に取り掛かります」
これで終わりではない。この事件のことを考えれば、これをしなければ終わらない、終われない。
「うむ。今回の救出がうまくいったことで、憂いなく取り掛かることができる」
木ノ葉が恭平に同調した。
彼女としては、玉藻の前に話を持ってきた成果があったというところである。
「それはなによりですわ」
進捗は今のところ順調である、というのを読み取り、玉藻の前はうんうんと頷く。
その一方で、玉藻の前はこの後どんな話を振られるかを理解していた。
恭平の表情は真剣さが伝わるものではある。しかしその度が過ぎて、口にする前から何を言うのかが分かってしまったのだ。
「問題は、売られた先が分からないことです」
玉藻の前の予想通り、恭平の質問は売られた妖怪がどこにいるのかが分からない、ということだった。
「そうじゃな。連中のアジトから資料をくすねては来たが、今のところめぼしい情報は無いの」
そして、それについては木ノ葉もどうやら見当もついていない様子。
玉藻の前が何か情報を得ていないかを確認するつもりだったようだ。
「なので、玉藻の前様の方で何か情報がありましたら、教えていただきたいのです」
恭平は回りくどい言葉を一切使わなかった。
正面からまっすぐ玉藻の前にぶつかった。
「ふふ、直截な表現ですこと」
良く言えば裏表がない。
悪く言えば駆け引きがまったくない。
自ら置いた環境から得た経験故に、同い年の少年に比べれば大人びている恭平である。
しかしまだ彼は18歳。まだまだ一人前の大人とは言い難い。
そもそも成人すらしていないのである。
「飾り立てて迂遠にして、意図がきちんと伝わらない方が困りますから」
「……」
玉藻の前は、扇子を広げて口元を隠した。
どうやら、今回は意図的に駆け引きをしなかったようだ。
使い分けているのならばまあ問題は無いか、と、玉藻の前は母親心のようなものを抱きながら判断する。
恭平としては、玉藻の前相手に駆け引きなど仕掛けても勝ち目がないことは分かっていたので、それならばとまっすぐに行っただけのことだ。
どうせこういう考えも、玉藻の前には筒抜けなのだろうな、という信頼感も恭平にはあったが。
それはともあれ。
「して、どうなのじゃ?」
そんなことはつゆ知らずか。
あるいは知った上でのことか。
木ノ葉が恭平の言葉を後ろから押し、ボールを玉藻の前に投げた。
「……」
さて受け取ったからには返さねばならない。
どう返答しようか、
瞬きにも満たない時間考えて。
「残念ながら、わたくしのところにある情報は大したものではございませんわ」
玉藻の前もまた言葉に虚飾を施さずに投げ返した。
変に期待を持たせるつもりはなかったからだ。
意外そうな顔をしたのは恭平。
木ノ葉の方は表情を変えなかった。
玉藻の前が情報を持っていない可能性も想定してしかるべきこと。
それは木ノ葉のみならず、恭平も当然想定していた。
しかし表情に差が出たのは、恭平にとって玉藻の前は超常の存在。
そんなことあるはずがないと考えていたからに他ならない。
さて、では次にどんな疑問が浮かぶか。
玉藻の前ともあろう大妖怪が、何故それを知らないのか、である。
「富豪に売られた、ということは分かっていますわ。ですが、そこまでです」
購入したのは富豪。別におかしくもなんともない。
妖怪の売買ともなれば、かなりの金額が動くのは当たり前の話。
現代日本において、人身売買は禁止されている。
しかし所変われば、自身の内臓を売った、というような話は時折耳にすることがある。
ある程度のお金が手に入るからこそ、自身の身体のパーツを売る、という選択肢をとるものがいるのだ。
人間でさえそうなのだから、妖怪ともなればさもありなん、ということである。
「わたくしが知らない理由は単純。積極的には調べさせていないからです」
