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傷付いた鳥籠が壊れるまで  作者: 天崎 栞
【小鳥の平穏】
73/112

episode71・現れた平穏を壊す壁 (Mother's side)




下町にある喫茶店。

静寂な店内には心が落ち着く様な、なだらかな洋楽の悲恋ソング。

西洋映画から抜け出したかの様な、日本人離れした紳士的な

雰囲気が漂うマスターは黙々とカウンターで珈琲の豆を挽いている。


その一番奥にあるのテーブルで、

対面するかの様に舞子と杏子は座り込んでいた。

二人の間にある静寂な空気は、何処か暗雲と緊張感が立ち込めている。



舞子は優雅な佇まいと振る舞いだ。

杏子は何処か張り詰めた様な、遠くを見据える眼差しで舞子を見ていた。



「久しぶりね。20年ぶりかしら?」

「ええ……」



杏子の心中は、穏やかでは居られない。

優雅な物言いと態度はから、罪の意識はないのだと悟る。

息子を深く傷付け、人生を狂わせたとは思っていないのだ。


「そろそろ仮出所の頃だと、思っていたわ」

「そうよ。(ようや)く抜け出せたわ。法に逆らいと罪を犯してしまった。………けれども後悔はしてないの」


杏子伏せていた瞳を見開き、舞子に見据えた。

遺族に痛み詫びる処か、この女は

自分自身が犯した罪を、罪だとも思っていない。

昔から何処かで非常識だ、と思っていたが、

その感覚は(あなが)ち間違いではないらしい。


母親を捨て、女でいる事を望んだ人。



「和歌ちゃん、だったかしら?

すっかり大きくなって。“あの子”も同い年よね。

どんな大人になっているのかしら」

私も和歌ちゃんを可愛がったから……」

「そうね。和歌を可愛がってくれた事は、感謝してるわ。………でも」


和歌の存在を持ち出されて、杏子は黙った。

あの頃はまだ兄の妻である義姉に甘えていた部分もあったのだから。

娘を純粋に可愛がってくれた事だけは感謝しているが。

押し黙った杏子に微笑みながら、悠々と当たり前の様に告げた。


「ねえ、廉と、颯真さんの居場所を教えて」



あっけらかんと、

悪気のない言葉に、杏子は呆然とした。


「前の家は更地になっていて、もう無かったわ。

貴女と和歌ちゃんが住んでいたアパートも公園になってた。

ねえ、颯真さんと廉は何処に行ったの?


颯真さんの妹である貴女なら、分かるでしょ?」



冷たい怒りと呆れが心に広がって行くのを感じる。

悪気のない明るい素振り、罪の意識の無さに呆れてしまう。



杏子は、両手を膝上に置くと、静かに告げた。


「…………ねえ、どんな気持ちで此所まで来たの?」

「気持ち? 私は親からも勘当されて、私には行く場所がないのよ。

息子と夫の家に帰るのは普通でしょ?

それにあの人達には

妻であり母親である私がいないと生きれない筈よ」

「………そう」


その言い分は、純粋故に、

罪の意識や現状を見ていない、見えていないのだからと。

冷たい怒りを覚えたがそれを通り越して呆れてしまう。



川嶋(かわしま) 舞子(まいこ)

彼女は東京のとある下町の大地主の一人娘のお嬢様だった。

大地主と資産家の令嬢、一人娘が犯した罪に

両親は怒り狂い、家の名を汚したという感情から

舞子は両親から、勘当された。


これらは、舞子が起こした事件後、

杏子が廉の将来を考えて、川嶋姓から水瀬姓に

変えては頂けないだろうか、と交渉を持ちかけた際に彼女の父親が言っていた事だ。


しかし、

実兄は川嶋家に婿養子に入る形で結婚した。

婿入りという形に近く、廉は川嶋家の後継ぎと見なされていた為に廉が水瀬姓を名乗る事は許されなかった。

娘はともかく孫は後継ぎなのだから、と猛反対され出来なかった。


『親戚がでしゃばる真似を、小姑が嫁いびりするのか!!』


とバケツに入った水を大量にかけられて

不穏にあやふやなまま、終わってしまった。


「和歌に迫って、何かを聞き出そうとしたの?」

「当然でしょ。和歌ちゃんなら知らずとも、

廉の事を知っているだろうから」

「………そう、残念ね」


(貴女の歩む道は、もう容易くはないわ)



