episode73・フォトフレーム (Mother side)
(廉の今の姿を、見なければ始まらないわ)
女は思った。息子を取り戻す方法を。
手掛かりがないのなら義妹に接触して“ある手掛かり”を貰おう。
水瀬家のインターホンが鳴り、杏子はモニターを見た。
しかし次の瞬間に
背筋が凍る感覚を覚え、動けなくなってしまう。
茫然自失と佇んでいる母親の姿に和歌は、どうしたの、と駆け寄る。
そして彼女も絶句した。
________其処には、舞子が映っていたからだ。
(…………家の場所は伝えていなかった筈よ)
しかし現実は変わらない。
杏子の中で悪寒が迸り、動悸が存在感を示しだした。
全身が凍る思いながら、息を飲み、腹を括ると娘に対して告げる。
「貴女は部屋に居なさい。………絶対に出てきたら駄目よ」
「…………分かったわ」
和歌が自分自身の部屋に入ったのを見届けた後、
杏子はモニターの『通話』ボタンを押して応答する。
舞子の態度は余裕綽々で堂々足るもので、ドアを開けると微笑んだ。
「…………ご用件は」
「素っ気ないわね。まあ、いいわ」
「________廉の写真を頂戴」
舞子の言葉に、杏子は目を凝らす。
「貴女は定期的に手紙で、
あの子の近況を教えてくれたわよね? でも写真は無かった。
あの子の写真はあるでしょ。写真を頂戴」
自室に身を潜めていたが、
和歌はドアに耳を澄まし二人の母親の会話を聞いていた。
杏子が定期的に手紙を書いていたのは初耳だ。
(息子を取り戻して何をするつもりなのか)
息子に対して酷薄な程、舞子は無関心だった。
それは不倫に走っていた時も、あの閉ざされた世界で生きていた時も。
兼ねて息子の近況は、杏子が送っていただけで
舞子からの返信は一通も無かったのだから。
こうして仮出所を経て再会した今でも、
息子の事を想う素振りは全くない事は最初から分かり切っていた。
でも何故、廉に執拗に執着し、聞き出したいのかは分からない。
今の彼女に居場所がないというのは分かるのだが。
杏子は目を伏せて深い溜め息を着いた。
杏子が溜め息を着いた理由は、それだけではない。
過去の事が脳裏に蘇る。
入学式や卒業式等の節目節目には、かなり出席していた。
勿論、写真を撮影する訳なのだが、
廉は写真を一枚だけ撮るとそれ以上は、拒絶していた。
杏子としては記念写真として残しておきたいものなのだが
廉は拒絶するかの様に避けていた。
『廉君、写真はいいの?』
『僕はいいよ、カメラのフラッシュが苦手だし。
それよりお母さん、和歌を撮ってあげてよ』
そう人良さそうに微笑うと、さりげなく
写真を撮影される事を断り、それらをすり抜けていた。
だから甥の写真はあまり無く、また和歌の療養も重なり
子供達の写真は無かった。不意打ちで撮影した
隠し撮り写真は数枚あるけれども。
沈黙し黙り込む杏子に、
舞子は次第に心に苛立ちを覚え
あからさまに怒った様な眼差しと面持ちをし出す。
(まさか、育て親になった気になって廉を取り込むつもり?)
何様なのだろう。
(廉の母親は、私なのに。
貴女は何も教えてくれない。出し渋る事ばかり)
「_______まさか、貴女」
怒気が籠る声音に、杏子は顔を上げた。
「廉を取り込むつもり?」
「……………どういう事?」
杏子は唖然とする。
舞子はそう言うと嘲笑う様に、
強い瞳を向けて弱味につけ込んで身を乗り出した。
「颯馬さんと二人兄妹で生きてきたのよね。
颯馬さんが居なくなったってどういう意味?
兄がいなくなるから、甥である廉も私から奪いたいの?
