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サシャと姫騎士の話し合いが終わった頃、人族軍は魔族の作った罠にはまり、なかなか進めないでいた。
「またか……姑息な罠を使う奴らだ」
魔族の罠とは、パンパリー防衛戦で使ったふかふかな畑だ。人族兵は気付かず歩を進め、腰まで埋まる者が続出している。
「殿下。ようやく町が見えました」
「そうか。引き続き足元に注意して進めさせろ」
「はっ!」
長兄が伝令兵に指示を出してしばらくすると、辺りの空気が震動する。兵士も異変に気付き、顔を青くしてへたりこむ者まで出て来た。
「な、何が起こっている!」
「わ、わかりません……。しかし、この先に進んではいけないと、自分の体が言っているようです……」
長兄が焦った声を出すと、ヨハンネスが震える声で答える。辺りを見ると人族だけでなく、馬までもが足が止まり、恐怖に震えている。
そんな中、女の声が耳につんざく。
『ライナぁぁ~~~!!』
サシャの声だ。その声だけで、人族兵は尻餅をつく者が続出する。
「サシャか!?」
長兄がサシャの姿を探すと進行方向上空に飛んでいた。サシャの姿を発見した直後、サシャは刀を抜いて、地面に向けて軽く振るった。
すると、人族軍の最前列手前に、深い溝が出来上がるのであった。
『この線より、一歩でも越えた奴は殺すしぃぃぃ!』
最前列の兵士は、自分の体が真っ二つになるイメージを持ってしまい、首を高速で縦に振る。
人族兵が静まり返る中、長兄は兵士を掻き分け、サシャの前に躍り出て叫ぶ。
「サシャ! 何をしているんだ!!」
「はあ?」
長兄の怒声に、サシャは苛立ちの声を返す。
「ライナーは、ウチに嘘を言ったしぃぃぃ!!」
「なんの事だ!」
「魔族侵攻なんて嘘っぱち! 自作自演でやっておいて、魔族に罪を着せていたしぃぃぃ!!」
「なっ……」
サシャのぶっちゃけ話に、そこかしこから人族兵のざわめく声が聞こえて来る。
「それに姫騎士は生きているしぃ! 勝手に死んだ事にするなしぃぃぃ!!」
さらに追い打ちで、姫騎士が生きていると聞いた人族兵は、約半数は嬉しそうな顔に変わった。
「妹はヴァンパイアに殺されて眷属にされているのだ!」
「まだ言うの? ウチはしっかり見て確認して来たしぃぃ!」
「サシャは魔族に騙されているのだ! 魅了の得意な魔族がいたのだろう?」
「はあ? そういえば、あんた達も最初にウチに掛けようとしてたっしょ!」
長兄は言い訳するが、サシャには通じない。逆に兵士達に疑念が生まれた。
弁が立つ長兄も、恐怖のせいで思考が通常運転とは行かないようだ。なので数秒悩み、次の言い訳を口走る。
「サシャは強い魔族と戦いたいのだろう? それならば、私達と手を取り合ったほうが賢明だ」
「それも嘘だしぃぃぃ!」
「嘘ではない。勇者の剣すら通じなかった魔族の男がいるんだ」
「そいつは魔族が召喚した勇者だしぃぃぃ!!」
「ゆ……勇者??」
魔族が勇者を召喚したと聞いた人族兵は、皆、口を開けてポカンとする。まぁ宿敵を呼び出す馬鹿はいないと思ったのであろう。
長兄も言葉を無くし、考え込んでしまったので、サシャは代わりに命令を下す。
「戦争はお仕舞いだしぃ! みんな家に帰って、家族と過ごすしぃぃぃ!」
サシャの言葉に人族兵は、一斉に長兄を見る。すると、長兄は考え込んでいる場合ではなくなって、決断するしかない。
「わかった。兵を引かせる」
長兄があっさり撤退を口にすると、サシャは疑いの目を向ける。
「本当に?」
「サシャとやりあっても、甚大な被害が出るだけだ。それなら、帰ったほうがいいだろう」
「……じゃあ、さっさと帰るしぃ。あ、奴隷は置いて行けしぃ。それと……」
サシャが長兄に要望を伝えると、長兄は反論せずに全ての要望を受け入れる。
「以上! 撤収するしぃ!!」
「待て!」
「なんだしぃ? まさか、ウチとやり合うつもりだしぃ??」
「そんな事はしない。サシャの要望を全て受け入れたんだ。こちらの要望を聞いてくれてもいいだろう?」
「はあ? そっちが勝手に攻めて来たんだしぃ」
「奴隷は帝国では所有物なのだ。それを私の一存で取り上げるのだから、反発する者を抑える必要がある。その労力の対価に、ひとつだけでも聞いてくれてもいいだろう?」
長兄の言い分にサシャは納得はしていないが、素直に兵を引かす為に、聞くだけはしてくれるようだ。
「……わかったしぃ。出来る事なら、魔族に伝えて来るしぃ」
「ああ。それでかまわない」
「それでなんだしぃ?」
「簡単な事だ。遠い昔に結んだ不可侵条約を履行するようにして欲しい。もちろん、こちらも守るように力を尽くす」
「そんだけ?」
「そうだ」
「わかったしぃ。伝えてやるから、さっさと帰るしぃ」
この後、長兄は兵を反転させて人界に帰って行くが、連れて来た人族のおよそ半分は軍から離れ、この場に残る。
サシャは離れて行く長兄を眺め、残った者には動くなと命令し、キャサリの街に向けて飛び去るのであった。