「………悪いけれど、“兄さんはもういない”わ」


刹那に

強気な舞子の表情が、きょとんとした面持ちに変わる。


かなりの年月が経過しているのは理解出来る。

けれど杏子が言った言葉は、何を意味するのだ。

杏子は目線を俯かせながら、膝上に置いた拳を握り締め

舞子の顔を真っ直ぐと見詰めると、杏子は身を乗り出した。





「それに、手紙でも書いた筈よ。

………廉の前に現れないで、と」

「何を言ってるの? 私はあの子の実母よ。

貴女に口出しされる権利はないわ」


悪びれた風もなく当然の事の様に、舞子は告げた。



(自己反省がないのね)


「貴女が消えてから

廉君がどれだけ苦しんで生きてきたと思ってる?

母親の存在に後ろ指を指され、父親に虐待されて

最終的に父親にも自分自身を忘れられてしまった」

「…………どういう事?」


舞子は眉を潜める。

状況が飲み込めない、夫は、颯真はいない、廉は……。

舞子の言葉をすり抜けて、杏子は目を伏せて視線を落とし、話を続けた。


「…………両親が居なくなって、あの子は一人になった。

あの子は本来の性格が消えてしまい、

人の顔色ばかりを伺って遠慮がちに控えめな性格になってしまったわ。


推薦入試で大学も行けたのに遠慮して、高校卒業したら

自立して働き始めたの。同時に我が家からも出て行った。

生きていく為にあの子なりに必死だったと思うの。


なのに、幼い我が子を捨てた貴女は

ぬけぬけと何故今更、母親に戻ろうとするの。


20年間のあの子の苦痛と努力、

自分自身しか見えていなかった貴女には解らないでしょうね。

貴女は知らないでしょう、あの子が抱えている苦痛や苦悩を」

「……………っ」


舞子は歯軋りをした。この女を言っているのだ。

息子の歩いて生きてきた道等、どうでもよいのだ。

早く息子と夫の居場所を教えれば良いものを。


(あの檻から出たのだから、本来の場所に戻るだけなのに。

どうしてこんなにも出し渋るのかしら?)


「廉はもう大人よ。

全ては廉が決める、その権利があるわ。

貴女がでしゃばるのは止めて。……貴女の行動は、負の連鎖を生むだけ。廉を苦しめるだけよ。


母親なら、

もしあの子への申し訳ない気持ちが微塵でも、

その心に残っているのなら、あの子を遠くから

見守る事が、唯一自分自身に出来る事だとは思わない?」


強く舞子を見据えて

冷静な声音で、杏子は言った。


「………廉の居場所を、言いなさい」

「言わないわ。そんなに剥きになるのなら

何か思惑があるのでしょう? だったら尚更、言えない。

ずっと苦しみを味わってきたあの子に

またあの子を苦しめたくないの」


杏子は鞄から茶封筒を取り出し、舞子の前に置いた。

舞子は不審に思いながら、その茶封筒の中身を見る。

中にはお札のお金。

それを見て、舞子は杏子に視線を戻す。


「駅の向こう側にビジネスホテルがあるわ。

お金の工面ならば私がするから、その代わりに

廉にも、和歌にも近付かないで………お願いよ」


険しい面持ちと冷たい瞳。

最後の言葉は、軽くドスの聞いた物言い。

杏子は懇願するかの様に、強い瞳で舞子を見詰めた。

そして席を立ち、去っていく。





「私は、廉と生きていくわ、

叔母ごときの貴女がでしゃばる真似をしないで頂戴」


杏子の後ろ姿に

舞子はそう叫んだが、杏子は振り返らなかった。


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