積極的に調べさせていない。
つまりは、自然に届く情報にのみ任せている、ということだろう。
玉藻の前を頂点としたこの組織は優秀だ。
彼女が特段指示を出さずとも、情報収集に余念が無い。
ありとあらゆる手段で諜報活動が行われ、何かインシデントあれば即日玉藻の前に報告が上がる。
その情報伝達の速度と範囲はすさまじいものがあり、おおよそ関東全域に及ぶのではないか、と恭平は一度想像を働かせたこともあった。
正確なところは確かめたこともないし確かめる気もない恭平に分かるものではないが、当たらずとも遠からずの線をいっている、と踏んでいる。
それはさておき、それほどの自動情報収集ネットワークがあるにも関わらず調べさせていないということは、妖怪の売買について情報収集をやめるよう命令したからである。
「何故調べさせておらぬのじゃ?」
木ノ葉からその質問が出るのも当然のこと。
恭平もまた同じ疑問を抱いていた。
木ノ葉が問わなければ恭平が問いかけていた。
「妖怪さらいの件については、安部陽亮の息がかかっていることが分かったからですわ」
「安部……」
「なるほど、そういうことか。厄介じゃな」
凶暴な妖怪を倒す退魔師は、日本のアンダーグラウンドに今も存在している。
妖怪の受け入れ先である玉藻の前。
実は、妖怪、退魔師のどちらも政府に水面下で認められていることだ。
お互いにお互いが天敵同士ではあるが、同じ政府に認められている存在であるという事情もあって、現状表立って敵対はできない。
政府としては退魔師寄りだ。
人間からすれば妖怪はどうしても危険なものとして見てしまう。
それがたとえ、目の前にいて言葉がかわせようともそんなことは関係ない。
もう本能で、人間は妖怪を怖いとおもってしまうのだから。
しかし玉藻を認めない、として、代わりに妖怪を放逐された場合の被害ははかり知れない。
何より玉藻と敵対することは政府としては恐ろしくてできない。
恐ろしい妖怪は玉藻だけではなく、玉藻との敵対は他の恐ろしい妖怪たちも敵に回しかねない。
それはつまり、退魔師協会に妖怪たちを完全に排除する力がないとみていることを暗に示唆している
「ええ、ですので……」
玉藻の前はとつとつと説明を始めた。
自分のおひざ元で行われていることなのでもちろん大まかに把握はしている。
ただ、今回は早い段階で、安部陽亮の息がかかっていることがわかった。
厳密には保護している区域からは外れるが、玉藻の前が妖怪が最後にたどり着く安住の地を謳う以上、妖怪さらいを放置はしておけない。
しかし一方、玉藻の前のひざ元でやるのが退魔師からの挑発とわかっているからこそ、迂闊には動けない。
安部陽亮は玉藻の前をもってしても与しやすい相手ではないからだ。
ただ、前述のとおり完全に放置してしまっては玉藻の前がナメられる。
それどころか、妖怪の安住の地としての名声にも大きな傷がつく。
よって何らかしらの手を打たなければならないのだが、玉藻の前が動けないとなれば打てる手は限られてしまう。
思いのほか難易度が高い状況にどうしたものかと考えていると、この地にやってきた木ノ葉から、さらわれた妖怪を助けたいという申し出があった。
ぱっと一連の作戦を思いついた玉藻の前は、これ幸いと木ノ葉に恭平を紹介した。
つまり。
玉藻の前が救出に関わっていない事実をつくるため、調べていないし、教えられない。
自然に情報が入ってくるにとどめており、そこまで詳しくは知らない。
なので自分たちで探してほしい。
ということである。
「この地に所縁のない儂が動く分には、おぬしとの繋がりを辿られる可能性は低いの」
「ええ」
実働可能な人材として恭平を紹介こそしたものの、あくまで動くのは木ノ葉。
恭平は玉藻の前と面識はあるが、玉藻の前の組織の人間ではない。
