095
サシャの持ち帰ったキングボアを民衆に振る舞い、大宴会を行っていると、王族の乗った馬車が登場し、民衆から声が消える。
その馬車がサシャ達の元へ近付くと、ヨハンネスは直立し、長兄が降りるのを静かに待つ。その後、馬車が止まると長兄が姿を現し、ヨハンネスの目の前に立つ。
「これはどういう事だ……」
「はっ! サシャが狩りに行き、キングボアを民衆に振る舞っていました!」
長兄の静かな怒りに、ヨハンネスは簡潔に質問に答えるが、火に油のようだ。
「お前がついていながら、どうなっていると聞いているんだ!」
「それは……」
珍しく声を荒げる長兄に、ヨハンネスは口ごもる。すると、サシャが代わりに座ったまま口を出す。
「ちょっと~。楽しく食べてるんだから、怒るのはやめて欲しいしぃ」
サシャの発言に、長兄は睨み付ける。
「なに?」
「いまはヨハンネスと話をしているのだ。この事態を止める事が出来たはずだからな」
「あ~……無理無理。ウチが拉致ったんだから、どうやったって無理」
「私なら止められたはずだ」
「ライナーでも無理だしぃ」
「出来る!」
「じゃあ、止めてみるしぃ」
サシャは立ち上がると、お尻についた埃をポンポンと叩いて落とす。長兄は何が起こるかわからないが、対応できるように構えて待つ。
するとサシャは、ニッコリ笑ってから宙に浮く。
「なっ……」
「はい。捕まえてみろしぃ」
サシャは驚く長兄を挑発しながら空を舞う。初めから見ていなかった民衆も、口をあんぐり。驚いて声も出ないようだ。
「しょうがないな~。ちょっと手伝ってあげるしぃ。【空中浮游】」
「うっ。これは……」
今度はサシャの魔法で長兄が舞う。突然の出来事で長兄も叫びたいのだが、民衆の手前、取り乱す事も出来ずに冷静さを保つ。
「どう? 止められそう??」
「私の負けだ。降ろしてくれ」
「おっけ~」
長兄はお手上げのポーズで負けを認め、サシャにゆっくりと降ろされる。
「騒ぎの理由はわかったが、勝手な事はしないで欲しい。やる時は、私に一声掛けてくれ」
「止めたりしない?」
「私には止められないからな」
「あはは。割り切るの早いしぃ」
「さて、帰るとしよう」
「まだ宴会したいんだけど~?」
「……わかった。だが、夜には帰って来い。ヨハンネス。付き添ってやれ」
「はっ!」
長兄はそれだけ言うと馬車に乗り込み、城に帰って行った。長兄の馬車が去ると、帝都に忘れられていた声が戻る。すると、ヨハンネスはぐったりとしてサシャの隣に座る。
「おっつ~」
「はぁ。死ぬかと思った……」
「あはは。首が繋がっていてよかったしぃ。物理的な意味で」
「笑い事じゃない!」
「わり~。わり~」
「……絶対、悪いと思ってないよな?」
「あははは」
その通り。まったくこれっぽっちも思っていない。
「まぁアレだしぃ。ヨハンはウチのお目付け役に任命してあげる」
「出来れば、いますぐ離れたいんだが……」
「それはやめたほうがいいんじゃね?」
「どうしてだ?」
「離れたほうが、何されるかわからないしぃ。お家、お取り潰しとか……」
「あ……」
「もしもの時は、ウチがヨハンじゃないと、魔王を倒さないとか言ってやれしぃ」
「どうやっても、サシャと付き合い続けないといけないのか……」
「美少女のそばに居れて嬉しいしぃ?」
「うぅぅ……うわ~~~!」
「あはははは」
ヨハンネスの本気の叫びに、サシャは背中をバシバシ叩いて笑い続ける。嬉しい叫びではないのに……
一方、城に帰った長兄は、皇帝の召還に応え、玉座の間で跪く。
「あの娘は、下級街で馬鹿騒ぎをしているらしいな……」
「はっ! 申し訳ありません」
「お前が操れると言ったのは、嘘だったのか?」
「まさかアレ程の奔放な者だとは、計算違いだった事は紛れもない事実です」
皇帝の言葉に、素直に謝る長兄。それでも納得できないのか、宰相が叫ぶ。
「だから言ったのです! 勇者を操る事は不可能だと!」
「不可能とは言っていない」
「では、どうするつもりなのですか!」
「当初の予定を早めて、魔界に攻め込む。帝都から出してしまえば、よけいな事に首を突っ込むような事はないだろう」
「魔界を制圧した後はどうするのですか?」
「五年間は魔界に城を築いて残ってもらえばいいだろう。元の世界に、帰る気になる出来事でもあれば、自分から帰って行くはずだ」
「出来事を作り出すと言う事ですか……」
「さあ? 自然発生するのではないか?」
「なるほど……」
宰相の質問に、長兄は涼しい顔で否定する。そのやり取りだけで、宰相は長兄の考えが理解できたようで、何やら考え込む。宰相が黙ると、長兄は皇帝に目を戻す。
「あの者はクリスティアーネの思想を、力だけで叶える事の出来る人物です。そんな者に、力で押さえ付けようとしては反発し、この帝国が滅ぼされてしまうでしょう」
「宰相が言う通り、諸刃の剣だったと言う事か……」
「召喚してしまったからには乗りこなすしかありません。引き続き、私が監視し、手綱を握ってみせましょう」
「他に選択肢はないか……わかった。もう行ってよい」
「はっ!」
皇帝はチラッと宰相を見てから、長兄を玉座の間から退出させる。扉が閉まるのを待って、皇帝は宰相に声を掛けている姿があった……
長兄は玉座の間から出ると各所に回り、進軍の準備を急がせ、日が暮れる頃に侍女からサシャが戻った旨を聞かされる。
日が完全に落ちた頃、ようやく仕事を終えた長兄は、サシャの部屋をノックする。
部屋からは大声で入っていいと言われたので、長兄は一声掛けてから入る。すると……
「ウサギ?」
部屋の中には、フードからウサギの耳が生えた真っ白な服を着た女が、ソファーで寝転んでいた。
「どう? かわいいっしょ??」
もちろんサシャだ。どうやらパジャマに着替えたらしい。
「変わった服だな。ウサギである必要があるのか?」
「もう! ヨハンもライナーも女心がわからない奴だしぃ!!」
ただ一言、かわいいと言えばご満悦なのに、残念な男二人だ。そのせいで、ぷりぷりするサシャを宥める事に、骨を折る二人であった。