episode82・理想的な箱庭、縛られた心 (Misaki side)
久方ぶりに美岬のお話となります。
広い青々した庭には
公園の敷地内の様なその場所は手入れされた
花々が咲き誇り心地好く淡い風に揺られている。
煌々と惜しみ無く注がれた太陽の日差しに初夏の涼しさ。
日曜大工により作られた遊具で、無邪気に少女は遊んでいる。
それを見詰める女性は、娘を頬笑ましく見詰めながら
心持ち、瞳に陰りが写る。
(こんな筈じゃなかった)
心の片隅で、溜め息を着いた。
「お母様、どうしたの?」
トテトテと、
二つ結びの愛らしい少女が此方に向かってくる。
潤んだ瞳で此方を見上げてくるその表情はあどけない。
「なんでもないわ、七美」
何でもない表情を取り繕い、心の陰りを隠し
美岬は屈んで少女の髪を撫でると、柔く微笑んだ。
七美。今年で4歳になる一人娘だ。
大学卒業と共に、美岬は樹神家に嫁いだ。
親同士、家柄同士の陰謀に歯向かうなんて無意味で、
無理だと思い条件と相手を飲み込んだ。
そして25歳の時に一人娘・七美を授かり、
今は弁護士となった
樹神真之助を支える妻・樹神七美の母として生きている。
娘は無条件に愛しいけれど、
夫への愛情は、と問われると美岬は何も言えない。
幼稚園の母親同士が集まるお茶会でも、
周りの母親は激しいマウントの取り合いや自慢や愚痴に溢れているものの、
夫である真之助をどう思い、現していいのか分からない。
社交辞令で夫を誉めちぎり、時にそつなく反らし、
なんとか切り抜けている。
弁護士の妻らしく、
大人の身なりと礼節を弁えるのみ。
あの頃様に自分自身の為に惜しみ無く、遊んでいる余裕はない。
(懐かしいわね)
家庭を持ったのだから、
過去は忘れて、樹神家の妻に納まらないと、と首を横に振る。
心底、自分自身と娘を愛してくれる夫。
感謝を抱いても、けれども、美岬には最初から今まで真之助は愛せないままだった。
愛を注がれても社交辞令の様に繕い、返すだけ。
政略結婚だから、とではない。
愛のない相手にどう返していいか分からないのだ。
温もりも冷め切ってしまった。
だから、平日では夜、顔を合わすだけが都合が良いのだろう。
寧ろ休日、真之助、亭主が居る空間は少し戸惑ってしまう。
嫁いだ先の偉大な家系は
実家よりも、仕来たりや決まりが厳しい箱庭だった。
宮殿の様な豪邸で樹神家には本家とは別居。
樹神家では古き良き風習で、夫の帰りを待つもの、とされており樹神家には使用人は居らず、
夫人が、妻として全て一人でこなす。
箱入り娘の美岬には
未知の世界であり、手一杯だった。
夫人の振る舞い、亭主を支え、母親として娘を育てる。
お金に不自由はなくても、
美岬の心は、不自由で余裕がない。
美岬にとってつまらなく息苦しい場所だった。
そして自由もない。
樹神家の本家からの24時間制の監視。家には
玄関や客室、リビング等、至る所に監視カメラが設置されているのだ。
理由は『樹神家の妻、令嬢として相応しい振る舞えが出来ているか』である。
監視カメラは本家と繋がり、監視役がいるので、
異変に思うと、義両親が訪れる。
結婚当初は泣きたい思いだったが、
真之助は樹神家の仕来たりが当たり前となっている。
だから夫に泣いてすがったとしても理解なんてされない。
泣く事すら我慢した。
美岬は大学生、樹神家に嫁ぐまで自由奔放に育ってきた、
しかし今は家事や育児、ワンオペ式で全て美岬に委ねられている。
同時に求められるのは、妻・母親としての器。
偉大な家系、当主の妻は、良妻賢母でなければならない。
樹神家から与えられるのは、冷たい重荷だけ。
心は窮屈で自由もなく狭苦しく、満たされていない。
そして心の片隅で、あの頃、奔走していた温もりを求めてしまいそうになる自分自身が何処かにいる。
(あの頃は良かった_____)
戻りたい_____と、思いかけて踏み止まった。
不意に思うのだ。
本来ならばこの席、責務は、
あの女が座り果たすものではないかと。
それは異母姉に当たる、水瀬和歌の事だ。
彼女は千歳家の血を引きながら、
何事にも縛られずに自由に生きている事だろう。
異母姉が、千歳家に認められ迎えられていれば
長女の責務として、和歌がこの立場にいる筈だろう。
次女である自分自身は、縛られず自由に生きれた筈だ。
そう思うと、和歌が羨ましく、時に憎たらしく映る。
(和歌は、なにしてるのかしら?)
時折に気になっていたが、
好奇心と共に不意に知りたくなった。




