episode80・葬られた親子の秘密
『実の息子を殺害しようとしたとして、
◯◯県警は、母親である川嶋舞子容疑者を、現行犯逮捕致しました』
モニター越しに、神妙な面持ちでアナウンサーは告げた。
駆け付けた警察官により、舞子は現行犯逮捕、
廉は消防により直ちに病院へ緊急搬送された。
『川嶋容疑者は、黙秘を貫いているとの事です』
世間、マスメディアは大々的に取り上げた。
20年前に殺人放火事件で無期懲役の判決を受け、
仮出所した容疑者が、息子を殺めかけた、と。
こんな味のある話題は世間は、挙って
取り上げては、熱い討論が繰り返されている。
「貴女に出来る事は、一つだけです」
「……………?」
「壊れかけたものを、壊すだけです」
自らに刃物を向けた母親に対して、
廉は冷静にそう告げた。抗いも見せないまま、
平常心を保っている。
そして悲観した様な諦観の眼差しで、
廉は母の華奢な腕に手を添えて胸に持っていく。
舞子の手は震えていた。だが、
「…………貴女が全部壊したのでしょう。
壊れかけたものが、此処にあります」
全ては、自分自身で終わらせばいい。
そう悲観と絶望に満ち足りた表情と感情は、
舞子に憑き纏い、混乱と狂乱の渦に包まれている。
自分自身の居場所はない、そう突き付けられた現実に正常心を失わせた。
グサリ、と鈍い音が、静寂の闇夜で残響する。
気付けば、深紅に染まった世界にいた。
深紅に染まっていくワンピースの裾。
瞳を閉じ、眠っている青年。
その表情は、
苦痛を味わった筈なのに、
何処か穏やかで安らかなものだった。
「………れ、」
廉、と呼ぼうとする声帯が、上手く動かない。
息子の名前を呼ぶのは、いつぶりだろうか。
伸ばした指先は震えて、何故か儚げに眠る青年に触れる事が出来なかった。
ドレスの裾の如く、広がる深紅。
「_______廉…………」
バタンと、ドアが開いた先には、姪がいた。
この惨状を見詰めてみるみる顔面蒼白になっていく和歌は
悲鳴を上げる事なく、項垂れた様に佇んだ。
「…………消防、救急車、呼ばないと………」
震える手で携帯端末を取った和歌の腕を、
舞子は無意識に掴んでいた。
その舞子の行動に、和歌は怪訝な眼差しを向ける。
軽蔑するかの様に、悲哀の眼差しかの様に。
「…………廉をこのまま殺めるつもりですか?」
「……………………」
そうだ、と言いかけた。
弱い心が叫ぶ。壊れかけたものを壊してしまったと、
舞子はすがって泣いてしまいたかった。
(…………このまま、解放される方が、廉の為?)
一瞬の迷い。
廉の苦痛から解放されたかの様な安らか表情と
舞子の今にも泣き出しそうな表情を見て、和歌は凍った。
自分自身も恐怖心に苛まれるなかで、何度もそう思っていた。
この苦痛から解放されたい、と。
廉も生きる中でそう思っていたのだろう。
贖罪の罪の意識に苛まれながら、生きる従兄にとって
現世の苦痛から解放してあげる事が良いのだろうか。
でも、それは違う様に見えた。
「……………廉は、何も悪くないんです」
我に返ると直ちに消防と警察に連絡した。
『いつか、遺族の方にお詫びするんだ』
幼い頃、廉はそう呟いた。
誰も謝罪に訪れていない。
それでは無礼で亡くなった人達が浮かばれない。
遺族は今も被害者家族として苦しんでいるのに。
誠心誠意の謝罪したい、と廉は節々に語っていた。
『守れなくて、ごめんなさい』
廉を見下ろして和歌は呟いた。
無機質な機械音。
様々な管に繋がれ、青年は深く瞳を閉じている。
意識不明の危篤状態に陥り、lCUに入院している。
現世から解放され、深い眠りに着いている青年は、
あの時と同じ安らかな表情を浮かべている。
まるで、苦痛から解放されたかの様に。
あの日、仕事帰りに、さ迷うかの様に
歩く舞子を見付けて密かに後を着けていた。
警戒心が働いた和歌は舞子を引き留める為に接触したのだ。
『何処へ、向かうのです?』
『貴女には関係ないわ、
部外者の癖に邪魔しないで!!』
和歌の鳩尾を、舞子は剛力で殴った後、
小走りで去っていく。駄目だ、引き留めなければ、
思う心とは裏腹に和歌の意識は薄れ、倒れ込んでしまった。
意識を取り戻した後に慌てて、廉の住むマンションに向かった。
だが、
遅かった。
何もかも遅かった。
だから、あの悲劇が繰り返されてしまったのだと
悔やまずには要られない。
住所も知らないのに息子の居場所に辿り着いた彼女を見て、
それは親の本能か、それとも道具として、
扱う執念か、舞子のしぶとさを知った。
母親が息子を思う心なんて消失している。
最初から最後まで、息子は自分自身の立場を救う道具としか見ていなかった。
『息子は、自分自身の立場を救えない』と悟ったからこそ、殺めようとしたのか。
真相は、あの母親と息子にしか分からない。
母親は何を思い、その狂気を前にして息子は何を思ったのか。
それは、当人同士にしか分からない、闇に葬られた出来事だ。




