002
「い、いや……やめてくださ…い……」
「ちゅ~~~」
勇者召喚を行った魔王は、魔法陣から出て来た全裸の男に覆い被さられ、唇を奪われそうになっている。
魔王は抵抗して両手で押し返しているが、男の力が強いので、キスされるのは時間の問題。ゆっくりと男の魔の口が、魔王の口に迫る。
「いや……助けて~~~!」
「ちゅ~~~」
「あんた達、四天王なんだから、魔王を助けなさ~い!」
「「「はっ」」」
「ムニャムニャ」
四天王はテレージアの言葉で我に返り、勇者を魔王から引き離そうとする。約一名は現実から離れて行ったが……
「くっ……動かないだ」
「なんて力だ……」
「さすが勇者と言う事か……」
「「お前も手伝え~!」」
「力担当のお前達が無理なら、私が出たところで意味が無い」
ミヒェルとレオンは力ずくで魔王から勇者を引き離そうとするが、スベンは諦めたようだ。その間にも、勇者のキスはゆっくり、そう、ゆっくりと近付く。
その速度に一番初めに気付いたのは、被害者である魔王だ。
(……さっきから進んでる? 力はすごいけど、私には体重を掛けないように乗っているし……これだけ力の差があるなら、すぐに唇を奪われていてもおかしくないんだけど……)
一向に近付かない男の唇に、魔王は冷静さを取り戻し、考える余裕が出来たみたいだ。
「ちゅ~~~……サシャとの誓いのキス~」
(サシャ? ひょっとして、誰かと勘違いしているのかしら?)
男の一言に、魔王は言葉を投げ掛ける。
「あの……私はサシャさんじゃありませんよ?」
「え? いや、俺がサシャの顔を見間違えるわけがない。ちゅ~~~」
「ちょ、ちょっと待ってください! サシャさんじゃないですって~!!」
「え? サシャが俺に敬語??」
男は妹の口調が違う事に気付き、顔をマジマジと眺める。だが、妹と瓜二つの魔王の顔に、ニヘラっと笑うだけであった。
「その頭に付いている角は、いつの間に付けたんだ? うん! それはそれでアリだ。サシャは何を着てもかわいいな~」
「ですから、サシャさんじゃないんです! あ、あと……その……胸から手をどけてくれませんか?」
「むね?」
魔王は顔を赤くして目を逸らす。すると男は、二つの大きな物をモミモミと揉んで、頭をフル回転させる。
「だ、誰だ! お前はサシャじゃないな!!」
「そう言っているじゃないですか!」
男は飛び退くと、魔王を非難する声を出し、見ていた者はこう思ったらしい……
胸の大きさでわかるの?
と……
男が離れたところで魔王は立ち上がり、全裸を直視しないように本題に入る。
「ゴホン! 勇者様。突然、異世界に召喚されて混乱されているみたいですね。申し訳ありません。この度、召喚した理由なのですが……」
魔王は丁寧に話し出すが、勇者はと言うと……
「サシャ! サシャ~~~!!」
まったく聞いていない。辺りをキョロキョロし、それでも見当たらないので、叫び続けている。
その姿を見たテレージアが、魔王に近付いて疑問を投げ掛ける。
「アレ……勇者なの?」
「だと思うのですが……」
「全裸よ? 勇者って立派な鎧を着て、凄い剣を持っているんじゃないの?」
「異世界に来る時に、服や持ち物は無くなるのでしょうか?」
「それだと、頭に付けている物も無くなるんじゃない?」
勇者は全裸だが、頭には輪のような装備を付けている。元の世界で、魔王の攻撃に耐えた唯一の装備だ。いや、耐えられた理由は、顔だけはガードしていたから、そのおかげで残っただけの、鉄の髪留め。
ガードしていたのも、最愛の妹から貰った唯一の持ち物だったからだ。たまたま暇だった妹が、輪投げをしただけだったのだが……
「お風呂に入っていたところを召喚してしまったのでしょうか?」
「知らないわよ。それより、話を再開させなさいよ」
「そうですね。落ち着いて来たみたいです。その前に、何か羽織る物を用意してくれませんか?」
「わかったわ」
テレージアはガチャガチャと歩き、近くにあったマントを手に取ると、地に両手をついて項垂れている勇者に投げる。パサッと掛かったマントに、勇者は自分の格好に気付いたのか、体に巻き付ける。
「えっと……大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない! サシャは!? サシャは何処にいるんだ!!」
「こことは違う世界に居ると思います」
「は?」
「ですから、私は勇者様を召喚する術を使って、勇者様をこの世界に呼び出したのです」
「じゃあ、もう一生サシャに会う事はできないのか?」
「いえ。この魔法陣に魔力を貯めれば、五年後には帰れますよ。ただし、十年を過ぎれば、世界の繋がりが無くなるらしいので、それまでに帰るかどうか決めてください」
「いますぐサシャに会いに帰る!」
「それは出来ません。一度目の召喚には百年以上の魔力が必要になり、その後、五年間貯めた魔力で送り返す事が出来るのです」
「じゃあ、五年もサシャと会えないのか?」
「そうなりますね」
「嘘だろ……やっと魔王を倒して、結婚出来るところだったのに……うぅぅぅ」
勇者は大粒の涙を零し、泣き出す事となった。魔王はその姿を見て、いたたまれなくなる。そこを空気の読めないテレージアが近付き、勇者に声を掛ける。
「それで、魔族を救ってくれるの?」
「うぅぅ……うわ~~~ん」
「ちょ、泣かないでよ!」
「ぐずっ……魔族を救う?」
「そうよ。あんたは強いんでしょ? その為に召喚したんだから、人族と戦ってよ」
「いや、俺は弱い。ぐずっ」
「なに言ってるのよ。勇者なんだから強いでしょ!」
「ぐずっ。俺は勇者と呼ばれていたけど、双子の妹について行っただけだ」
「え……」
「戦うのは、からっきし。魔王を倒したのも妹だ。ぐずっ」
勇者が弱いと聞いたテレージアは魔王を見る。
「魔王……その召喚魔法って、勇者を召喚する魔法じゃないの?」
「そうです。使命を成し遂げた平和な世界の勇者様を召喚する魔法だと、古文書に書いていました」
「えっと……あんたは勇者なの?」
「ぐずっ。みんなから頑丈な勇者と呼ばれていたから、いちおうは勇者だ」
「頑丈な勇者??」
「他にも走る勇者だとか、旅の勇者と呼ばれたりしていた。ぐずっ」
「戦闘と全然関係ないじゃない!」
「妹さんは、なんと呼ばれていたのですか?」
「凄い魔法と凄い剣を使っていたから、魔剣の勇者と呼ばれていた。でも、駄洒落みたいだから気に入っていなかった……」
「どうしてですか?」
「うわ~~~ん」
鼻をすすって質問に答えていた勇者は、妹の顔を思い出してしまい、再び号泣する事となった。
「ひょっとして……召喚する勇者を間違えた?」
「世界に二人の勇者が居たのなら、可能性はありますね……」
狙っていた勇者とは別の、ハズレの勇者を召喚してしまったと気付いた魔王とテレージアは、泣き叫ぶ勇者を見ながら肩を落とすのであった。