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静寂に包まれる室内に、衣擦れの音が響く。
「どこに行くのよ?」
勇者が動き出した音だ。ベッドから降りようとする勇者に、テレージアは質問した。
「サシャと話をして来る」
勇者は立とうとするが、足に力が入らず、前のめりに倒れた。
「アニキ。オレの肩に掴まって」
「あ、ああ……すまない……」
コリンナは勇者に近付くと、肩を貸してゆっくりと進んで行く。そうしてサシャが居るであろう城の庭まで、時間を掛けて進む。
庭では、ベンチに座るサシャの姿があり、どことなく儚く見える。そのサシャの元へ、勇者とコリンナはゆっくり近付く。
「兄貴……」
サシャは、目の前にまで来た勇者達にようやく気付き、顔を上げた。
「サシャ……隣、座っていいか?」
「………」
双子勇者は、お互いいつものテンションではない。いつもなら、勇者はサシャに興奮して飛び付き、サシャは勇者にキレていただろう。しかし、憔悴している二人では、そんないつもの事もできないでいる。
サシャは勇者の言葉に少し横にズレ、ベンチを空ける事で返事とし、勇者はコリンナの肩を借りて隣に座る。
沈黙……二人は喋る事もせずに、時間が流れる。
その重苦しい空気に耐えかねたコリンナは、あとで迎えに来ると言って、離れて行った。
それからも長い時間が流れ、どれぐらい経ったであろう。勇者が口を開く。
「サシャ……今まで、本当にすまなかった」
突如頭を下げる勇者に、サシャは興味なさげに視線を送る。
「俺はサシャのお兄ちゃんなのに、こんなに重たい荷物を一人で持たせていたんだな……。謝らせてくれ」
サシャは、しばらく黙っていたが、重たい口を開く。
「別にいいしぃ……」
「よくない! 俺を殴ってくれ!!」
「……殴ったところで、兄貴に効かないじゃん」
「あ……」
面倒くさそう答えるサシャの正解。刀すら跳ね返す勇者に、気合いを入れる事は、サシャにはできない。
また沈黙が流れてしまうが、今度はサシャから声を掛ける。
「ありがと……」
「え?」
その声は小さく、勇者は聞き直してしまった。
「あんまし記憶にないんだけど、ウチを助けてくれたしぃ」
「俺がサシャを助けた??」
「たぶんね。ウチが倒せなかった敵も、兄貴が倒してくれたっしょ?」
「……たぶん。俺も必死だったから、記憶が……」
「お互い生きてるのが証拠だしぃ……だから、ありがとうって言ってるんだしぃ」
「……う、うん。うぅぅ」
勇者は涙する。その感情は複雑で、サシャと会えたこと、救えたこと、魔王を救えなかったこと、不甲斐ない自分を思い知ったこと、そんな自分にサシャが感謝してること……数多くの感情が混じりあって、泣き崩れてしまった。
そんな勇者を見た事がないサシャは、どうしていいかわからずに、うっすらと涙を浮かべながら勇者の頭を撫で続けていた。
それから落ち着いた勇者は、ぐちゃぐちゃの顔を袖で拭いて、サシャの目を真っ直ぐ見つめる。
「サシャ……じゃない。魔王が攫われたって聞いたか?」
「……うん」
「俺は助けに行きたいんだ。サシャ……ついて来てくれ!!」
大声を出して頭を下げる勇者に、サシャは顔を歪める。
「ウチは……無理だしぃ……」
「ど、どうして……」
サシャならふたつ返事とまでは言わないが、強い敵が居るのなら率先して行くと思っていた勇者は、サシャの弱々しい言葉に不思議に思う。
「怖いんだしぃ! 怖くて体が震えるんだしぃ……」
サシャは泣きながら震える手を出して、勇者に見せる。今度は勇者がどうしていいかわからずに、目の前にあった手を握ってしまった。
「サシャでも弱気になる事があるんだな。そんな事も知らなかったなんて、お兄ちゃん失格だ……わかった。俺、一人で行くよ」
「兄貴……」
「でも、これだけは覚えておいてくれ。お兄ちゃんはいつでもサシャの味方だ。絶対にサシャの事を守る。今度一緒に戦う事があれば、絶対にサシャを傷付けさせないと誓うよ」
「うぅぅ。兄貴……うぅぅぅ」
サシャが泣き崩れると、勇者はサシャの頭を撫でて時間が過ぎる。そうしていると日が傾き、サシャは泣き疲れて勇者の膝の上で眠ってしまった。
その頃には仕事を終えた姫騎士とコリンナがやって来て、サシャは姫騎士の背中、勇者はコリンナの肩を借りて城内へと戻って行った。
城内に戻ると食堂に直行し、勇者は信じられないぐらい食事をとる。おそらく、死ぬほどの怪我を負っていたので、回復のためにエネルギーを補填しているのだろう。
サシャも前日は勇者に負けず劣らず食べていたので、勇者特有の防衛本能なのかもしれない。この日もサシャは目覚めると、大量の食事をとっていたので、姫騎士とコリンナは双子勇者の食事を、呆れた顔で見ていた。
翌日……
八割がた体調の戻った勇者は、城の一室で仕事をする姫騎士にお願いしている姿があった。
「パンチの打ち方??」
どうやら勇者は、姫騎士から戦い方を習おうとしているようだ。
「俺は頑丈だから、体を使った戦い方があってると思うんだ。四天王のみんなも殴ったらいいとか言っていたし」
「確かにそうだろうが……ちなみにだが、この前の敵は、勇者殿はどうやって倒したのだ?」
「ここで見せたらいいのか?」
「ああ。いや……庭に移動しようか」
姫騎士は、何やら嫌な予感がしたので庭に移動する。すると、そのやり取りを見ていたコリンナとテレージア、勇者を睨んでいたフリーデもぞろぞろとついて行った。
庭では、今日もベンチに座ってボーっと遠くを見ていたサシャが居たので、姫騎士はアドバイスをもらえるかと、サシャの目の前で勇者の特訓をする事にする。
「では、見せてくれ」
「おう!」
姫騎士の合図で、勇者はぐるぐるパンチを見せる。
「「「「えっ……」」」」
一同驚愕。勇者の手が消えているので致し方がない。さらには、暴風が吹き荒れていたので、姫騎士は室内でやらなくて正解だったと胸を撫で下ろしていた。
このまま見ていても、何もわからないと感じた姫騎士はストップを告げて質問する。
「まったく見えなかったのだが……誰か見えた者は居るか?」
姫騎士の問いに、一人を除いて首を横に振る。そんな中、唯一見えていたサシャは手を上げて質問する。
「ちょっと……何してるんだしぃ?」
「ああ。勇者殿が、敵をどうやって倒したのか見せてもらっていたんだ」
姫騎士の答えに、サシャは叫ぶ。
「はあ!? そんな子供みたいな喧嘩の仕方で倒したの!?」
サシャの驚く声を聞いた姫騎士達は説明を求め、勇者にも遅いぐるぐるパンチを見せてもらうと、呆れた顔に変わった。
「「「ぐるぐるパンチ……ないわ~」」」
そりゃそうなるか。