episode97・目覚めた先に先に待つ疑惑 (Ren Side)
廉のストーリーサイド。
「______川嶋さん?」
看護師は驚いた様に告げた。
「奇跡的だ、私が分かりますか?」
医者の言葉に頷く。
胸の鈍い痛みが、生きている実感を感じた。
狂喜乱舞した舞子の諌める為に
彼女の狂気を受け入れた事も、全て覚えている。
容赦ないマスメディアの過熱が目を霞んだ。
一通りの精密検査を受けてから、和歌が訪れた。
急用の仕事の話が終わった後に、
従兄の意識が回復したと聞き付け、迷わず駆け付けた。
従兄を見た刹那に鳩が豆鉄砲を食らった面持ちを浮かべ、
何処か信じられないという表情を浮かべ固まっている。
「………廉」
「………」
不器用に微笑んで左手を微かにひらひらとさせた。
和歌の刹那げな青年の表情に、目を伏せて影を落とす。
「…………大丈夫。記憶喪失じゃない」
「…………」
全てを聞いた。
あれから、2ヶ月意識不明だった事。
生死の境をさ迷い、一時期は危篤状態が続いた事。
心臓を狙われたと思っていたが、外れていたのは
舞子の意識的に反らしたのか、
急所を外したのかは分からない。
(きっと、狂気に取り憑かれているあの人には選別は出来ない。
………たまたまだ)
川嶋舞子は逮捕されて、その“川嶋舞子”という女に世間は、スポットを当てた。
地主の名家の令嬢が元恋人とその家族を焼き殺し、
軈てその刃を息子に向けた。
前代未聞のセンセーショナルの熱は止まない。
無期懲役の仮出所を終えた女が、
通り魔となり息子である男性を刺した____。
マスメディアの過熱とメディアスクラムは
止まない。
川嶋舞子の実家である川嶋家の自宅にも
マスメディアは押し掛け、張り込んでいる。
舞子はずっと黙秘を貫いているらしい。
(殺人者の息子、という事が明らかになった)
刹那的に廉は、悟った。
舞子が通り魔として選んだ標的は息子。
もう自分自身の身を、素性を、隠せやしない。
きっと素性は明らかになっているだろうから、
これからの生活も変わっていくだろう。
和歌は敢えて解っているから触れないだけで
だから、此方を見ている視線も気不味そうなのだ。
くすんだ雲。低気圧による、冷気の風当たり。
西口はあまり人目に当たらない静観な住宅街側にある。
のせいか、病院の裏口も同然の様に見えるだろう。
誰も知らない園庭が伺えた。
裏口だからなのか、あまり人目に触れないからなのか。
何処か物寂しく影のある雰囲気を醸し出している。
不意に前を向くと、黒の軽自動車が止まっていた。
和歌はひらひらと車に向かって手を振ると、車のウィンドウが、静かに降りる。
運転席には杏子がいた。
その空気の違いは、瞬時に廉は悟ってしまった。
杏子と和歌の空気感、距離感が冷たい。
マイナーな空気感。冷めきった熟年夫婦の様に。
杏子の口数もあまり少なく、その空間から
外れたいかの様に和歌は窓の車窓を眺めている。
それはまるで深窓の令嬢の様な佇まいだ。
辛辣な触れがたい空気。
それは意図せずとも、幼き頃から人の感情を読み取る癖が働いてしまった。
大人の顔色、その醸し出す空気と距離感。
(___________何故だ?)
別け隔てのない、無条件に労り合う母親と娘。
何かしらあったのだろう。廉は
そう思いながらその空気に馴染んだ振りをした。
母娘の会話は成り立つ事はない。
時折に杏子から注がれる言葉へ相槌を打ち、言葉を返す。
その微細な変化を飲み込んで、軈 気付く。
嗚呼。
(やっぱり、疎ましく思われているんだ。僕は)
マスメディアが囲む家には帰れないから
廉は退院すると水瀬家に身を寄せた。
自分自身が暮らしていた頃のマンションとは違う。
当たり前かの様に
当然の様にある、自身の空間。
衣食住の安全も保証されていて、
自身が引き取られ育っていたあの頃と何も変わらない。
ただ舞子の蒔いた種により、生きづらくなったのは確実だ。
“死に至らせる事で、自分自身のモノにする毒女”
舞子のあだ名。
確かにそうだ。
彼女は、死を持って元恋人を自身のモノにした。
(でも息子は違う)
自分自身の砦になれなかったから。
自分自身の意のモノになれなかったから
もう要らない子供だったのだろう。
でも致し方ないのだ。
アパートには、マスメディアが張り込んでいる。
そして“川嶋 廉”という男の素性は、
“川嶋舞子”という名の母親に暴かれた。
…………息子の、将来を潰す形で。
そんな中である思いが心を掠めた。
(…………僕は?)
不意に気付いた思い。
元恋人と長年不倫関係だったのなら、
自身と水瀬颯真との血縁関係も元から無いのではではないか。
本当は水瀬家とは関係のない人間なのかも知れない。
(………だったら)
不穏な母娘の作り出す空間に、
居候し踏み込むのは気が引けてしまう。
これからどうしようか。
また何事もなかった様に暮らす事は出来るか。
薄幸と嘲笑の微笑みを浮かべながら、
それすらも罪なのだと思いながら、自傷の症状が疼いた。




