episode78・青年が蒔いた現実 (Ren.mother side)
廉、舞子のお話
意識は徐々に鮮明さを取り戻していく。
聞き慣れない罵声と聞き慣れた冷俐な声が聞こえて
ちらり、と向けた視線。
舞子が和歌に罵声を浴びせ、平手打ちした。
『八つ当たりするな』
(______身の程知らずの人だ)
冷静沈着に眠っていたいたけれど、
廉の廉の堪忍袋の緒は、そこで切れた。
恩人の娘に手を上げた女に対して抱いた憤りと哀れみ。
「廉、良かったわ、目が覚めたのね」
パシン、と乾いた音が室内に響く。
威勢良く息子に駆け寄った舞子だったが、
その手は容易く払い退けられてしまい、彼女は唖然とした。
和歌の瞳が、微かに、見開かれる。
室内に、張り詰めた緊張感。
「触るな」
「………な」
その穏和な顔に浮かんだ、鋭い眼孔。
その瞳の奥にある絶望仕切った、言葉に表せない彩は
何だが無言の威圧感を放っている様で、思わず背筋を凍らせ震わす。
(この子に、こんな表情が出来たかしら)
あんなに明るくて、優しい少年。
温和で柔和な表情しか知らない。だからこそ舞子の脳裏にある笑顔の少年と、
今、目の前に居るのは冷俐な氷の様な青年としか思えない。
「此処で、何してるんですか?」
恐ろしい程に、冷俐な声音。
舞子は固まり、和歌は意気消沈し、憔悴仕切っている。
髪に隠れて彼女の表情は伺えなかった。
「その人は、僕の恩人の方の娘さんですよ」
「…………何、言って………」
舞子の心の中で業火が燃える。
廉は杏子の事を「恩人」、和歌を「恩人の娘」と言った。
実母を自分自身を押し退けて、伯母を恩人と呼ぶのか。
刹那にカッと頭に血が昇る。
「廉。我慢しなくていいのよ。
酷い事をされていたのよね? あの人にとっては
他人だもの。貴方を傷付けても、何も痛まないわ。
その傷も、あの人から………」
「妄想癖が酷い様ですね。その言葉は、
貴女にそのままお返し致します。………それは貴女じゃないですか」
「………え?」
廉はドアで項垂れている和歌に、声をかける。
本当は駆け寄りたい気持ちだった管に繋がれている現実では出来ない。
「和歌、ごめん。打たれた所、痛くないか?
ごめんね。和歌は、悪くないから。
自分自身を責めるな」
和歌は、ぴくりと顔を上げた。
絶望しかかった瞳が此方を儚げに見詰めている。
打たれたであろう頬は赤く腫れていた。
廉の言葉は
暖かみの人欠片もない、酷い他人行儀な台詞。
和歌にかけた暖かな声音とは正反対で、
廉は冷笑を浮かべている。
「………それは貴女でしょう。
夫と息子を裏切り捨てて、酷い仕打ちを。
元恋人に夢中で、夫と息子の事なんて、蚊帳の外だった癖に」
「……………それは、」
暖かみもない、冷たいインスタント食品。
冷たい冷気が佇む独りぼっちの寒々しく寂しい部屋。
愛した妻の過ちを受け入れられず暴力と暴言しか奮わない父親。
不倫相手___元恋人と再会してから、
舞子は息子の事等、どうでもいいに等しかった。
廉に視線を向けた事も、愛しく目をかけた事もない。
悟りを開いた少年は、
母親にとって自分自身は、邪魔者に等しい存在だと
とっくに気付いていた。だから、忘れ切っていると
思っていたのに。“そのままで良かった”のに。
「ごめんなさい、あたしが悪かったわ。
でも気付いたの、これからは廉と一緒に生きて行きたいの」
「口ではなんとでも言えるな。貴女が僕にすがり着く
理由は、川嶋家との絶縁・勘当の解消でしたっけ?
………それ、無駄ですよ」
「…………え?」
舞子は唖然として、廉に視線を向ける。
冷ややかな嘲笑を浮かべた青年は告げた。
「20年前、川嶋家、貴女の両親は、
貴女を勘当と絶縁した同時に僕を拒絶しました。
“罪を犯かした娘の子供、孫を置いておくと世間体が悪い”から
僕が居ればマスコミの格好の的となる。
貴女の両親によって、僕は失踪宣告がされています。
…………後は、お分かりですよね」
最初は瞬きをさせたが
軈て舞子はへたり、と座り込んだ。
意味を知ったのか、怪しい微笑が嘘ではないと物語る。
川嶋家は最初こそ、
孫は川嶋家から渡さないと意気込んでいたが
汚点のある名家、
罪を犯した世間体の悪い娘の存在と
連日、土足で踏み込んでくるマスメディアに心を病み
罪を犯した娘の息子も、どうでもいい事になったらしい。
廉の戸籍上の祖父母はなかった事にしたくて、
7年後、
孫の失踪宣告を出した。
それは廉が高校卒業を控えた年の冷たい春だった。
「………僕はもう貴女のご実家とは関われないのです。
それに…………」
廉は、堂々と告げた。
「僕は、もう死人になっています」
川嶋家の態度に呆れた杏子は、廉を養子縁組をしようとした。
しかし犯罪者の息子である自分自身が、
恩人である人とその娘の戸籍を汚す事を嫌い、
廉自ら、養子ではなく里子に出して欲しいと願い出たのだ。
最も自分自身は、
通常失踪の扱いで死亡した人間となっているが、
杏子の計らいのにより、里子として引き取られた身分も何もない青年、それが“川嶋 廉”だった。
「川嶋姓を名乗っていたのは………」
「いずれ、仮出所してくるであろう、貴女に
向かっての仕返しです。現実は思い通りにいかない。
否、僕がさせないと、教える為にね………」
川嶋姓を敢えて名乗っていたのは、
世間知らずで姑息でずる賢い令嬢に現実を目の当たりにさせる為。
いずれ、舞子が暴れる事は分かっていたからこそ、
青年は先手を打っていた。
(貴女の思い通りになんてさせない)
それが、川嶋家、実母への細やかな抵抗と
待ち望んでいた廉の復讐だった。
「貴女の息子は死んだのです。
もう貴女の居場所は、ないですよ」
そう、冷俐な表情は暗転し、穏やかに廉はにっこりと微笑んだ。
【お詫び】
『episode79』と表記しておりましたが
正しくは『episode78』です。
混乱を招く形となり
読者の皆様に対して誠に申し訳ございません。
気を引き締めて参ります。