玉藻の前の組織に所属することで受けられる権利が無いかわりに、義務もない。
あくまでも仕事を発注する元請と、それを受ける下請という間柄だ。
お互いにいつでも関係を切れるビジネスのドライな間柄。
今回はそれが良い方向に働いたというわけだ。
「ふむ、儂の申し出に乗じたわけじゃな?」
「そうなりますわ」
利用された。
利用した。
それをお互いにさらりと暴露し、しかし二人とも表情をまったく変えない。
木ノ葉としては利用されたものの、結果的には自身の目的のひとつが達成されている。それに、恭平を紹介してもらうのに木ノ葉は玉藻の前に対して何も対価を払っていないのだ。ただより高いものはない、とはよくいったもの。利用されたことで対価を支払いチャラになったと考えれば悪くはなかった。玉藻の前に貸しひとつなど、木ノ葉としてもまっぴらごめんだったのだ。
玉藻の前も、木ノ葉がそういった思考に至ると分かっていたからこそ利用したことを暴露した。
2人をはたからみていた恭平。具体的な内容までは想像が追い付かないが、おそらく当人たちは納得しているのだろうと、2人を見て思う。
「以上でご納得いただけるかしら」
「ふむ。仕方ないの。では、儂がおぬしの隠れ蓑となって動くとしよう」
「……分かりました。そういう事情でしたら、無理は言えません」
「お力になれず残念ですわ」
恭平と木ノ葉に対し、玉藻の前は申し訳なさそうに言った。
表情の仮面に内心を隠すのは非常に得意な玉藻の前ではあるが、申し訳ないというのは本心だ。
動けない、であって動きたくない、ではない。
己の膝元で妖怪の誘拐など、到底許せることではないのだから。
もしも自分でけりをつけられるならば、とっくにやっていた。今頃はとうに解決していただろう。
それができない程度には、安部陽亮を難敵として位置付けているということだ。
「ということは、我らの方で突き止めるしかあるまいの」
「そうだな」
玉藻の前から情報は得られない。
それが分かっただけでも前進だ。
特に恭平にとっては。
彼にとって、玉藻の前はまさに超常の存在。できないことなどないし知らないことなどない、まさに賢者と言ってもいい存在だった。
仮に力を借りられたなら、とても頼りになることは間違いない。
その分つい期待も大きくなってしまうのだが、今回においては彼女を頼っても意味が無いということが分かった。
変な期待をする必要はなく、逆に自分たちで探る必要があるという覚悟を決められる。
「ふふ。そんなにざっくばらんにお話するなんて、ずいぶん仲良くなったのですね」
「共に仕事をするのじゃ、他人行儀だと鬱陶しいからの」
「羨ましいですわ。わたくしとの間にはいまだに壁がありますのに」
「儂とお主とでは立場が違うからの。無理もなかろうよ」
「残念ですわ」
恭平が木ノ葉に対して敬語を使っていないことだ。
玉藻の前は本当に残念そうだが、まあ無理だろうと恭平は思う。
圧倒的に目上であり、敬語を使うことになんの否やもなかった恭平。
しかし、根無し草である木ノ葉はそれを不要だと言い切ったのだ。
一方、玉藻の前に対して木ノ葉と接するのと同じようにするのは無理だ。
根無し草の木ノ葉と違い、玉藻の前はここのトップ。
恭平が敬語を使うことは、彼女に敬意を払っていることの証左になる。
相手の立場が立場であるので、そういった弁えも必要なのだった。
「それじゃあ、調査と情報収集はこちらで行います」
「ええ。お任せしますわ」
恭平と木ノ葉は玉藻の前のところを辞した。
さて、やることは山積みなのだ。
さしあたっては、例の書類との戦い。
非常に面倒かつ憂鬱な作業が待っている。
玉藻の前のところではめぼしい情報を得ることはできなかったが、いい気分転換になったのだった。




