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人族兵を虐殺する魔獣から逃げ切り、死の山の近く、崖の間際で気の緩んだ長兄は笑みを零す。それに釣られてウッツも笑うが、気持ち悪い笑い方なので、長兄は不思議に思う。
「くふっ……くふふふ」
「変わった笑い方だな」
「くふふ……失礼しました。くふふふふ」
「いや、いい。気にするな」
「いえ……もっとあなたは気にしたほうがいいと思いますよ」
「……どういう事だ?」
笑い声と共にウッツの口調が変わった事で、長兄は訝しむ。
「ほら。聞こえて来ませんか?」
「……何をだ?」
長兄の質問に、ウッツは答えないが、耳を済ませば答えは聞こえて来る。
地響きと悲鳴だ。
死の山手前で止まっていた魔獣が動き出し、兵士を殺しながら死の山に向かって来ている。
「安全地帯ではなかったのか!?」
「ここは死の山と呼ばれる場所ですよ? 安全なんてあるわけがありません」
「に、逃げるぞ!!」
「逃げ場なんてありません。ここは命を吸い取る死の山なのですからね。まぁ実際には、命を奪うのは魔獣で、血と魂を補完するのが死の山の機能なんですがね」
「なんだと……」
饒舌なウッツの語りに、ここでようやく長兄は、ウッツを疑いの目で見る。
「お前は……何者だ?」
「そうですね。私は案内人……もしくは、使いってところですか」
「案内人? 誰の……」
「あなたが思っている通りですよ」
ウッツの言い分に、長兄は死の山を見る。
「正解です。くふふふ」
「何の為に……」
そして、長兄を連れて来た理由を聞こうと振り返ると、兵士をくわえて血を滴らせる魔獣達に取り囲まれて絶句する。
「何の為にでしたね……あなたには、依代になっていただきたく、連れて来た所存です」
「依代……」
「この死の山の機能……いえ、森の機能はですね……」
ウッツはとうとうと理由を語り、長兄に言い聞かせ終わると、背中から真っ黒な羽を生やす。
そうして、長兄を抱き抱えて死の山に向けて飛び立つのであった。
* * * * * * * * *
場所は変わり、帝都……
魔界侵略に出兵した者が逃げ帰って来たと、城にまで噂が聞こえて来た。
「ラインホルトが失敗したのか……」
執務室で宰相を前に、皇帝は静かな怒りを持って呟く。すると宰相は、やや大きな声で返事をする。
「勇者サシャが裏切ったようですね。ですから私は反対したのです!」
「宰相……貴様の思い通りに失敗した余を、嘲笑うがよい」
「め、滅相もありません! 私は皇帝陛下に忠誠を永遠に誓っておりますゆえ、その様な事は致しません」
「フンッ……」
皇帝の発言に、宰相は冷や汗を垂らす。当然だ。皇帝は言葉とは裏腹に、表情は冷たく、一言でも間違えば宰相の首は、この場で飛んでいただろう。
「まずは情報だ。勇者、ラインホルト、クリスティアーネの同行を探れ」
「は、はい! ……ゲーアハルト殿下は宜しいのでしょうか?」
「よい。生きていても役に立たん」
「しかし、帝国の血が……」
「そんなもの、余が生きているのだからいくらでも増やせる! さっさと行け!!」
「はっ!」
こうして宰相は、逃げ帰って来た兵士を捕らえては尋問し、一時幽閉する。だが、たいした情報も出ずに日々が過ぎて行く……
一週間ほど経ち、一通りの聞き取りを終えた宰相は、情報をまとめて皇帝と執務室で話し合う。
「ラインホルト殿下は、死の山に向かったようですね」
「ああ……魔獣を連れ帰る、か……」
「ご心配かと存じますが、殿下ならば必ずや、やり遂げるでしょう」
「どうだかな……。それより、クリスティアーネが進軍するまで待っているわけにもいかん。兵の準備を急げ」
「勇者サシャに怖れて逃げ出した兵をですか……従属魔法を掛けたほうが良さそうですね」
「任せる」
「それと、古代兵器を復活させてはいかがでしょうか?」
「古代兵器か……」
皇帝は髭を触り、長考する。
その古代兵器とは、帝都城の地下に眠る兵器。千年より古い伝承で失伝していたようだが、王族にはお伽噺として伝わっていた。
万の敵を討ち滅ぼし、帝国に、万の希望をもたらした神。
さすがに皇帝もそんなお伽噺を信じていなかったが、勇者召喚後、宰相が石板を発見したと耳打ちした。
その石板は古く、読める箇所が少ない。だが、「兵器、万の死者、万の?望、神」と書かれており、それと城にある地下空間の入口が明確に記されていた。
長兄が魔界に旅立った後、発掘調査を開始し、宰相の操る騎士によって扉の発見に至った。
その扉にも文字が書かれていたようだが、罠の魔法陣があったので、その衝撃で文字が消えたと宰相から報告を受ける。
宰相から諸々の報告を受けた王は、近衛兵と共に扉を潜り、土から出た顔のような大きな物と、それを囲むように設置された魔法陣を発見した。
もちろん不思議な物の発見なので調査を開始したが、魔法陣に入った者は倒れ、息絶える事となった。
二人の死者を出した皇帝は、危険な代物だと判断したが、宰相はある事に気付いたと言って引き止める。
兵器の起動には、人間の命が必要だと……
事実、魔法陣の一部が丸く光を灯し、百個ほどある丸い模様を光らせれば発動するかのように思われた。
皇帝は長く考え、その危険な物に一縷の期待を抱く。
「数万の兵だけでは勇者を止められないだろう……。ただちに犯罪奴隷の命の注入を開始しろ。ただし、最後のひとつを残し、待機させるのだ!」
「はっ! 仰せのままに……」
宰相は仰々しく返事をし、執務室から出ると扉を静かに閉める。そして……
「くふっ……くふふふ」
怪しく笑みを零し、地下空間に向かうのであった。