…………でも残念ね。それは出来ない。
颯馬さんは、婿入り養子。
水瀬家から出て行ったも同然、廉も川嶋家の一人息子。
水瀬家の子供ではないわ。
廉を見てきてそれで育てた気になって、親にでもなったつもり?」
舞子は、捲し立てる様な強気の口調で、義妹を追い込んでいく。
それに対して杏子は何処か悟りを開いた様な、
何処で呆れている様な表情を見せた後で静かに口を開いた。
「………そんな、でしゃばる様な感情はないわ。
それに兄妹で生きてきたとしても
何時かは違う道を歩いていくでしょう。
貴女が言う、それらは烏滸がましい。
私はあの子の後見人の責任として
我が子同様に大切にすると誓った。………それだけ」
売られた喧嘩を、買うつもりはない。
舞子が息子に近付こうとしている意図が読めた気がした。
「身の程を分かっているのなら、良いじゃない」
「……………それはどうも」
冷め切った珈琲の様に、杏子は返す。
「で、本題よ。廉の写真を頂戴。
後、我が家にあったアルバムを返して。
あれは川嶋家のものよ。あるんでしょ?」
「……………ないわ」
「は?」
今度は舞子が唖然とする。
杏子は話した。20年に廉を引き取る際に川嶋の家に
向かい彼の荷物をまとめていた時、アルバムだけ、
写真の一枚も出て来なかった事を。
まるで写真だけ消えてしまった様に。
「…………家の隅々まで探したわ。でもどれだけ探してもアルバムだけが無かった」
「そんなの嘘よ。あの子が生まれてからずっと写真を撮ってきたのよ!?」
「…………知ってるわ」
舞子は混乱している様だった。
アルバムが一つもない。どうしてだ。写真だって
沢山撮影したものがある筈なのに。それに自分自身が
いなくなってからも、写真はあるに決まっている。
なのに、写真の一枚も寄越さないのだろう。
「…………どうして、廉に固執するの」
「我が子に会いたいからに決まっているでしょ」
(絶対に、何かを隠してる)
杏子の中で、そんな決意が血を固めた。
そして思ったのだ、この女は何処までも自分本位なのだと。
そう思うと心の中で堪忍袋の尾が切れて爆発した。
「20年、何の興味も示さなかったのに。
手紙の返事もなかった、貴女は息子が
どうしているのか、という返信すらなかったのに。
今更………何か思惑があるんでしょう?」
「失礼しちゃうわ。………ああ、でも貴女にも
協力して貰わないと出来ない事かも知れないわね」
急に舞子は、開き直った態度を見せた。
同時に和歌は、
あの廉が燃やしていたものが、
アルバムである事だと確信してしまった。
(…………だから、アルバムはなかった)
「私は実家から勘当されてるでしょ?
でも廉は勘当されていない。孫の可愛さは勝る。
川嶋家の後継ぎである廉を御父様とお母様に連れて
勘当を許して貰うの。無かった事にして貰うのよ」
「………貴女、やっぱり………」
そんな思惑が。
杏子は絶句する思いだったが、この女の卑怯さにお見逸れする。
自分本位なのは変わらない。現に罪の重さも無いのだから。
(だったら、廉の前に現れない。
再会はしてもあの子が苦しみが生まれるだけよ)
「だから、廉の写真を頂戴。
いや廉の居場所を教えて貰うが良いわね。
ねぇ今、廉は何処にいるの?」
悪びれる事も無く、開き直った素振りで舞子は告げる。
しかし絶句し固まっている杏子に対して、
被害妄想は膨らみ爆発した。
「黙ってないで、早く居場所を教えなさいよ……!!」
同時に振り上げられた手。
叩かれる覚悟でいた杏子は無抵抗だったが。
その華奢な腕を誰かが止めた。
「育ての母に何をするおつもりですか?」
冷静な声音。
しかしそれは無慈悲な声にも聞こえた。
振り向くと端正な顔立ちをした青年が少し凝らした表情で此方を見詰めている。
杏子、怒声を聞いて部屋から飛び出した和歌は、
固まって、背筋が凍る思いして、その人物を見、
立ち竦むしかなかった。
舞子は努の秘めた表情で、突然現れた青年に、
「______何をするのよ!!」
そう怒鳴ったが、彼は微動打にしない。
「放しなさい、この部外者が!!」
高まった怒声。
それに青年は無表情のまま、告げた。
「部外者? おふざけは止めましょうよ。
僕は貴女が捜している人間だ」
「………は?」
思考回路が追い付かない。
固まっている舞子、背筋が凍り付いている母娘の前で告げた。
「_______僕は、」
「_______川嶋廉です」




